28, Sep 2010

オケアノスにブイを放って

赤松 正行(岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー[IAMAS]教授、メディア作家)

クラウドなボクたち

映画「マトリックス」で用いられた携帯電話Nokia 8110 (c) 2006 L. Collard

映画「マトリックス」で用いられた携帯電話Nokia 8110
(c) 2006 L. Collard

"There's a phone at Wells and Lake. You can make it." ... "Go."
「ウェルズ通りとレイク通りの角に公衆電話がある。お前ならできるはずだ。」...「行け!」

映画「マトリックス」(ウォシャウスキー兄弟)の冒頭、トリニティは携帯電話で指示を仰ぎながら、敵の包囲網からの脱出を計る。仮想世界と現実世界を繋ぐ有線電話に辿り着かなければならないからだ。1999年制作の映画ゆえに、いささか時代がかった点が散見されるものの、派手なアクション以外にも示唆的な描写があちらこちらに散りばめられている。

翻って今日、見知らぬ街で「◯◯にいるんだけど、美味しいランチ教えて」とツイートすれば、1分も経たないうちに何軒かのお勧めのレストラン情報が返って来る。フォロワーからのリプライもあれば、まったく見知らぬ人からのリプライもある。おそらく地名でサーチしているかロケーション・サーチしているに違いない。


Twitterでのタイムライン(Twitter for iPhoneでの表示)

Twitterでのタイムライン
(Twitter for iPhoneでの表示)

ともあれ、こうして誰かさんのお勧めに従って行動するのは愉快だ。これで失敗するどころか、大満足の結果になることがほとんどだ。下手なガイドブックやコンシエルジュ・サービスより役に立つし、断片的な情報から、さらに詳細を探求し判断を下す楽しみもある。

これはマトリックスの世界と同じだ。いや、それよりも何倍も世界が広がっていると言える。電話は基本的に一対一の通話であり、他愛ない雑談にしろ、文脈を踏まえた会話になる。一方、Twitterは多対多の発言プールであり、脈絡のないツイートが次々と浮かび上がる。

その中には前述の質問と回答のように関連性のある応答も有り得る。だが、大半は各自がその時々の状況に応じて投稿しているから、結果的に関連性のない多種多様なツイートから成るタイムラインが形作られる。そして、時には反応が起こって会話や議論になることもあれば、リツイートの嵐となって大きな言論が生まれることもある。


プルキンエ細胞(A)とグラニュール細胞(B)のニューロン (Drawing by Santiago Ramón y Cajal, 1899)

プルキンエ細胞(A)とグラニュール細胞(B)のニューロン
(Drawing by Santiago Ramón y Cajal, 1899)

このようなTwitterの様相はニューロンの発火や意識下の思念のようである。タイムラインを眺めて何かを汲み取ることは無意識の言語化のようにも感じる。当然のことながら、自分の思考は他者のツイートの影響を受けるので、自分で考えたことなのか、誰かが考えたことなのか、極めて曖昧になってくる。

これを表面的で幼稚な思考様式だと非難する人や、多数意見が猛威をふるう危険性を危惧する人もいるだろう。ただ、あまりにも雑多なツイートが豪雨のように降り注ぐTwitterは、メリットもデメリットも飲み込む大海のようにうねっている。そして、思いもかけなかった意外な関係性の発露に、私たちは魅せられている。

まさにタイムラインは「手術台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのように美しい」(ロートレアモン)のであり、Twitterはこの手術台として機能している。ただし、ミシンと蝙蝠傘の2種類だけでなく、日々何千何万ものツイートが出会っているのだから、これは現代の奇跡、あるいはテクノロジーの魔術と呼びたくなる。



赤松正行 Masayuki Akamatsu
赤松正行  Masayuki Akamatsu

1961年、兵庫県生まれ。メディア作家。神戸大学文学部哲学科心理学専攻卒業。神戸市役所ソーシャルワーカーを経て、1997年、岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)助教授に就任。2002年より同アカデミー教授。2006年、京都市立芸術大学大学院美術研究科にて博士(美術)を取得。
10代半ばよりエレクトロニクスを用いた音楽制作を始め、1980年からはコンピュータを使用、音楽だけでなく映像やネットワークなど様々なメディアへと制作範囲を広げる。特に、作品と鑑賞者の関係性や、作品自体の自律性に注目し、人とメディアの可能性を拡張することに興味を持っている。
代表作には、50台のコンピュータによって音と映像を提示する「incubator」、鑑賞者の時間体験をリアルタイムに映像化する「Time Machine!」、パフォーマーの身体をコンピュータ制御する「Flesh Protocol」、ラジオ放送を解読してロボットが演奏する「decipher」、画像解析を駆使した映像音響による即興ダンス「陶製の身体」などがある。ソロやセッションによる演奏活動も多く、「Maxの教科書」(共著)や「iPhone SDKの教科書」などの著作もある。また、neumannpianoおよびThe Breadbaord Bandのメンバーとしても活動中。
近年はモバイル・デバイスにおける表現研究や、人と社会への影響の考察に取り組んでいる。特に、開発したiPhone用ネイティブ・アプリケーションは30個を超え、App Storeで公開している他、数十台のiPhoneによる展示・パフォーマンス「Snowflakes」などの作品制作や、ソーシャルARシステム「セカイカメラ(頓智・)」などへと展開している。

