26, Sep 2014

京都の女性運動と「文化」 第3回(全3回)
――1990年代、リブとして生き続けることの模索

村上 潔(女性史研究者)

この連載も最終回となった。最後に、1990年代の話で締め括りたい。〈シャンバラ〉から〈とおからじ舎〉へ、ときて、さてその後、京都で「リブ」だった人はどうしたのかという話だ(※1)。

前回記したように、〈とおからじ舎〉は、1987年の春頃、スペースを閉め、その活動を終えた。その後、〈とおからじ舎〉のメンバー、滝川マリと冬木花衣、そして〈とおからじ舎〉には参加していなかったが〈シャンバラ〉に深く関わっていた高野未生の3人は、新たな試みを始める。それは、少し可愛らしいミニコミ誌の発行だった。

そのミニコミ誌は、『いま、何時?』という。一風変わったタイトルだ。タイトルが意味することについては追って考えるとして、まずは、なぜ彼女らがこの活動を始めたのかを確認しておこう。

冬木は、「〈とおからじ舎〉がうまくいかなかったことを総括していったのが、『いま、何時?』につながるきっかけ」(※2)と語る。〈とおからじ舎〉を閉じたあと、毎週月曜日の夜、滝川の家に先述の3人が集まり、「総括」の話し合いを続けた。滝川は、その内容を、「グループの軋轢みたいな問題、それは必ず出てくる。〈とおからじ舎〉のことも話しながらもっと全体的に、組織の問題点とはなんだろう、ってことをずーっと話してた」(滝川・冬木・ぶんた 2007: 42)と述懐する。

「組織の問題点」は、〈シャンバラ〉を閉じる際に露わになった課題だったが、〈とおからじ舎〉もまた、同じ課題を内包し続けていたということになる。女たちの運動が続く限り各所で形成され、変化や消滅を余儀なくされていく、運動の主体となる組織。その運営のありかたを 、滝川・冬木らはずっと真摯に粘り強く考え続けていたことがわかる。その思考の一面として、滝川は、東京の〈'82優生保護法改悪阻止連絡会〉(※3)の「「優生保護法改悪反対」っていう、一つのものを軸にして、それで集まると。それでひとりひとりの思想性を問うわけじゃない、そういうつながりかたをするほうがベターだと」いう方向性を、「それはそれである程度すっきりしていて、運動体として持続しかつ広がりを持つような感じで成功しているなと思う」(滝川・冬木・ぶんた 2007: 42)と評価していた。しかし、滝川らが自らの活動における方向性の「結論」として出した『いま、何時?』は、それとは異なるものだった。

村上:[...]でも〈とおからじ舎〉以降、そうした〔「優生保護法改悪反対」のような〕大きなシングル・イシューはなくなるわけですよね。そうした中でみんなの結束なりモチベーションのようなものをどう持続させていくか......、というようなことは『いま、何時?』の前に話し合ったんですか?
マリ:いや、組織を持続するためじゃなくて......。
花衣:もうその時点では、運動体ではないから。
村上:〈とおからじ舎〉は運動という意識でやってたわけですよね?
花衣:そうそう。でも『いま、何時?』は総括を含んだ思想獲得......。
マリ:そう、次に紡ぐ思想は何なのか、という。
花衣:時代をどう受け取っているのかという表明と、あと私だったらフェミニズム批判的なことがテーマだったりもしたけど。(滝川・冬木・ぶんた 2007: 42)

『いま、何時?』を始めるにあたり、彼女らは自分たちを「運動体ではない」と規定していた。そうなると、『いま、何時?』を、単純にそれまでの「リブ(としての)運動」の一環として位置づけることは難しくなる。もちろん、「リブ」・「運動」というテーマが彼女らの中心課題であることは変わらないのだが、それを自らの実践で体現する(運動のただなかに身を置く)活動ではなく、運動の総括を通した「思想獲得」という、一歩引いた位置からの静的なアプローチを試みた活動が、『いま、何時?』だったということになる。

※1)いうまでもなく、京都のリブが〈シャンバラ〉と〈とおからじ舎〉に収斂(しゅうれん)されるわけではない。その「全貌」は残念ながらこの連載では展開できない。

※2)滝川マリ・冬木花衣・ぶんた(聞き手=村上潔)「(インタビュー)80年代京都におけるリブ運動の模索――〈とおからじ舎〉へ、そして、それから。」(『PACE』Vol.3: 36-49、2007年): 41

