27, Jul 2017

國府理「水中エンジン」再制作プロジェクトについて
―第2回(全4回):プロジェクトを支えた再制作物語

國府理の「水中エンジン」再制作について、プロジェクトメンバーが綴る連載シリーズ第2回目。プロジェクトマネージメントと広報の担当者が、作家の一ファンとしての個人的感情をいかに整理し、どんな技術を用い、どのような心理的変遷を経たか。再制作物語に併走した当事者としての視点に美学的考察を交えながら語るよう試みた。

寄稿:はが みちこ(アート・メディメーター)

1. 心情整理

アーカイヴについて書かないといけない記事だが、私的な話から。

私にとって國府理は憧れの人だった。学生時代だった10年前に出会ってから、折々に展示があればできるだけ見に行き、その表現が提示する可能世界に魅了された。その誠実さから様々なことを考えさせられた。少し不器用なストイックさに心打たれた。また、その憧れを人に伝えるのを憚ったことはなかった。ある時の面接で「一番好きな芸術作品は何か」と尋ねられ、とっさに「國府理の《Mental Powered Vehicle》」と答えたことがある。グレートマスター達の作品を差し置いて、頭の中で瞬時に思い浮かんだにも関わらず、私はその作品の実物を見たことがなかった。見ていたのは残された映像だけである。それでも「精神の力が自動車を動かす」というコンセプトだけで、私はその作品がとても好きだった。この作品(2006)は技術的にはハンドル部にテルミンの機構を用いることで、ハンドルに手を触れなくても人体の静電気によって電流を発生させ、車体上のプロペラを回す仕組みになっていたようだ。(面接には落ちてしまったが、まあこれとは関係ない理由だろう。)

國府理「水中エンジン」再制作プロジェクトを構想したインディペンデント・キュレーターの遠藤水城も、実際には見たことのない《水中エンジン》という作品に心を動かされたのだという。再制作を申し出るという行動に彼を移させたのは、作品そのものだったかもしれないし、國府さんが水中エンジンを動かす姿を語る人々の話だったのかもしれない。(その辺りの経緯は、本連載最終回に予定されている遠藤さんの記事で語っていただけるものと思う。)そう、この作品の鑑賞には國府さんが動かしてくれるという体験が組み込まれていた。彼が動かすのではない水中エンジンを、心情的に受け入れられるかどうか。まずは一ファンとして、とても悩ましい問題に思えた。それでも、以前に自分でもこの作品の重要性について書いたこともあり、再制作行為自体には意義を感じた(※1)。

※1)「國府理の仕事と仲間たち」(アートコートギャラリー, 2015年5月1日-5月30日)に文章出展
(以下リンク先に掲載 http://www.artcourtgallery.com/wp-content/uploads/m_haga.pdf


はが みちこ HAGA Michiko
はが みちこ HAGA Michiko ポートレート

アート・メディエーター。現在、東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)に勤務。2011年京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程(創造行為論)修了(修士論文「ゲームとデュシャンー1920-30年代の非芸術的実践を中心にー」)。2016年より京都教育大学非常勤講師。企画に「VIRTUAL EFFECT」(2011年、Antenna Media、京都)、「THE BOX OF MEMORYーYukio Fujimoto」(2015-16年、 KYOTO ART HOSTEL kumagusuku、京都)等。

東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)
http://haps-kyoto.com/


1951年に制定された博物館法は、4年前の1947年に制定された教育基本法を受けて、その目的を「教育的配慮」と明文化している(博物館法第二条)。このドグマに立ち還るならば、日本の「博物館」においては一次資料(オリジナル)と二次資料(複製)は教育的有用性を有している限り、本質的な差がないとするのが筋である。しかし芸術作品においては特に、受容側の心情としては、ベンヤミンが示したように物事はそんなに単純に割り切れるものではない。複製品であることに気づいた時、「なんだ、レプリカか」とがっかりした気持ちになるのを誰も止められない。オリジナル自体が既製品やデジタルメディアを用いたものであろうと、作者に基づく真正性の問題は根強く作用する。(逆に言えば、作者が同定に関与すればレプリカさえそのように振る舞う、ということはデュシャンの例の通りだ。)

