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特集

dumb type 25+
結成25年目のダムタイプ、その軌跡と現在。

2009 10 06

ダムタイプ25周年。ひとつのアーティストグループが、ユニットとして存在する必然性、活動のレベルを維持しながら存在し続けているというのは驚異である。中心メンバー・高谷史郎氏へのインタビューを軸に、その軌跡を追う。

a quarter of a century 高谷史郎氏 ロングインタビュー

a quarter of a century
高谷史郎氏 ロングインタビュー

聞き手:松尾 惠(MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/w)

ダムタイプ結成からの中心メンバーであり、多様なソロワークでも国際的に活躍する高谷史郎氏。ダムタイプ25年の歩みをめぐって、創作の進め方やパフォーマンスに関する考え方、今後の展望などを聞いた。
古くからダムタイプの知己であり、前事務所の隣にギャラリーを構えていた松尾惠さんによる2万7,000字ロングインタビュー。

人とのつながり、モノとの出会い

――ダムタイプは今年で設立25周年ですが、継続にはどのような努力をされてきたのでしょうか? ぼくたち自身にとっては、続けてきたっていうよりは続いちゃったという、そんな感じですね。何かを始めたら終わらせるほうが反対に難しかったりするときがある。そうしてずっと続いてきたっていう気がすごくしていて。続けなければと思った瞬間もありますけどね、古橋悌二 が亡くなったときとか、そういうときはやっぱり、ここで終わらせちゃうとグループでやってきたっていうのが嘘になっちゃう。そんなことは少し思ったりしましたけど、そういうときぐらいかなって。それ以外は本当に、こんなこと集団でやっていても意味ないと思う瞬間もいっぱいあるけども、そういうときに思うのは、自分のやりたいことをやれるようにしていくために続けているだけだから、無理になればやめればいいと、そんなふうに思っていたのが長続きの秘訣かなという気もします。でも、それはメンバーみんなに聞いてみないとね。 あとメンバーがどんどん入れ替わっているというのも大きいと思うんです。昔からいるのは数人ですからね、ぼくも含めて。最初から、ダムタイプの前身からっていうと、薮内美佐子 とか、、それほど多くないですよね。

――メンバーが入れ替わるということは、ダムタイプとして制作や発表をしたい人が次々と現れて、その人たちの情熱や能力などが、さらに先へ、あるいはさらに広くつながってきたわけですね? 出会いとしてはそうですね、難しいですよね、ダムタイプみたいな集団がどうやって新しいメンバーと出会っていくかというのは。例えば、どうしたらダムタイプに入れますかって聞かれたことがあるけど、「どうしたら」というのはなくて。たまたま見たパフォーマンスが面白くて、それでその後、話してみたら面白いからそのまま...友だちになっていくような感じなので、システマティックじゃないんです。だから次の作品がこういう作品で、こういう人が必要だから集めるというよりは、この人のここが面白いから、こんな作品ができないかみたいな話になってくることが多い。そんな考え方なので、プロフェッショナルのダンサーを呼んできてこうしてほしい、とか、あらかじめプランがあるわけじゃないんですよ、ダムタイプ作品の場合は。この人のここが面白いからそれをもっと引き伸ばして、他の要素をくっつけたらこんな作品になるね、みたいな。
それは人に関してだけじゃなくて...以前、シアトルの「On the Boardsオン・ザ・ボード」というオーガナイゼーションに『memorandum』の公演で行った時、もう次の作品(『Voyage』)の制作準備をしていたんですが、そのときに、何かネタになるようなものはないかなと思いつつ、空き時間を見つけては、メンバーでお互いにプレゼンテーションし合っていたんですよ。こんなライティングはどうだとか、こういう動きはどうだとか、こんな話はどうだとか。そんな中で、オン・ザ・ボードの事務所にこれが(机にある旧式のタイプライターを指して)転がってて、キーを押してみたらすごくいい音がする。ガチャガチャッて。何かすごく古臭いんだけどメカニカルな。面白いなあと思って事務所のスタッフに聞いてみたら、欲しいんだったら持っていっていいよみたいな話になった。でもこれ、こんな旧式ですけど一応使ってるらしくて、この押し込み式のタイプライターじゃないと打てない書類があるとか、カーボンコピーが取れるとかで。運よく予備が見つかったのでもらって帰ってきた。

――人もモノも同じように出会ってつながっていったのですね。 そんな感じ。出会いで...こんなことがしたいなあとかって。

作品生成のプロセス

――私の画廊とダムタイプのオフィスは、同じ建物の中で長らく隣同士でした。 はいはいはい、ですね。

――17年間ぐらいだったと思いますが、ダムタイプはオーディションしないのかとよく聞かれました。どうやったらダムタイプオフィスの戸は開くのか?という憧れや関心は当時とても強かったですよ。 グルッと開けてもらったら開くんですけど(笑)。