※3)略称〈阻止連〉。1996年に〈SOSHIREN 女(わたし)のからだから〉に改称。


村上 潔 MURAKAMI Kiyoshi
村上 潔 MURAKAMI Kiyoshi

1976年、横浜市生まれ。
2002年から2005年まで、『remix』(アウトバーン)に、映画・音楽に関する記事を寄稿。その後、『音の力 〈ストリート〉占拠編』(インパクト出版会)、『VOL』(以文社)などに寄稿。
2009年、立命館大学大学院先端総合学術研究科一貫制博士課程修了。現在、立命館大学衣笠総合研究機構准教授(特別招聘研究教員)、ならびに神戸市外国語大学非常勤講師。専門は、現代女性思想=運動史。
著書に『主婦と労働のもつれ――その争点と運動』(洛北出版、2012年)など。現在の主たる研究テーマは、「〈新日窒労組主婦の会〉の歩みの記録とその女性運動史的分析」。定期的に水俣に通って調査を進めている。

村上 潔 紹介ページ
(「生存学」創成拠点 arsvi.com WEBサイト内)
http://www.arsvi.com/w/mk02.htm

AMeeT Column
京都の女性運動と「文化」 第1回(全3回):序論
――女のスペース〈シャンバラ〉の活動から
http://www.ameet.jp/column/
column_20140505/#page_tabs=0

AMeeT Column
京都の女性運動と「文化」 第2回(全3回)
――〈シャンバラ〉以後、1980年代のリブ運動
http://www.ameet.jp/column/
column_20140708/#page_tabs=0


では、ミニコミ誌としての『いま、何時?』そのものを確認していくことにしたい。

  • 0:00A.M.号(1988年7月1日発行|17p.|原稿数:5+はじめに)
  • 1:00A.M.号(1989年1月1日発行|26p.|原稿数:5)
  • 2:00A.M.号(1989年7月1日発行|17p.|原稿数:4+コラム:4)
  • 3:00A.M.号(1989年11月8日発行|19p.|原稿数:3+コラム:3)
  • 4:00A.M.号(1990年4月5日発行|「春の特大号」|22p.|原稿数:7)
  • 5:00A.M.号(1991年4月30日発行|17p.|原稿数:6)
  • 6:00A.M.号(1992年2月28日発行|19p.|原稿数:5)
  • 7:00A.M.号(1994年5月26日発行|25p.|原稿数:7)
  • 8:00A.M.号(1995年1月23日発行|17p.|原稿数:6)
  • 9:00A.M.号(1995年10月20日発行|21p.|原稿数:6)

以上が刊行一覧である(判型はすべてB5版)。一見してわかるとおり、不定期刊行である。執筆者は、創刊当初、滝川・冬木・高野の3名、のちに、ぶんた・中尾映・小田めい・牧野耀子が加わる。原稿はすべて個人によるエッセイである。

各号の内容は、先述した毎週月曜夜の話し合いが発展したものである。実際に女たちがひとつの場に集まり、顔を突き合わせて話をする。それがもとにあったうえでできた刊行物であった。その会合の様子は、最後に執筆メンバー入りした牧野の記録によれば以下のようなものだった。

月曜ごとの集会に参加するようになっておよそ2ヵ月。月曜の夜、[…]マリちゃんの家に女達が集まり、とりとめもなく話しをしています。このとりとめのなさが、この集会の極めてすぐれたところではないかと、私は思っています。テーマを決めて効率よく議事進行をはかったり、集会をしきる人間が居ないのです。一見、だらだらした集まりのようですが、各々が自然体で、その時々に、自分がかかえている問題、気になる事件、政局の動向、女の現在、暮らしの在りようなど話したい人が話すのです。各々が話す事で、自分の問題を共有してくれる仲間の存在によって、心が癒されているのだと思います。この集会が何年も続いている事に納得する所以であります。(牧野耀子「よっちゃんののぞみ」『9:00A.M.号』: 5)