あまり脱線してもいけない。とにかく「意義はわかるが心情的に整理がつかない」気持ちを乗り越えるために、私はキュレーター・遠藤水城が設定した「作品のメンテナンス中の事故で急逝したアーティスト・國府理の意思を継ぎ、盟友のアーティスト・白石晃一が再び彼の作品を甦らせる」という美談めいたストーリーに乗ってみることにした。その物語設定は、國府理の生きた生そのものを上段に置き、下段に続いてくるもののように思えた。

「ブログを作って写真でプロジェクトの進行を公開してほしい。」遠藤さんから頼まれたのは、リアルタイムな広報だった。自分自身、整理のつかなさを抱えたまま、また國府さんを知る人であれば同じような思いを抱くだろうことも予想される中、どのようなタッチでブログを書けばよいというのか。再制作作業を進めながら悩んだ末に、徹底した当事者性を導入することにした。具体的に言えば、普通に、進行中の写真付き現場日誌の形式である。しかし前述の物語をプロジェクト内だけに留めないためには、その当事者性は開かれていなければならない。そこに生じた悩み、焦り、期待、哀悼などの公開を通じて、皆がこの物語に巻き込まれてほしい。読者の乗り物となりえるような主観性をいかに獲得するか。どこまで成功したかはわからないが、ブログはそんなスタンスで綴られた。

https://engineinthewater.tumblr.com


2. 広報技術

「Tumblr」サービスをブログ兼オフィシャルサイトに用いたのは、マネジメントと同時進行しやすい操作性・デバイス互換性、予算のない中でのデザイン性の余地などによる。加えて、公開日時の設定だけで記事やレイアウトの並べ替えができることも、スキルなしでの運用がしやすいように思われた。(ただこれには少し手間もかかることがサイト開設後にわかった。)SNSでの拡散性を踏まえて「facebook」ページをサブで作成し、Tumblrのオフィシャルサイトのリンクをつけるようにした。栃木・小山市車屋美術館での「3号機」水中エンジンの展示に当たっては、トラブル時に備えて稼動状況を遠隔で把握する必要があったが、これらSNSサービスの互換性を活用し、記録映像によるモニタリングをそのままウェブサイト上で公開で行った。美術館から動画共有サイト「vimeo」に映像をアップロードしてもらい、vimeo上の動画をTumblr、facebookで共有して、検証コメントをつけて美術館サイドにフィードバックするようにしたのだ。

小山市立車屋美術館「裏声で歌へ」展での稼働記録映像(第3回:2017年4月11日)

一方で、Tumblrは、公開日時の操作で古い日付の出来事の記事を後から追加できるし、一度公開したものを後から編集できる。手が回らずどうしてもリアルタイムな更新を実現できず後追いになったし、まだお蔵入りされている写真が残っているので、再制作作業の現場日誌部分をもう少し補完するつもりにしている(2017年7月末時点)。このリアルは、現実のタイムラインとリンクしたもの(twitter的)ではなく、事後的に編集されたブログ的リアルであると言える。(この方法を、水中エンジンの生み出す対流にちなんで「ストリーミング(streaming)」という配信形式の用語で仮に呼ぶことにした。)そうしたことを考慮すれば、このブログにはドキュメントとしてのアーカイヴァルな機能は薄い。(データ的ドキュメントはしっかりと別に残してある。)後から分析するに、むしろ物語設定が先にあり編集可能性が担保されているという点では、ある種、モキュメンタリー的な要素を持ってしまったかもしれない。実際の現場はこんな美談化をすんなりと受け入れはしなかったし、もっとぐちゃぐちゃしていて、複雑だった。


それでも、プログレスな現場の雰囲気、関わる人達の格好いい/輝いている姿に意識してカメラを向け続けるうちに、その物語上の視点に自分自身が同化していくのが感じられた。再制作作業が佳境になるにつれ、そもそも「水中で車のエンジンを動かす」という通常ありえない状態を作り出すのは、不可能にも近い困難な偉業だとわかる。冒頭で触れた《Mental Powered Vehicle》について、國府さんは「120%の力を出す」アスリートのメンタルにある「プラスされた20%の力」に言及していたが(※2)、「絶対に動かすのだ」という皆の精神の持ちようがなければこれは成し遂げられないことだった。こうして皆が、この物語に没入していったと思う。

2017年1月23日 ヤノベケンジ(左)、白石晃一(右)

2017年1月23日 ヤノベケンジ(左)、白石晃一(右)

2017年2月20日 白石晃一(左)、松本章(右)

2017年2月20日 白石晃一(左)、松本章(右)

