21, Nov 2014

タイルホコラツーリズム ――信仰を観光する

中村 裕太(美術家)

京都の大路小路を歩けば、町家の軒下や辻などのいたる所で路傍祠(ろぼうし)に出会う。道祖神の信仰と結びついた地蔵菩薩や、大日如来などが祀られたそれらの祠は、町内というコミュニティによって受け継がれてきた。そのため早朝、町内のお年寄りが祠のお世話をして手を合わせている姿や、地蔵盆で子供達が数珠を回している姿は、京都固有の光景となっている。

京都市は「京都をつなぐ無形文化遺産」という事業で、「京の食文化」「京・花街の文化」に続き、第3号として「京の地蔵盆」を選定することを進めている(※1)。このように京都の地蔵祠は、地蔵盆などの風俗とともに語られてきたが、その〈イレモノ〉である祠について考える機会はあまりなかったのではないだろうか。京都市内の路傍祠を見回してみると、土台を石積みやモルタル造とし、祠を木組や石造の意匠とするものが主流であることが分かる。

図1 中京区壬生御所ノ内町

図1 中京区壬生御所ノ内町

ところが、局所的にモルタル造の祠や土台の構造に、マジョリカタイルやモザイクタイルを張り巡らせたいわゆる〈タイルホコラ〉に出会うことができる(※2)。京都市内の地蔵祠がおよそ5000体あるとされているが、これまで私が京都市内を街歩きして確認できたタイルホコラは41体である(※3)。グーグルマップにその分布を記したので参照してもらうと、西ノ京、三条商店街、大宮周辺に集中していることがわかる。

タイルホコラツーリズム

そこで、本コラムでは、〈タイルホコラツーリズム〉と題して、京都市内のタイルホコラを観光していくことで、その生態の一端を明らかにしていきたい。

※1)京都をつなぐ無形文化遺産 京の地蔵盆 http://kyo-tsunagu.net/jizo/

※2)タイルホコラの基準は、土台などに卍型のモザイクタイルのみを張り付けた祠は除外し、祠や土台をタイル張りにしたものだけを認定した。

※3)利光有紀「京都のお地さま わたしたちのまち探検」『季刊民族学』14(3)、p59-69、1990年、千里文化財団


中村 裕太 NAKAMURA Yuta
木ノ下裕一 KINOSHITA Yuichi

1983年東京生まれ、京都在住。2011年京都精華大学芸術研究科博士後期課程修了。博士(芸術)。博士論文「郊外住居工芸論―大正期の浴室にみる白色タイルの受容」。京都精華大学・京都造形芸術大学非常勤講師。〈民俗と建築にまつわる工芸〉という視点からタイル、陶磁器などの理論と制作を行なう。最近の展示に「六本木クロッシング2013展:アウト・オブ・ダウト―来たるべき風景のために」(森美術館、2013年)、「タイルとホコラとツーリズム」(Gallery PARC、2014年)など。またapplied arts(応用芸術)としての工芸を作り手の視点から読み解き、その制作の方法を探っていく〈APP ARTS STUDIO〉 という教育プログラムを運営。


はじめに、タイルホコラの観光ルートを案内する。JR円町駅を降り、佐井通を南に下り、朱雀第六小学校に向かって西に行くと、水色のタイルで土台を覆い尽くしたタイルホコラに出会える。

図2 中京区西ノ京中御門西町

図2 中京区西ノ京中御門西町

他のタイルホコラにも共通することだが、祠の表面に内装用タイルが張られているのは、水洗いができ、清掃しやすくするための工夫でもある。
続いて、南下して太子道を東に歩くと、建売住宅のブロック塀の裏にタイルホコラが鎮座している。重厚感がある石積みの土台の祠には、 ボーダータイルやレリーフタイルが張り巡らされている。モルタル造の屋根の裾は反り上がり、中心部分には緑釉のタイルがはめ込まれている。近くの喫茶店には、形状の類似した茶色のボーダータイルも見受けられた。

