25, Feb 2010

古いものを残すということ

小山 登美夫(小山登美夫ギャラリー)

Tom Friedman, Installation View at Tomio Koyama Gallery Kyoto
photo by Yasushi Ichikawa

京都にギャラリーをオープンして一年余りが立ちます。友人から誘いを受け、「私も京都に移るので、小山さんも京都にギャラリーを出しませんかー」と言われて、軽い気持ちで始めたのでした。敗戦ですべてが燃えてしまった東京に育った私は、日常に古いものが普通にある京都に憧れを持っていたのだと思います。

最近、展覧会の準備に来ると、よく神社を訪ねます。この間は、冬の平安神宮に行き、時間もあったので、庭園をぐるっと回りました。枝垂れ桜もかきつばたも咲いている時期ではありません。観客も少ないその冬の庭で、何人もの庭師が松の葉の剪定をしていました。池のなかにある松にもはしごが架けられ丁寧に手入れされてました。

その光景をぼんやりと見ているうちに、古いものが残るということは、もしくは残すということは、メンテナンスをすることなのだ、と当たり前のことに気付いたのです。庭をメンテナンスする、建物をメンテナンスする、仏像をメンテナンスする、書画をメンテナンスする・・・。その作業は古いものが作られたときの技術や方法や精神を確認しながら、膨大な時間とお金をかけて行なわれると思います。書画の修復をしている人に聞いたのですが、紙ひとつをとっても、昔のような紙は存在しないし、作ろうとすると多くの困難をともなうそうで、簡単にはいかない。やっとのことで作り上げて、古いものを修復するのに使うとのことです。

そう考えると、きっとこういったニーズが京都のなかのあちこちで発生していて、それに対応するというのが、日常になっているのかなと思うのです。それは、古いものに対して想像力を働かせ、歴史の中にあった技術を模索させ、解明させ、その材料である自然にも眼を向けさせることになるはずで、効率的で経済的なものだけを求めるのとは違うベクトルがあるようです。

平安神宮の池には琵琶湖から引かれた疎水が流れ込み、外来種が入らないため、今その池にしか生息しない生物がいるとのことです。庭師の人がマニアックに(そんな感じでした)手入れした木も花もきっと素晴らしい景色を今年も見せることでしょう。そして、そのメンテナンスで得た技術と、歴史への想像力は新たな文化を生み出すことになるはずです。

私どものギャラリーは、今出来たものを見せる場所です。その新しいものが歴史的なものになるのかどうか、100年後、200年後にどうなっているのか、それを想像する場所として京都は面白い場所なのだなと改めて思っているところです。


小山 登美夫 Tomio Koyama
小山 登美夫 Tomio Koyama

1963年東京生まれ。東京芸術大学芸術学科卒業。西村画廊、白石コンテンポラリーアートでの勤務を経て、1996年に小山登美夫ギャラリーを開廊。奈良美智を始めとする日本人アーティストの展覧会を多数開催し、また海外で活躍するアーティスト、トム・フリードマンやトム・サックスなどを日本に紹介する。オープン当初より海外のアートフェアにも多数出展。日本人アーティストの実力を世界に知らしめるとともに、マーケットの充実と拡大を模索する。明治大学国際日本学部特任准教授。

撮影:名和 真紀子


古いものを残すということ

Category: Column





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