〈左図〉写真1:『5:00A.M.号』表紙 〈右図〉『6:00A.M.号』表紙

〈左図〉写真1:『5:00A.M.号』表紙 〈右図〉写真2:『6:00A.M.号』表紙

〈左図〉写真3:『7:00A.M.号』裏表紙 〈右図〉写真4:『8:00A.M.号』裏表紙

〈左図〉写真3:『7:00A.M.号』裏表紙 〈右図〉写真4:『8:00A.M.号』裏表紙


そして牧野は集まるメンバーたちを、「それぞれが個性的魅力に溢れており、時代の様々な事象に意識の光をあてて、自らの知性を磨き、思想を創造しようと努力している」(同「よっちゃんののぞみ」『9:00A.M.号』: 6)と評している。

このように、あくまで話し合いの原点は個人の状況・実感・問題意識であり、冊子の編集会議といったものではなかった。議事進行をしない、場を仕切らない、という点は、「組織の問題点」の総括によって得られた――その場にいる誰もが抑圧を感じないための――方法論だと考えられる。また、当初の目標の「思想獲得」という点でいえば、ひとつの思想を集団で先鋭化させるというかたちではなく、各個人の思考をみなで共有するという意味合いが強かったことがわかる。主役はあくまで組織ではなく個人であった。

その姿勢は、受け手に対する呼びかけからも読み取ることができる。『0:00A.M.号』と『4:00A.M.号』の表紙に示されたコピー文は、「とまどいの季節に/ひとりひとりが終止符を打つために/あなたに問う/いま、何時?/……と」というものだ。呼びかけの対象は、「ひとりひとり」=「あなた」。「個」の単位だ。

しかし、これは関係性を限定しようという意図ではない。それは、『0:00A.M.号』の「はじめに」で滝川が書いている以下の文面を見ればわかる。

20代・30代・40代、各々の年代に配分された私たち3人。なんとなく集まったわけでもなく。政治活動のためだけに集まったわけでもなく。
図形は三角形。
一人では、対象のない点でしかない。
二人では、接点を結びうるのは線にしかならない。
三人は【ママ】、 線ではなく面ができる。
人は点や線より面の中で生きるほうがおもしろい。残念なのは限界の三角形。三角形のおもしろさもあるのだが、多角形へとのびる方がきっと醍醐味が味わえるはず。(滝川マリ「はじめに」『0:00A.M.号』: 1)

望んでいるのはより角の多い面。つまり、多くの個人の集合だ。均質な円にすべてを包んでしまうのではなく、ひとつひとつの角を増やしてつないでいく。そうした個と集合のかたちが、彼女らの理想型として想定できる。


また、世代に対する意識もおもしろい。3人の年代がずれていることを、彼女らはおそらく多様性として肯定的に考えている。そして、そのヴァリエーションをもっと増やしたいと考えていたのだろう。『7:00A.M.号』の表紙のコピー文には「世代を越えて女が集い語らい/時代を問い/思想を生むっ……!?」とある。〈とおからじ舎〉では、若い世代と(リアルタイムのリブである)先行世代とのギャップが運動体の問題として表面化していた(本連載第2回参照)。『いま、何時?』を始めるにあたっての「総括」では、それは大きな課題となっていたはずである。とすればその答えが、ひとつの世代=ひとりの個人=ひとつの「角」という思考であったと考えられる。実際に、1995年に最後に執筆メンバー入りした牧野は、「間もなく50才の誕生日を迎える」年齢の「ニュー・フェイス!」「ルーキー」(牧野耀子「よっちゃんののぞみ」『9:00A.M.号』: 4)だったが、冬木・ぶんたのような当時30歳近くだった世代ともかなりざっくばらんな関係性を築いていた。それは、毎週月曜夜の話し合いの場が、誰にとっても抑圧的でないかたちで作られていたことが大きいのだろう(※4)。

次に、『いま、何時?』において「時代を問う」ことがもっとも大きな課題とされ、強調されていることについて検討したい。そもそも『いま、何時?』というタイトルからして、リアルタイムの状況規定を意識化しようという意思を象徴しているわけだが、そこではより長いスパンでの時代性が前提とされている。それは特に、女性解放運動の段階論としての意味において、である。

その段階論には2つの側面がある。ひとつは、京都のリブ運動内部における時間の流れだ。〈シャンバラ〉に深く関わっていた高野は、『0:00A.M.号』でこのように述べている。

