02, Dec 2015

{1+デジタル}アーカイブズ
―建築資料をつかった試行錯誤

建築の資料は、デジタル・アーカイブが一般化する以前から、マイクロフィルムによる記録がおこなわれてきた。単なる記録・保存のためであれば、それで十分かもしれない。ではなぜ、デジタルか。データにすることが生み出す効用を、建築資料を使った活動を通して、今一度考えてみたい。

寄稿:本橋仁(早稲田大学理工学術院創造理工学部建築学科助手)

ニコラス・ネグロポンテ(※1)が1995年に"being digital"で予見した未来にいま、やっと追いつき、その先へ進もうとしている。出版当時は実験段階であったVOD(有料動画配信)ビジネスは昨今急速に展開し、彼が「デジタル・ペルソナ」として描いた構想は、「OK Google」「Siri」として、誰しもが携帯電話で持ち歩いている現代である。「ネグポン」がその先に見据えた「楽観主義の時代」はもう到来し、いまや新しい世界を模索している時代と言えるのかもしれない。

アーカイブにおいても、例外ではない。ティム・バーナーズ=リー(※2)が提唱するセマンティックウェブの推進もまた、遅かれ早かれアーカイブの世界を飲み込んでいくだろう。いま、ウェブ全体は、単なる文字列から、それらが背後で意味づけられたデータの集積という側面を持ちはじめようとしている。この意味付けをおこなう「RDF(Resource Description Framework)」形式による記述は、政府や公共機関が進めるオープンデータによる情報公開の標準形式でもあり、多くのデータベースが同形式によりウェブを介して繋がろうとしている。

昨今のアーカイブの動きは、そのゴールにデジタル化、さらに公開をウェブ上にておこなうことを見据えて動いているようにさえ見える。わたしの専門は建築史であり、民家をめぐったり、近代建築を実測などして歩き回っている。もちろん、実物だけでなく文書資料も同じく重要な研究資料である。日がな一日資料を探し、国会図書館、国立公文書館のページを開き、検索でヒットしたにも関わらずウェブ公開されていない状況に接すると、少なからずイラッとしてしまう。それほどまでに、デジタル・アーカイブの恩恵にある種「毒されて」いる。

しかし、単にウェブで古文書にあたることができるというだけがデジタル・アーカイブの恩恵であろうか。ここで一度振り返り、単なるオリジナル資料を超えた、デジタル × アーカイブが織りなす、"効用"について一度考えてみる必要があろう。

※1)ニコラス・ネグロポンテ
Nicholas Negroponte(1943-)。通称「ネグポン」。MITメディアラボの創設者であり、彼の著した『being digital』は、現代の世界を予言する内容で、20ヶ国語に翻訳され世界に発信されるベストセラーとなった。さまざまな事柄がデジタル情報に取って代わられる世界に、積極的な明るい希望を見出すべきであるとして、彼はそれを「楽観主義の時代」と呼んだ。
Being Digital. Alfred. A. Knopf, Inc. 1995. 邦題『ビーイング・デジタルビットの時代』(福岡洋一訳. アスキー出版局. 1995.)

※2)ティム・バーナーズ=リー
Timothy John Berners-Lee(1955-)。World Wide Web(WWW)の概念をつくった人物であり、いまのインターネットの礎を築いた。現在は、ウェブページを単なる文書としてのページから、データとするセマンティックウェブの標準化を進めている。セマンティックウェブとデータとの関係性は、次が詳しい。
神崎正英「モノのウェブ、そしてリンクするデータ」2014年10月1日
http://www.infocom.co.jp/das/loddiary/2014/10/20141001001042.html


本橋仁 MOTOHASHI Jin
本橋仁 MOTOHASHI Jin

東京生まれ。2011年、早稲田大学創造理工学研究科修士課程修了。
2014年同博士課程退学(中谷礼仁研究室・建築史)。2012年、東京文化財研究所 文化遺産国際協力センター 調査・研究アシスタント。2013年より早稲田大学理工学術院創造理工学部建築学科助手。2014年、株式会社メグロ建築研究所取締役。
2012年より現在まで旧本庄商業銀行煉瓦倉庫の調査・展示等活動に従事、2014年のベネチア・ビエンナーレでは日本館(commissioner: 太田佳代子)を担当。
撮影:中村年孝

本橋仁
http://archive-tektur.net/

メグロ建築研究所
http://meglab.jp/

旧本庄商業銀行煉瓦倉庫
http://hanipon-renga.com/

早稲田建築アーカイブス
http://waarchives.org/


あそべる デジタル・アーカイブ

わたしが、時折あそぶアーカイブズを紹介したい。“Stereogranimator”というサイトである。これは、ニューヨーク公共図書館(以下、NYPL)が製作し、公開している。ステレオグラム(※3)の写真を擬似的に立体的に見せるGIF動画を、サイトに訪れた誰もが作成できる仕組みになっている。この動画は、NYPLの80万点を超えるデジタル・アーカイブズの中の、”Robert N. Dennis Collection”、約4万点の画像を使い構成される。同サイトのシステムを利用し、立体的なGIF動画を作成することができる。

GIF made with the NYPL Labs Stereogranimator - view more at http://stereo.nypl.org/gallery/index
今回、筆者が作成したGIF動画。日本の古写真も多く所蔵されている。
GIF made with the NYPL Labs Stereogranimator

ステレオグラムの歴史は、意外と古い。1830年代には理論が開発され、1860年代には一般に普及、当時ヨーロッパではステータスシンボルともなっていたそうだ。立体写真を見ると、平面写真にはない生々しい感覚を覚える。とくに、それが1世紀以上も前のものであればその驚きはなおさらだ。