2017年3月6日 白石晃一

2017年3月6日 白石晃一

特筆すべきは、本プロジェクトの物語が「水中でエンジンを動かす」と「事故を起こしてはならない」という、二つの絶対条件を成功の前提に据えていたことだ。この条件を遵守する目的で、排気管などの仕様変更、機構の追加、素材変更、稼働様態の取り決めなど、オリジナルからの改変をおこなった。それは時に、作家自身が選択した判断の否定ともなり、痛みをともなう行為でもあった。この痛みの自覚は、変更点を全て記述した「4号機」のキャプションに込められている。(「國府理 水中エンジン redux 」後期展:7月18日~30日)

排水機能追加のため排気パイプ仕様変更、安全性確保のためマフラーの密閉ケースを追加(「國府理 水中エンジン redux 」後期展 アートスペース虹の展示風景)

排水機能追加のため排気パイプ仕様変更、安全性確保のためマフラーの密閉ケースを追加
(「國府理 水中エンジン redux 」後期展 アートスペース虹の展示風景)
撮影:Tomas Svab

※2)『國府理 未来のいえ』西宮市大谷記念美術館発行, 2013年, p.13.


3. 物語の続きを

ところで物語性の導入は、國府理の表現との適合性がないわけではない。風力で走るセイル付き自動車《Natural Powered Vehicle》(2005)は、この車で旅をするロードムービーを作るために制作されたという。つまり物語が先にあり、実際の作品はその物語を示す従属物と位置付けられているのだ。(ちなみにこの作品は、実物は失われているが映像作品として残されている。)このロードムービー構想は、ソーラーカーによるアメリカ大陸横断旅行「HAAS project」参加で得られた、「『夢のような一瞬』のすべてが『もうひとつの現実』を相対的に示す(※3)」という気づきを表現したものだろう(※4)。仮想世界の物語を表現すること、物語を自ら生きること。國府流に従うならば、このプロジェクトが設けた設定は彼の表現方法を逸脱しようとしたものでは決してないのだ。

國府理「Natural Powered Vehicle」2005

もしも、この物語の続編がどこかの誰かによっていつかまた生きられることがあるならば、と夢想する。伝播の手応えらしいものはあった。再制作物語に勧んで参画してくれた二人の技術者——自動車開発に長年携わっている松本章と、車の整備士の経歴を持つ栃木の中島恒——は、技術レベルでもコンセプトレベルでも、この作品を(おそらくアートの文脈にいる者よりも)深く理解している。長いスパンで継承されてきた式年遷宮の宮大工の技術のような形で、「水中エンジン」のスキルが伝授されていくとしたら。物語がなんども繰り返され継承されていけば、「かつて作品だった」残されたオリジナルの「水槽」は聖遺物のようなアウラを纏うだろうか。我々が残すアーカイヴは、その誰かのためのものである。物語の続きを。

2017年3月26日 松本章(左)、白石晃一(右)

2017年3月26日 松本章(左)、白石晃一(右)

※3)國府理『KOKUFUBOOK』國府理作品集出版委員会編, 青幻舎, 2016年, p.154(年譜).

※4)國府の友人だったアーティスト・児玉真人氏がこの類似性を筆者に教えてくれた


展覧会情報

國府理 水中エンジン redux

会 期: 前期:2017年7月4日(火)~7月16日(日)
後期:2017年7月18日(火)~7月30日(日)
※前期・後期で展示内容が大幅に異なります
開廊時間: 11:00-19:00(7月16日、30日のみ18:00まで)
会 場: アートスペース虹
http://www.art-space-niji.com/
企 画: 遠藤水城
主 催: 國府理「水中エンジン」再制作プロジェクト実行委員会
遠藤 水城(インディペンデント・キュレーター)/ 白石 晃一(アーティスト)/ 高嶋 慈(批評家)/ はが みちこ(アート・メディエーター)/ ヤノベ ケンジ(アーティスト)
協 力: アートコートギャラリー、アートスペース虹、京都市立芸術大学芸術資源研究センター、京都造形芸術大学 ULTRA FACTORY、東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)
助 成: 公益財団法人 関西・大阪21世紀協会 アーツサポート関西、
公益財団法人 テルモ生命科学芸術財団
公式サイト: https://engineinthewater.tumblr.com/

國府理「水中エンジン」再制作プロジェクトについて
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