女たちと出会い、語り合うことは、はじめ自分自身と出会う鍵を受け取ったことだと思った。10年前。互いを照らし合い、伝えたい自分を視つめるのは。【ママ】おもしろかった。それからいろんなことを女たちと一緒にやった。共同生活、勉強会、コンサート、芝居、集会、合宿、旅そしてお店。いま思えば拙いことをいっぱいやって稚い過ちがたくさんあった。反発、憎しみ、離合集散の積み重ねだ。
それでもやっぱりまだ女たちといる。いま具体的な共通項はなにもない。ただ女たちと語り合った10年余の時間がわたしにふかくくいこんでいる。他の対象とでは語りきれぬところまですくいあったことばがある。そのことの意味をこのごろあらためて考えている。リブ以降の女たちの抽象性について。それが観念の遊びではなくまさに具体性の生をたすけるそのことについて。[…]わたしはこれからそのあたりのことをこの10年を振り返ることも含めて文字化していきたいと思っている。(高野未生「女のことば」『0:00A.M.号』: 2)

〈シャンバラ〉が女のスペースとして生まれ変わったのが1977年。一度閉店し、新体制で再開したのが1979年。その約10年後の1988年にこの『0:00A.M.号』は出ている。京都のリブが花開き、そして挫折した10年。それを顧みて、それをふまえて、いま、女たちについて、女たちとともに、何が語れるのか、語り合えるのか。高野の問題意識は、京都の女たちのこれからのありかたを模索するという意味で、時期的な必然性をもったものだった。当然この問題意識は、高野以外のメンバーにも共有されていたはずである。

※4)『0:00A.M.号』の時点から、冬木は〈とおからじ舎〉時代以来の先輩にあたる滝川のことを、愛称の「らんちゃん」(『0:00A.M.号』: 15)で呼んでいる。こうした点からも風通しのよい関係が窺える。


もうひとつは、日本の女性運動・女性思想をめぐる大きな動向の側面である。その動向とは、簡潔にいえば、リブからフェミニズムへ、という流れとなる。『いま、何時?』において唯一一貫したテーマで書かれていた原稿が、冬木による、リブの立場からのフェミニズム批判のエッセイだった。以下がその内容の原稿を抽出したリストとなる。

  • シリーズその1 「フェミニズム」とは何だったのか?――日本における“現象”としての「フェミニズム」をみつめる(『0:00A.M.号』)
  • シリーズその2 「フェミニズム」とは何だったのか?――もーはや【ママ】、ほとんどひっちゃかめっちゃかの試行錯誤(『1:00A.M.号』)
  • シリーズその3 「フェミニズム」のターニングポイント――そこにちょっぴりの憎しみが混入される日(『2:00A.M.号』)
  • 85年りぶ【ママ】の7年目――再びフェミニズム批判(『6:00A.M.号』)
  • リブという言葉(『6:00A.M.号』)
  • 近代主義とアジア的なるものと女解放(『7:00A.M.号』)

高野は「リブ以降」という表現を使っていたが、冬木はあくまで、自分をリアルタイムの「リブ」として規定し――1992年の時点で彼女は、「7年目、私のリブの日々新たな始まり」(「85年りぶの7年目――再びフェミニズム批判」『6:00A.M.号』: 7)という表現をしている――、その立ち位置から状況を論じている。そして女たちの状況を論じるうえで、「1990年代」という時代が大きな意味をもっていることを確信的に提起する。

1991年、この時、時代をどうとらえるべきだろうか。90年、私達は、相変わらず話し合いながら、「いま、何時?」を出すことができなかった。
70年代、女たちが変わることと、時代が変わることは、ともに歩調を合わせるかの如きイメージを私は持つ。女たちの状況は進行形であり女たちは時代を生きたのだと。80年代、フェミニズムの台頭。[…]それは70年代の系譜を手繰りつつ、そこから取りこぼされた女たちをも巻き込む、広範囲の運動ととらえられてはいるが、私にはむしろ知的部分の女たちの学術的野心が先行し、70年代の息吹を封じ込め、そこと断絶し、キャッチフレーズとは裏腹に、女たちが分断された10年だと思える。言い替えれば、その10年において女たちは時代に乗っかったとはいえても時代と歩調を合わせそれをつくっていくことはなかった、ということでもある。[…]
では、90年代というこの10年間を、私達はどのような色に染め上げていくのか、そうして後に何を残していけるのだろうか。(冬木花衣「いま、何時?をどう問いかけたらいいのか?」『5:00A.M.号』: 1)

