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特集

アート&テクノロジー展
―高橋匡太/疋田淳喜/吉岡俊直―

2009 11 10

現代美術の最前線で活躍する三名の作家が、さまざまなテクノロジーを通して実現される個性豊かな作品群で競演する展覧会。当Webマガジンのコンセプトとも親和性の極めて高い試みをディレクションした平芳幸浩氏の論考と作家三名のインタビュー。

執筆:平芳 幸浩(京都工芸繊維大学 美術工芸資料館准教授)

京都工芸繊維大学では、2009年10月23日から12月4日まで、「アート&テクノロジー展 ―高橋匡太/疋田淳喜/吉岡俊直―」を開催している。建築設計とデザインを教育する部門はあるものの、全体としては「理系」の大学で、現代アートの展覧会が行われるのは稀である。大学全体として「科学と芸術の出会い」をテーマに掲げていることもあり、現代アートにおける科学技術の在り方を探る展覧会として企画された。

今回の出品作家三名は、いずれもテクノロジーを使った作品を制作し続けている。しかし、テクノロジーへのアプローチの仕方、使い方はそれぞれ全く異なっている。巨大なプロジェクション装置で光と影を操る高橋匡太。疋田淳喜は、アナログな機械装置を用いて理科実験のような作品を作ることで知られる。吉岡俊直は、コンピュータを軸に版画、立体、映像など多彩なメディアを横断している。個人的には1990年代半ば、私が現代アートを継続的に観始めた時期に出会った作家たちだ。その意味では同窓会のような懐かしさを個人的には感じている。(作家を選定した理由は、個人的な感傷と全く関係はないが。)

アートとテクノロジーの関係を示す実例を挙げるとすれば、それこそ枚挙に暇がない。なぜならば、アート自体が長い歴史の中で変遷を繰り返しながら蓄積されてきた技術の一大体系だからである。産業革命以後、両者の関係は加速度的な変化を見せることになるが、テクノロジーがアートのテーマとなる、つまりアートが自覚的にテクノロジーを「相手にする」ようになるのは、20世紀初頭の未来派あたりが始まりとなるのであろうか。内燃機関や人工照明に代表されるような当時の最先端テクノロジーが生み出すパワーやスピードや輝き、あるいは工業生産によってもたらされる造形感覚は、アートに大きな影響を与えた。その後、様々なメディア・テクノロジーの開発によって、アートはその表現方法を急速に拡張していくことになる。

だが、未来派の時代から一世紀を経た21世紀の今日、テクノロジーはもはやアートのテーマというよりは、表現のための「環境」と言ってもいい存在になっている。ちょうど、私たちが周囲のテクノロジーをほとんど意識することなく生活する環境にあるように。それゆえ、今回の「アート&テクノロジー展」に出品している三名のアーティストたち(高橋匡太、疋田淳喜、吉岡俊直)も、ことさらテクノロジーをテーマとしたり、機械群やコンピュータ・テクノロジーの使用を「目的」として制作を行っているわけではない。彼らにとってテクノロジーは、自らの表現のための手段、構想を現実化するための媒介物(メディア)としてあると言える。

高橋匡太が1階ホールに設置する《スイコマレルキモチ》は巨大なプロジェクション装置である。漏斗状の帆布に渦巻き模様が投影され、上部から覗き込む鑑賞者は、その回転によって巨大なタイムマシンに吸い込まれるかのような強烈な揺らぎの感覚を受ける。この作品は1995年のキリンコンテンポラリー・アワード最優秀作品賞受賞作品であり、光と影を巧みに使い室内ばかりでなく公共建築の壁面までも作品の舞台としてきた高橋のその後の活動の出発点とも言うべき作品である。

疋田淳喜は、二つの展示室に合計8本の新体操のリボンをぶらさげる新作を展示した。暗く沈んだ空間で螺旋状に回転するリボンは、小さな竜巻か上昇する白竜か、はたまた猫じゃらしか、鑑賞者を不思議な空間へと誘惑する。だが、疋田のこの装置が目指すのは、運動の再現というよりも「筆を走らせるように」空間に造形物を浮かび上がらせることにある。回転速度の調整が、筆の運びを決定することになるのだ。疋田はこれまで、「少年少女科学クラブ」というグループ名で作品を発表してきた。グループのコンセプトは「中学生レベルの理科の知識を応用した作品の制作」である。そのコンセプトのもと、実際に理科室に置かれている器具類、シャーレや試験管や薬液などを用いて、光や音あるいは熱を発生させる造形作品を発表してきた。今回は個人名での作品発表となるため、グループのコンセプトの拘束を解いた、より高度で複雑なテクノロジーを使った作品が実現したわけであるが、高橋と疋田の両名が帯の回転という現象をテーマとして用いているのは面白い偶然である。

吉岡俊直は、彼の最近の関心が一望できるように版画、立体、映像と多岐に渡る作品を並べた。版画家として出発した吉岡は当初から制作プロセスにコンピュータを用いている。自然物をCGに変換し、そのデータを出力したものをシルクスクリーンでゴムに刷る。吉岡の初期の版画作品は、自然と人工、マニュアルとオートが混在するものであった。そのような混在の様相は立体作品や映像作品となっても変わらずあり続けている。表現メディアは変化しても、吉岡が一貫して問題にしているのは「層」であり、その問題意識は版(層)を重ねることで成立する版画にとって根本的なテーマでもある。コンピュータでの作画の重要な要素であるレイヤーという概念は吉岡を強く刺激したに違いない。丸のままのスイカの皮を向いた状態を撮影した写真作品《PLACE OF WATER》シリーズなどは、自然物におけるレイヤーへの関心を視覚化したものだと言える。

私は先に「もはやテクノロジーはアートにとって環境でしかない」と述べた。今回の参加アーティストたちもテクノロジーを出発点として作品を構想しているわけではない。しかし、環境としてあるテクノロジーは、いったん選択採用されると、ただ使われるだけの存在ではなくなる。必ず表現にたいしてある作用を及ぼすことになる。それは、消極的には技術的な限界として壁となって現れるであろうし、積極的には表現の内容に新たな可能性や方向性をもたらしてくれるであろう。そのようなフィードバック関係の中でアートは胚胎するのである。アートとテクノロジーの関係は多様化の極みにあるが、そこには必ず双方向的な関係が構築されているのである。

現代アートとテクノロジーはいかに出会い、どのような関係を結ぶか、アーティストたちは、実践を通してその答えを提示している。今回の展覧会開催にあたって、テクノロジーとアートとの関係についての彼らの考えを知るべく、それぞれに10の質問を投げかけてみた。どのような思いが作品として結実しているのか、その背景を覗いてみていただきたい。

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  • Profile

平芳 幸浩 Yukihiro Hirayoshi

平芳 幸浩 Yukihiro Hirayoshi

1967年生まれ。京都工芸繊維大学美術工芸資料館准教授。京都大学文学研究科博士後期課程修了。専門は近現代美術。2000年より国立国際美術館にて学芸員。主な企画展覧会として「マルセル・デュシャンと20世紀美術」「ヤノベケンジ -MEGALOMANIA-」「小川信治 -干渉する世界-」「現代美術の皮膚」など。2008年より現職。


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