赤松正行
http://akamatsu.org/


オケアノスのブイ

2010年9月に開催された展覧会INDAF2010 (Incheon International Digital Art Festival 2010) に出品した拙作「Okeanos Buoys(オケアノスのブイ)」は、必ずしもTwitterのみを意識したわけではないが、Twitterに代表されるような集合的意識やクラウド思考を表現として取り入れるのが、ひとつのアイディアだった。

入り口からの光だけが差し込む薄暗い会場には、40台のiPhoneが天井から吊るされている。それぞれのスクリーンには淡い水平線がゆらめく。来場者がスクリーンに触れると光が放たれ、短く音が鳴る。触れ方によって光や音は変化する。

Okeanos Buoysの展示風景

Okeanos Buoysの展示風景

同時に、スクリーンに触れた情報はWi-Fiを通じて他のiPhoneに送られ、受け取ったiPhoneは何らかの反応する。反応せずに無視する場合もある。この情報の遣り取りにはいくつかの種類があり、例えば、ユニキャスト(特定の受け手に送る)、ブロードキャスト(すべてに送る)、ボトルキャスト(受け手を指定せずに送る)、チェインキャスト(受け取り転送する)といった具合だ。

このような仕組みによって、ひとつのデバイスに触れると忘れた頃に他のiPhoneが反応することもあれば、稲妻のように次々と音と光が会場を駆け巡ることもある。iPhoneに触れる来場者が多くなれば、かなり賑やかな状態になる。それぞれのiPhoneは個々の状態によって反応を変えるので、瞬間的な動作ではなく、ある程度長い時間をかけて推移するようになっている。

また、展覧会のオープニング・コンサートでは50台のiPhoneを用いて演奏を行なった。最初は1台のiPhoneだけを使って演奏をしばらく続け、やがて2台、3台と演奏する台数を増やして行く。ソロに始まり、デュオ、トリオ、カルテット、アンサンブル、オーケストラ...という次第だ。ひとつひとつの音を聞き分けながら、繊細な音と音との重なりを確かめ、やがては複雑で強靭な音響へと進行する。

演奏の後半では、観客をステージに導き、演奏に加わるように要請した。観客は戸惑いがちだが、次第に熱心に音を探るようになる。ステージに観客が収まりきらなくなる頃には、カオティックな騒音に満ちるが、ある種の統一感が生まれる瞬間も訪れる。自然発生的な拡散と収縮の大きな律動が繰り返される。そして、観客は一人二人とステージから立ち去り、やがては演奏者は誰もいなくなる。誰の指示でもないデクレッションドによって、奇跡のように演奏が終わる。

観客も参加した50台のiPhoneによる演奏風景

観客も参加した50台のiPhoneによる演奏風景


微細集合としての音と光

表現手法的としては、Okeanos Buoysの音響効果はグラニュラー・シンセシス(Granular Synthesis)を実空間において実行しようとしている。一般的なグラニュラー・シンセシスは数ミリ秒から数十ミリ秒程度の極めて短い音のグレイン(Grain、粒子)を重ね合わせつつ連続して再生することで音響を合成する。単体のグレインではほとんど意味をなさないが、多数のグレインが集まることで何らかの音響的認知が可能になる。これは点描画(スーラ)を想い起こせば理解し易いかもしれない。

グラニュラー・シンセシスによる音響合成原理

グラニュラー・シンセシスによる音響合成原理

グラニュラー・シンセシスは今日では安価なソフトウェア・シンセサイザーにも取り入れられており、物珍しい手法ではない。ただし、「音楽的」なシンセシスでは、グレインの重ね合わせ方が規則的であり、単一のコンピュータによって計算される。これに対してOkeanos Buoysではグレインを紡ぎ出すのは、それぞれの来場者であり、ネットワーク化された多数のモバイル・デバイスによって集合的な音響が形成される。