ここからは、1970年代以降の女たちをめぐる時代状況の変化を冷静にふまえたうえで、いま、つまり1990年代を迎えるにあたって、自分たちがどんなアプローチをとれるのか、とるべきなのかを、かなり慎重に思考している様子が窺える。『4:00A.M.号』(1990年4月5日発行)と『5:00A.M.号』(1991年4月30日発行)のあいだがちょうど1年間あいていることの理由は、ここにあると見てよい(※5)。リブの時代からフェミニズムの時代へ、という「発展的」な流れの位置づけに対する違和感と、その過程で失われた「力」に対する喪失感。そして、「女たちが分断された10年」(1980年代)のあとに、どのような女たちの思想を、運動を、つながりを提示することができるのかという、きわめてシリアスな問い。冬木は、それらを丸ごと抱え込んでいる。

※5)冬木は「90年、私達は[…]「いま、何時?」を出すことができなかった」と述べているが、これは単純に勘違いだろう。ただ、逆にいえば、それだけこの空白の1年間が彼女らにとって大きな意味をもっていたということだ。


それではなぜ、1990年代において、あえて「リブ」なのか、「リブ」にこだわるのか。冬木はその理由を、約1年後の『6:00A.M.号』(1992年2月28日発行)で以下のように述べている。

リブという言葉は、時代とか、思想とか、存在とか、運動とか、表現とか生とかと、自由変化に置き替え得る言葉としてある。だから、それぞれに置き替えて、私は語ったほうがいいのかもしれない。しかし、それら言葉の群れを大胆にも一気にひっくるめて語りたい欲求がある。そうして私は、また、リブと言ってしまう。
しかし、リブを語る困難、というよりは、このあらゆることをひっくるめた全体を、語るということが、この時代に最も困難なこととしてある。この困難は、生きることの危うさにも通じる深刻な事態なのだということは、もっと自覚されるべきだろう。生きている個体も、運動する個別も、本来は、それ自体のうちに、全体性を内包しているものだし、それゆえに豊かであるはずなのだ。にもかかわらずそれを見失い、それをつかまえそこなった地平で生きるということは、貧しくもあり、つらいことでもある。私は、困難であるから、リブという言葉に安易に寄りかかりたいのではない。この言葉を使って、今のこの事態、この状況を打ち破ってみたい。
その願いを手放すことができないということなのだ。(ふゆきかい「リブという言葉」『6:00A.M.号』: 18)

「リブ」という主体性でしか、自分たちが、女たちが本当に必要としている本来の生の姿、時代を生きるダイナミズムを取り戻すことは不可能だ、という認識のもと、この茫漠たるアポリアの海に泳ぎ出している彼女の姿が思い浮かぶ。これはひとつの決意表明であり、人生を賭けた実践なのだ。そう言ってしまってもよいだろう。そして、だから、『いま、何時?』の存在自体も、「全体性を内包しているもの」と捉えるべきなのだ。

ではここで、『いま、何時?』の内包している全体性、つまり誌面の全体的様態について補足しておこう。この冬木の一連のシリーズを除く各人のエッセーは、時事評論的なもの、文化時評的なもの、近況報告が大半を占める。『8:00A.M.号』が唯一、「死刑制度から私達を考えてみるという特集」(『8:00A.M.号』: 表紙)としてひとつのテーマで構成されているが、それ以外は内容に統一性はない。時事評論的なものには、「天安門」・「NOMO」(野茂)・「核実験」といったキーワードが見られる。文化時評的なものでは、中尾映が初登場で執筆した映画・美術展批評(「観るもの 観れるもの 観たいもの」『6:00A.M.号』: 9-12)が、異色のフレッシュなスタイルの原稿で目を引く。また、滝川は歌謡曲に造詣が深く、加えてかなりのテレビウォッチャーでもあり、文面のそこかしこに芸能人の名前が散見されるのがおもしろい。近況報告の内容は、生活のこと、仕事のこと、自身の病気のこと、と様々である。他のメンバーの病気をわが身に引きつけて書かれたコラムも散見される。そうした「女の身体」の問題に敏感である点は、リブ的な特徴といえるだろう。これらに加えて、ランダムに詩や雑感コラムが挿入される。それぞれの書き手には文体に確固とした個性があり、一見して誰の文章かがすぐにわかる。その性格・趣向の多様性と、各号のなかで個性が調和しているさまのバランスが、とても大らかでのびのびとした印象を与える。肩肘張った運動の機関誌らしさはなく、まさに自由なミニコミ誌。結果として、全体的にそういえる作りに仕上がっている。