――どなたかメンバーがいらっしゃるときは事務所もオープンな雰囲気にされていたから、偶然友だちになれたり、建物内で合同パーティーを開いたときに出会った人もあると思いますが、普段は、やはり近づきがたい雰囲気もあったのだと思います。 もう全然そんな敷居高いつもりはなくて。
とにかく基本的に、「その人個人から出てきたものをどう活かすか」っていうつくり方をしていて...例えば、パフォーマーやダンサーの人は、これをやれ、あれをやれと言われたら、できることはできるし、できないことはできないって言える。でも単に「さあ、何か見せてみろ」って言われたら一番困る。すごく緊張してしまうというか、こちらもすごく気をつかってしまう。本当は面白いものをいっぱい持っているのに、最初の人間関係のつくり方次第で、もう、急に出てこなかったりするじゃないですか、その面白いものが。逆に、こんなことできるよって言ってクルクル回ってもらっても、こちらが全然ほしくないことだったら自分も盛り下がっていくし、相手も盛り下がっていく。そういう意味で人と出会うときっていうのは、自分も同じぐらい緊張する。

――パフォーマーに対しては、そういうハードルの高さ、つまり今まで積み重ねてきた技術が通用しなかったり、必要とされないということがあるのでしょうか? あり得ますよね。

――いくらでもクルクル踊れるのに、ふつうに食べてる姿が面白いからそっちが使われたりということがあり得るのですね。 そうなる可能性は大ですよね。

――日常においてハートフルな関係でないといけないというか。 そうそう。基本的にフラットな関係で一緒につくっていこうというスタンスですけど、だからお互い信頼関係がないとアイデアも出てこないだろうっていう感じはする。そこに至るまでが難しいというか。ずっと一緒にやってるメンバーとでも同じことなんですけどね。
「この人は何を考えてるんだろう?」とお互いわからないまま新しい作品制作に入っていくわけだから、そのときに最初のきっかけというか、「こんなアイデアを出してもこの人は認めてくれるかも」って思えるところまで来ないと、なかなか言えないじゃないですか。「これ言って無視されたら、どうしよう」とか思っちゃったり...。返事の仕方ひとつで変わるっていうか。お互いに何を求めてるのかわからないまま、「何か面白いものができれば」っていう一点のみで話をしてるから、信頼関係ができるまでは「えっ、そんなん面白い?」って言われたらスーッて気持ちが引いてしまってもう何も出てこなくなる。そういうのは緊張もするし、一方で面白いとも思いますよね。変なつくり方だなと。

――設立当時、メンバーの皆さんは学生だから、時間はゆっくり流れていただろうし、活動のゴールが経済的な成功ではなかったと思います。具体的で合理的な作品のつくり方を目指さなかったのは、京都で活動されていたからだという気がします。これがもし、目の前でいろいろな効率とか情報に巻き込まれていく東京やニューヨークでなら、作品のつくり方も違っていたでしょうか? それもそう思うんですけど、例えばいまのダムタイプでいうと、すごく個人個人の作業というか...藤本(隆行) は藤本で個人のプロジェクトをやってるし、薮内も他のアーティストとパフォーマンスしたりとか、池田亮司 ももちろん個人的に活動してますし、そういうのが始まり出すと、もう時間が調整つかなくなって、ほとんど会えなくなってくる。だからダムタイプとしてつくったのが『Voyage』でもう5、6年たってるのかな...そんなことになってきますよね。
東京にいたら、もっときっかけが多かったような気もしますね。出会う機会もどんどん増えて忙しくなっちゃうかも。そうなるとさっき言ってたみたいにドキドキしながら毎回緊張しつつ集団制作やってるよりは、自分の好きなことを自分の言った通りになるならやろうかみたいに、わーっとやっちゃう可能性はありますよね。そっちのほうが良かった人もいるだろうし...。
たまたまそのとき集まっていたダムタイプのメンバーが、みんなでつくるのを良しとするというか、楽しみにしていたというか...そういう意味では京都にいたからなのか、そういう人たちがいたからなのか。両方だとは思いますよね。
最初にダムタイプを立ち上げた頃の、古橋(悌二)、小山田(徹) 、穂積(幸弘) 、ほかにもいっぱい面白い人たちがいたけども、そういう人たちがいたっていうのは、本当にいろんな人がいたんで...そういう人たちがたまたま(京都市立)芸大にいて、いっしょの4年間の幅の中ですごい出会いができたなとは思うことがありますよね。それぞれが全部違う感じで、個性の違う人たちがうまいタイミングで集まったなっていうか。