実際にはOkeanos Buoysのグレインには数十ミリ秒から数百ミリ秒の比較的長い再生時間を与えている。これは単体でもグレインの種類を判別可能にするためだ。また、ひとたびスクリーンに触れれば、同じグレインは何度か繰り返して再生される。これもスクリーンを連打しなくても済むように配慮した結果だ。つまり、来場者=演奏者=鑑賞者が「音の雲」(クセナキス)の一片を比較的容易に作り出せるように意図している。

同様に集合的な視覚効果には前述の点描画の他にパーティクルがある。パーティクルはコンピュータ・グラフィックスのモデリング手法のひとつで、粒子のような小さな画像の集合を確率モデルによって配置し、動きを与える。これは特に炎、煙、雲、雪、波などの不規則で曖昧な形状や動きの描写に適している。このような自然界の現象は、実際にも類似した微細な要素が大量に集まって構成されている。

Okeanos Buoysではスクリーン上の描画のためにパーティクルを用いているが、展示作品全体としてのパーティクル表現は行なっていない。これは展示会場に散在する僅か40台程度のデバイスでは集合的な視覚表現が困難であるためだ。ただし、デバイスの数が数百、数千ともなれば、全体としてのパーティクル表現が可能になるだろう。

Okeanosアプリケーションの画面

Okeanosアプリケーションの画面

いずれにせよ、小さな個体が多数集まることで単なる個体の集合以上の興味深い現象が現れることがある。例えば、ムクドリの群れは巨大な塊となって空を飛ぶ。ある種の蛍は同じ周期で点滅し、周辺一帯におよんで同時に光る。大樹が風に揺れるざわめきは、葉と葉が擦れる小さな音から成っている。

ムクドリの群集飛行 (c) 2006 John Holmes

ムクドリの群集飛行 (c) 2006 John Holmes

そのような現象は繊細で豊かで美しい。ただし、個体が集まっただけでは文字通り烏合の衆でしかない。入力に対して処理を行ない出力するが、それは何らかの手法で個体間で連携される。これがOkeanos Buoysにおける作者行為の本質だ。絵を描き、旋律を紡ぐのではなく、反応と連携を創造すること、そして人々を招き入れることによって作品が立ち現れる。


大海を駆け巡るもの

アナクシマンドロスの世界観

アナクシマンドロスの世界観

Ocean(大洋)の語源であるOkeanos(オケアノス)はギリシア神話に登場する海神であり、特に外洋の海流を神格化したものである。ギリシア神話の世界観では世界は円盤状になっており、大陸の周りを海が取り囲み、海流=オーケアノスがぐるぐると回っているとされていた(Wikipediaより)。一方、ブイは水面に浮かべる目印や固定具であり、釣りに用いられる小型の道具もあれば、船舶を繋いで停泊させる大型の建造物もある。また、特定の場所に固定するだけでなく、海流の調査などのために漂流させることもある。


3種類のブイの図解

3種類のブイの図解

このような言葉の意味から連想されるように、「Okeanos Buoys」は、私たちを取り巻く世界に穿たれた標識や投光器、あるいは観測装置として構想されている。端的に言えば、この作品におけるOkeanosとは電子情報ネットワークであり、Buoyとはネットワークのノードである電子デバイスである。もちろん、電子的なネットワークやノードは手軽に利用できる便利な仕組みに過ぎないが、これらは我々の世界観や社会の在り方を反映しようとしている。

Okeanos Buoysにおける全体の処理はクライアント・サーバ・モデルであり、iPhoneをクライアントとして、サーバはGoogle App Engine(GAE)を利用している。GAEはクラウド型のアプリケーション・プラットフォームで、比較的安価に利用することができ、サーバ管理の煩わしさに囚われずに済む。GAEを使用する以上、当然のことながら、展覧会場はインターネットに接続されていることが条件となる。

GAEおよびインターネットの利用には大きな理由があり、それは特定の展覧会場での作品展示に限定されない環境を作るためであった。具体的には展覧会に用いた同一のアプリケーションをApp Store(オンライン・ストア)を通じて「Okeanos」という名称で公開しているからだ。残念ながら諸般の事情により展覧会のオープニングには間に合わなかったが、会期後半には次のような状況が生まれた。

まず、展覧会場にはiPhoneが展示されており、Okeanosアプリケーションが動作している。次に、来場者が自らのiPhoneでアプリケーションを実行することができる。そのことに気付いた来場者が、その場でダウンロードすることも可能だ。さらに、会場外であってもアプリケーションを実行することもできる。そもそも展覧会が行われていることを知らずに、アプリケーションを試す人もいるだろう。このように3種類の動作状態が生じるが、それぞれは相互に接続されており、ネットワーク上の存在として、そしてアプリケーションの動作として何ら相違がない。