さて、先に『いま、何時?』を、「思想獲得」という、一歩引いた位置からの静的なアプローチを試みた活動だと規定した。だがその一方で、『いま、何時?』のメンバーたちは、現実の個別的な問題に関する地道な取り組みも同時に進めていた。死刑制度に反対する運動への支援は、『いま、何時?』刊行中から取り組まれており、先述のとおり『8:00A.M.号』はその特集となっている。また、『いま、何時?』が事実上終刊した1995年には、戸籍のない子どもへの児童扶養手当支給を求める取り組みを始動させ、実質、これが『いま、何時?』の活動枠組みを引き継いだかたちとなった(※6)。なお、この取り組みはその後、戸籍のない子どもへのパスポート発給を求める運動に移行している。こうした点から、『いま、何時?』はたんなる思想獲得のための(思想のための思想の)活動であったわけではなく、絶えず実際の運動領域へのフィードバックも意識し続けた活動であったと捉えるべきであろう。

いうまでもなく、当時(1980年代後半~90年代前半)の社会運動・女性運動をとりまく政治・社会状況は、きびしいものであった。文化状況ではポストモダンの流行があり、運動とそれに連なる思想は、後景に退いていく。したがって、『いま、何時?』の誌面にも、怒り・苛立ち・不安がにじみ出ている文章が少なくない。だが、各号をとおして、全体的なテイストは、楽天的で、ユーモラスで、のびやかだ。それは、ぶんたによって描かれた表紙・裏表紙の画を見てもわかる(画像4点を参照)。ここには、女であること、女たちがともにあることへの、純粋なよろこび・希望・期待がある。

「滝川マリのも、冬木花衣のも、今、このとき出会うなんて、これは偶然じゃない。それぞれが唯一の生き方、思考から、コトバを発してる。でも、それは、確かに、私のコトバに重なる、つながるヨ。[…]私は私のコトバの組み立て方で、私の方向に進むつもり。時々“いま何時?”【ママ】のような私の姉妹を思わせる声、コトバ、女たちに出会いながら」(「“いま、何時?”に参加した女たちへ」『8:00A.M.号』: 16)という読者からの反応を受けて、冬木は、「引き裂かれ、分裂し、必死になってルーツと足場を発見し、発明し、けれども再びそれらがもろくも崩れるように感じる私たち。/何度も分かれ、何度も迷い、それでも見つけたい気持ちを私もまた発し続けたい。そのことで共有できること、つながれること、を見つけるのは、きっと楽しいって、まだ信じたい」(同上)と、感情を強く吐き出しつつ応答している。どこまでも、女として、女たちがともにあること 、女たちと出会えることの可能性を信じている姿勢が見える。

※6)終刊号となった『9:00A.M.号』には、終刊をにおわせる記載はない。したがって、この号で終わりにすると決まっていたわけではなく、メンバーが関わる現実の運動の進展により、結果として『いま、何時?』という媒体の役割が終わったということになる。


1980年代、現実の社会運動・女性運動の世界では、様々な形態でシングルイシュー化が進行した。それは『いま、何時?』のメンバーたちにとっても受け入れざるをえない現実であったし、事実、彼女ら自身の運動形態もそれを反映していた。そのぶん『いま、何時?』では逆に、女をとりまくことをなんでも、という全体性を重視した理念で、話し合いと誌面作成を進めていたと考えられる。

しかし、彼女らはなにも、現実の世界で、女をとりまく問題全般に包括的に取り組んでいくことを諦めたわけではない。冬木は、2007年のインタビューでこのように語っている。