▼古橋悌二
京都市立芸術大学美術学部卒。1984年のダムタイプ結成時からの中心メンバー。映像、音楽、身体表現などを駆使したパフォーマンス作品やインスタレーションを発表。1994年パフォーマンス『S/N』をアデレード・フェスティバル(オーストラリア)で初演。以降、翌年の古橋の急逝までの約20ヶ月間に、『S/N』は12カ国16都市で上演され、各地で大きな反響を呼んだ。古橋の死後も古橋不在の『S/N』は5ヶ国・6都市で上演された。また、『S/N』と同時期に古橋個人名義で発表されたビデオ・インスタレーション『LOVERS-永遠の恋人たち』は、現在、ニューヨーク近代美術館(MoMA)に収蔵されている。1995年10月、HIVによる敗血症のため急逝。

▼薮内美佐子
京都市立芸術大学大学院美術科修了。個展、グループ展で絵画やビデオ(アニメーション)作品を発表。1984年からダムタイプに参加し、舞台創作およびパフォーマーとして国内外で活躍。その他、The OK GIRLS、The Best ADULTSなどパフォーマンスユニットに関わり、ジャンルにこだわらない活動を展開している。現在、高谷史郎パフォーマンス作品『明るい部屋』に参加。

▼藤本隆行
1987年、ダムタイプに参加。『S/N』以降の作品では、照明並びにテクニカル・マネージメントを担当する。また、池田亮司のコンサートや海外のアーティストの舞台作品にも、照明デザインを軸に参加。近年は、デジタル・ディバイスの同期にフォーカスを当てた、LED照明デザインを特徴とする有機的な舞台を構築している。

▼池田亮司
1990年より音楽活動を開始。1995年以降は、コンサートやインスタレーション、レコーディングを通してサウンドアートの領域で積極的に活動している。振付家のウィリアム=フォーサイス(フランクフルトバレエ団)、現代美術家の杉本博司、建築家の伊藤豊雄、そしてダムタイプの舞台音楽など多方面にわたる活動をおこなっている。

▼小山田徹
1984年、京都市立芸術大学在学中に友人たちとダムタイプを結成し、おもに企画構成、舞台美術を担当(『S/N』まで参加)。1990年よりコミュニティセンター「アートスケープ」や「ウィークエンドカフェ」などの企画をおこなうほか、コミュニティカフェ「バザールカフェ」の立ち上げに参加。さまざまな共有空間の開発をおこなっている。

▼穂積幸弘
京都市立芸術大学在学中に古橋悌二、小山田徹ら友人たちと劇団座カルマで活動。それが前身となり、1984年ダムタイプ・シアター、さらには以降のダムタイプへと発展した。『睡眠の計画 Plan For Sleep』シリーズまで中心的な役割を担う。その後『Pleasure Life』からはメンバーによる共同演出へと、ダムタイプは創作形態をシフト・深化させていった。

  • Profile

高谷史郎 Shiro Takatani

高谷史郎 Shiro Takatani

1963年生まれ。京都市立芸術大学美術学部環境デザイン科卒。1984年アーティストグループ「ダムタイプ」の創設メンバーとして活動に参加。以降、ダムタイプのパフォーマンスやインスタレーションの創作に携わり,映像,照明,グラフィック・デザイン,舞台装置デザインなどを手がける。
主なパフォーマンス作品:「PLEASURE LIFE」(1988年初演)、「pH」(1990年初演)、「S/N」(1994年初演)、「OR」(1997年初演)、「memorandum」(1999年初演)、「Voyage」(2002年初演)
個人的な活動としては、1990年 建築家ダニエル・リベスキンド氏の依頼をうけて浅田彰氏との共同作業でオランダのフローニンゲン市の都市プロジェクト「STADSMARKERING - GRONINGEN / MARKING THE CITY BOUNDARIES」に参加。1998年 アール・ゾイドとリール・ナショナル・オーケストラ(フランス)のコラボレーションコンサート「DANGEROUS VISIONS」の映像制作。1999年 坂本龍一氏オペラ「LIFE」の映像を担当。また、ソロワークとしての映像インスタレーション「frost frames」を1998年に、「optical flat」(国立国際美術館蔵)を2000年に発表。2001年 霧の彫刻家・中谷芙二子氏とのコラボレーションによるインスタレーション作品「IRIS」をバレンシア・ビエンナーレ(スペイン)にて発表。2002年度京都市芸術新人賞受賞。
2005年 ラトビア国立自然史博物館で開催された「雪と氷との対話」展に参加。2006年日豪交流プロジェクトでオーストラリアに滞在、インスタレーション「Chrono」を制作・発表。2007年 坂本龍一氏とのコラボレーションによるインスタレーション「LIFE - fluid, invisible, inaudible...」(山口情報芸術センター)制作・発表。気候変動について考えるための北極遠征プロジェクトCape Farewell(イギリス)に日本人アーティストとして初めて参加。2008年 新作パフォーマンス「Die Helle Kammer(明るい部屋)」をTheater der Welt, Halle 2008(ドイツ)にて制作・発表など。


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