Okeanos Buoysにおけるネットワーク・ダイアグラム

Okeanos Buoysにおけるネットワーク・ダイアグラム

App Storeの公開前にも作者の特権で日本や中国でOkeanosアプリケーションを開いてみた。何もしなくても光が放たれ音が鳴る。時には光や音が激しく変化する。これは韓国の展覧会場に来場者がいるからだ。手元のiPhoneに触れて情報を送り出してみる。それは展覧会場に届いたはずだ。光と音のシグナルがOkeanosと言う大海を駆け巡る様を思い描くのは容易だろう。そして手術台の上でミシンと蝙蝠傘が出会うように、様々な光と音が出会うことになる。


モバイル・アートの曙光

Okeanos Buoysのようにモバイルを前提とした表現作品を、いささかステレオタイプながらモバイル・アートと呼ぶことにしよう。これは「複製技術時代の芸術」(ベンヤミン)や「メディアはメッセージである」(マクルーハン)、そして「シミュラークルとシミュレーション」(ボードリヤール)などを超えて、伝統的な芸術の在り方を新しい地平に導く。

単純に言って、誰かがApp StoreからOkeanosアプリケーションをダウンロードし、数十台のiPhoneにインストールして展示すれば、それは作者が設えた展覧会と何が違うのだろう? いや数台でも1台でも構わないのかもしれない。あるいは数人が集まってiPhoneを取り出し、Okeanosアプリケーションで演奏をすれば、それは作者による演奏と何が違うのだろう?

余談のようだが、iPhoneを嵌め込むアクリル製固定具と吊り下げるiPhoneを安定させるスチール製錘などを詰め込んだ「Okeanos Buoys Construction Kit」を3点だけ制作した。これらは展示のために制作したオリジナル・パーツである。一方でこのキットには汎用品であるiPhoneとデジタル・データであるOkeanosアプリケーションを含めていない。皮肉なことに「作品」を売るとしたら、このキットになるのかもしれない。

Okeanos Buoys Construction Kit

Okeanos Buoys Construction Kit

なぜなら伝統的な芸術作品は、その物質的な唯一性が存在の拠り所だからだ。コピー、マスメディア、シミュレーションと様相が変化しても、オリジナルの前提を崩すには至らなかった。それどころかDRMなどのまやかしの技術によってオリジナル性を必死に保持しようとしていた。存在と持続への飽くなき欲望が、思考と技術を裏切り続けていたのかもしれない。

ところがiPhoneのような万人が所有する日常品と、App Storeのような広範囲で安価な配布手段に舞台が移った今、作品の存在性が刷新されようとしている。実際には作者はソースを管理し、アプリケーションの配布をコントロールできる。また、App StoreのiPhoneアプリケーションもDRMによって保護されている。しかし、ひとたびApp Storeでアプリケーションを公開すれば、それは強力な伝搬性を持ち得ることになる。アプリケーションを入手した人は、権利の上でも意識の上でも、まごうことなく作品の所有者であり、実行者になる。

これは印刷技術や放送技術では困難であったとしても、コンピュータ・ベースやインターネット・ベースでは可能であったことだろう。それがようやくモバイルの時代になって実質的な意味を持ち始めたのは、モバイル・テクノロジーの爆発的な広がり故に他ならない。すでに誰もが実感していることだが、モバイル・デバイスとモバイル・インターネットによって、私たちは誰でも、何時でも、何処でも情報に接し、情報を交換することができるからだ。

もはや地球の隅々に至るまで一瞬たりとも眠らない。それが傲慢な理想主義だとしても、何億もの光を放ち、何億もの音を奏でることは見果てぬ夢ではないはずだ。それは今まさに立ち現れつつある。Okeanos Buoysは相互に呼応し合う無数の光と音に向けて設置される最初の標識であり、それを探るための観測装置であろうとしている。

Okeanos Buoysの展示風景

Okeanos Buoys by Masayuki Akamatsu, 2010

展覧会 INDAF2010 (Incheon International Digital Art Festival 2010)
http://www.indaf.org/
会 期 2010年9月1日~9月30日
会 場 Tomorrow City (韓国、仁川市)
制 作 赤松正行、川畑雄補、和田純平
協 力 北村穣(rudesign)、池田工業株式会社、白鳥啓

オケアノスにブイを放って

Category: Column





PAGE TOP