結局、個別イシューって言うけれど[…]私の頭の中では全部総合的なものを入れたいって欲求はあるんよ(笑)。パスポート問題、戸籍の問題っていうのは大きなテーマなんだけど、問題っていうのは全部つながってるから。労働問題も、シングル・マザーの問題も。とにかく私がいままで出会った女たちとは、テーマにしようと思ったことを共有したいと思っているし、そのことを自分の中にちゃんと積み上げておきたいっていうのはある。それぞれの女たちだって、たとえば反原発のことをやっている人だって、それだけを考えているわけじゃないだろうし。ずっとやっているとどこかでお互いが何かでつながったりする。そういうゆるやかにつながりあっている何がしかの関係性みたいなものは日本全国にあるといえばあるし。そういったものがどういうかたちになっていくかはわからないけれども……。またさらにいろんな世代や性別を越えて交流できればいいなあ、とは思ってる。(滝川・冬木・ぶんた 2007: 44)

この淡い期待は、現在目に見えるかたちとしてある運動の実態を基準に考えてしまうと、むなしい絵空事のように感じられるかもしれない。だが、ある段階における特定の政治的イシューではなく、一見それとは無縁の、何かしらの小さな文化が、表現が、あるいは文化や表現以前の感情表出が、女たちを結びつける「かたち」を生み出すことはあるだろう。いま私は、それを見定めたいと、切に思う。それはきっと、『いま、何時?』のような実践とどこかでつながっているし、当時彼女らが試行錯誤していた過程と、どこかで重なっているはずだ。


この3回の連載をとおして、①京都のリブ運動の強い連続性、②その過程における困難の様相、③困難を乗り越えて模索を続ける姿勢、④その模索において垣間見える「女」という自己規定の意味、⑤すべての活動に付随する文化的側面、といった諸点を提示することができたのではないかと思う(※7)。しかしここで止まってしまっては、ただ女たちの運動を歴史化してパッケージしただけになってしまう。問題は、これまで女たち自身によって問われ、模索され、検証され、確認されてきた意識・思考・スタンス・方法論を――その「全体性」を損なわないかたちで――、文字どおり引き継いでいくことだ。

改めて考えてみれば、『いま、何時?』というタイトルは、運動の世界内外のすべての女たちに対する、「あなたたちは、いまこの時代をどう受け取っているのか?」、「わたしたちの思想獲得は、どの段階まで進んできたのか?」という問いかけだったと捉えることもできるだろう。それはもちろん難しい問いだ。問いを発している側も、はっきりと答えをもっているわけではない。だからこそ、発さずにはいられない問いだったのだろう。その結果として『いま、何時?』はゼロ(「0:00A.M.」)からスタートし、結果として「9:00A.M.」で針が止まった。この進みは早かったのか、遅かったのか。時間はその後どのように、どこまで進んだのか。これからの時間は、どのような「かたち」のもとに進んでいくのか。こうした問いを、いま問わねばならないし、解かねばならない。そして、改めて何度でも、「いま、何時?」と問いかけていく必要がある。

リブの女たちもきっとずっとそう考えてきたはずだし、いまもそう考えているだろう。だから私は、過去の、現在の、リブの女たちと同伴して、その答えを追い求め、同時に問いかけを続けていきたいと思う。

最後に、ぶんたが『いま、何時?』に初登場した際の締め括りの言葉を引いて、この連載を終えることにしたい。この連載が、まだ見ぬ誰かの心に「響いて」いることを祈って。

女だからというだけで連【ママ】がれるとは思っていない。ただ、危うい地点からでも、何らかの声を上げずにいられない女という存在と、わたしという女の希望を響かせ合いたいと……。(紫野ブンタ「初登場」『5:00A.M.号』: 9)

※7)心苦しい限りだが、いうまでもなく、この連載で到達できなかった課題は多い。京都の運動の進展過程を構成した(人的・地理的・歴史的)諸要因の解明、女性運動と「文化」との関係性の理論化といった懸案がこの先に立ちはだかっている。これらは今後の筆者の研究活動のなかでじっくりと取り組んでいきたい。


京都の女性運動と「文化」 第3回(全3回)
――1990年代、リブとして生き続けることの模索

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