図3 中京区朱雀第二西ノ京右馬寮町

図3 中京区朱雀第二西ノ京右馬寮町

次に、丸太町通を北に抜け、図書館近くの路地を西に入ると、屋根にまでタイルが張られた総タイル張りの祠に出会う。

図4 中京区朱雀第二西ノ京左馬寮町

図4 中京区朱雀第二西ノ京左馬寮町

そして、そのまま下立売通を西に向かうと簡素なブロック積みの白色タイルの祠がある。

図5 上京区仁和長門町

図5 上京区仁和長門町

最後に、千本丸太町を西南に抜けると、四本足のホコラが駐車場に立っている。桃色の内装タイルとマジョリカタイルに覆われており、屋根の中心部のみ木製である。足元の陶製の札には、1954年に建てられたことが記されている。

図6 上京区出水主税町

図6 上京区出水主税町

ここまで、ゆっくりと歩いて、1時間ほどのルートである。ルート上には、今回取り上げられなかったタイルホコラが潜んでいるので是非巡っていただきたい。


今回のルート上からは外れるが、壬生寺近くのタイルホコラも紹介したい。

図7 中京区朱雀第三壬生賀陽御所町

図7 中京区朱雀第三壬生賀陽御所町

今年の夏に地蔵盆の時期に合わせて「タイルとホコラとツーリズム」という展覧会を谷本研さんと開催したことが縁で、その祠のある町内の地蔵盆に参加した(※4)。朝、町内のタイルホコラに着くと、すでにお地蔵さまは近くの会場に移され、祠はもぬけの殻となっていた。

図8 中京区朱雀第三壬生賀陽御所町

図8 中京区朱雀第三壬生賀陽御所町

モルタルに張り付けられているように見えたタイルは取り外し式になっており、一年に一度お地蔵さまを移すときにだけ取り外されるのである。地蔵盆の会場では、壬生寺のお坊さんの読経に合わせて、町内の子供達が数珠回しをしていた。

図9 中京区朱雀第三壬生賀陽御所町の地蔵盆

図9 中京区朱雀第三壬生賀陽御所町の地蔵盆

遠巻きにその様子を眺めていた町内の方々にタイルホコラが作られた経緯を尋ねてみると、町内の左官屋により制作されたことが判明した。早速その左官屋の方のご自宅を訪ねてみると、祠を作った左官工の息子さん夫妻が温かい対応をしてくれた。ご夫妻によると、先代は生前、左官工として壬生寺の塀などを施工されていた方で、壬生周辺にも造詣の深い人物だったそうである。タイルは、他の物件で余剰になったものを張り合わせていたという。(先ほどの朱雀第二西ノ京右馬寮町のタイルホコラと喫茶店のボーダータイルもそうした関係かもしれない。)また祠の屋根についていた猫のような造作は、実は寅であり、祠が寅年に建てられたため、そのような造作を施したという。ご自宅の床の間には、祠の寅に良く似た陶製の寅の置物が置かれていた。

※4)「タイルとホコラとツーリズム展」Gallery PARC 2014年 http://urx.nu/dq5G


このように身近な信仰の対象である地蔵祠は、地蔵盆などの風俗とともに町内ごとに受け継がれてきた。戦後のタイルホコラが多く作られた時期は、タイルは高価なものだったが、その耐水性と装飾的な要素が相まって、真正な技術としての木組や石造ではなく、タイル張りが選択されたのではないだろうか。

しかしながら、そうしたタイルホコラも次第に姿を消しつつある。左京区の百万遍の交差点を北西に上がった所にはかつてモザイクタイルで覆い尽くされたタイルホコラがあったが、久々にその場所を訪ねてみると、祠は跡形もなくなっていた。

図10 左京区養正田中大堰町

図10 左京区養正田中大堰町

近くの米屋の主人に訪ねると、そのタイルホコラは戦前に近くの工務店が作ったものだったが、タイルの老朽化が進み、崩れてきたので取り壊すことになったという。現在は、お地蔵さまを裏道に移動し、新たな木組の祠が再建されていた。

タイルホコラを巡っていくと、町内という単位において独自の発展してきた生態をつかむことができる。このようなタイルホコラをただ局所的な事例としてとらえるのではなく、神社仏閣などの名所を巡礼していくように、観光してみてはいかがだろうか。


タイルホコラツーリズム ――信仰を観光する

Category: Column





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