欠点もある。経験された方も多いと思うが、ステレオグラムは寄り目が上手くできない人には悔しい思いを抱かせるものだ。また、だからといって専用の器具を購入する人は稀であろう。つまり、あきらめる。しかし、このサイトは、GIF動画の力を借りて誰に対しても平等にその驚きを提供できることに非常な強みがある。

実は、このGIF動画は自動でつくることができず、人の手を介在させる必要がある。このサイトの非常に優れた点は、サイトを訪れた人が遊び感覚でGIF動画をつくることができるというところにあろう。そして、制作者はその見返りとして、制作したGIF動画をFacebookやTwitterで共有することができる。一方で、図書館は有用なデータが得られるという、相互利益の関係になっているのだ。

Flickr Commons のようなフリーの歴史画像は、いまやウェブにごまんとある。そうした資料がウェブ上で誰しもがアクセス可能な状態になり、活用されることは好ましいことである。一方で、単なるアクセシビリティにとどまらない、デジタル化、さらには公開の“効用”は、こうした新たな価値の創出とともにあるべきである。

※3)ステレオグラム
ずらして撮られた2枚の写真が並置されており、それらを両目でそれぞれの画像を別々に見ることで、立体であると脳に錯覚を生み出す写真とその技法。


場所をいとわないデジタル整理術

わたしの所属する早稲田大学建築学科・早稲田大学芸術学校では、2014年、独自のアーカイブズが設立された。その名も「早稲田大学建築学教室本庄アーカイブズ」と言い、本格的な活動が既にはじまっている。「早稲田建築アーカイブス」という映像公開や、個々の教員による自助的な活動は学内にも既に存在していたが、いよいよ念願であった保管の場所を持つことができた。いまのところ、以下の役割を掲げ、とくに大学内に残っている歴史的価値の高い資料を優先して保存しようと進めている。

1910年に創設された本学建築学科(建築学科本科)ならびに、翌年に創設された早稲田大学芸術学校(早稲田工手学校)に関して、現在大学構内に残る歴史的資料ならびに現行資料を継続的に、収集・整理・保存、ならびに活用を行うことを目的としている。アーカイブズの対象は、建築学教室の教育資料、学生作品・論文、教員ならびに研究室活動による研究資料、教員の行った設計活動に関する図面、模型、絵画資料、またそれに付随するものなどがあげられる。有志によるリスト化の整備後、資料を収蔵する役目を担う。
(同アーカイブズ運営方針より抜粋。早稲田大学建築学科Facebookより転載)

これまでに、過去卒業論文や、講義テープ、さらには大正期の卒業計画概要書などが既に移送され、保管されている。また、2015年には建築家吉阪隆正氏の日記やスケッチ帳などが保管された。今後は、名誉教授池原義郎氏の図面資料、およそ35,000枚が近日収蔵される予定であり、準備が進められている。

早稲田大学本庄高等学院旧校舎 早稲田大学穂積研究室 1983

早稲田大学本庄高等学院旧校舎 早稲田大学穂積研究室 1983 撮影:本橋仁

名前にもある通り、このアーカイブズは、埼玉県本庄市の早稲田大学本庄キャンパス内に存在する。同キャンパス内の、移転した本庄高等学院の旧校舎を利用している。自然豊かなたいへん気持ちの良い環境である。反面、東京から2時間ほどかかるお世辞にも交通の便が良いとは言えない場所である。研究のために日常的に通うことは難しい距離にある。

しかし、場所を得られただけでも非常に恵まれた。贅沢は言えない。また、同アーカイブに移送が決定される資料は、様々な要因で、現在の場所での保管が難しい資料である場合が多い。そのため、なるべく早めの移送が望ましい状況にあった。そこで、本アーカイブズは今後、まずはデジタル化して本庄移送、その後じっくりとデジタル・データを用いて、一枚一枚、図面の作成者や製図日などの情報を打ち込み、インデックスを作成する作業をおこなう、という方針を取ろうとしている。もちろん、予算が潤沢にあるわけでもない。しかし、遠隔地の資料を死蔵させないためにも、デジタル化を目指すことは必要なことと思われる。


井上宇市建築設備設計アーカイブ

先にも述べた通り、学内では先行した、自助的なアーカイブ活動があった。その一つが、早稲田大学教授で建築防災・設備が専門の長谷見雄二氏を中心とした「井上宇市建築設備設計アーカイブ」である。井上宇市氏は、1953年から1989年に本学建築学科で教鞭を執り、数々の建築設備設計に携わった。とくに、有名なものとしては、「京王百貨店」(1956)「国立代々木競技場」(1964)「東京カテドラル聖マリア大聖堂」(1964)「太陽の塔」(1970)があげられる。広く知られたこうした建物も、設備が更新されれば、その資料は廃棄されてしまうことが多い。さらに、常に技術開発がおこなわれているこのような分野においては、古い設備は過去のものとされ、振り返られることが少ない。

そうした、「設備は、数十年か放っておけば、どういう歴史をたどってきたかわからない分野になってしまう。設備資料の意識的な保全こそが、建築設備がそうならないようにする唯一の現実的な方法であると思う。」(※4)という危機意識から、長谷見氏が2008年より、井上宇市資料の整理を開始した。資料の分類後、デジタル化をおこない、関係者や専門家から情報のフィードバックを得る仕組みを取っている。こうしたデジタル・アーカイブは、多人数が同時に、また場所に縛られることなく資料を閲覧できる点では、現実的かつ効率的な方法であると感じる。昨今、大量の図面のデジタル化は、超高詳細なデータ化を望まなければ、時間もかからずかつ費用的にもそこまで高くないハードルになりつつある。

井上宇市資料の整備の流れ 同アーカイブサイトより転載

井上宇市資料の整備の流れ 同アーカイブサイトより転載
http://www.inouye-archive.arch.waseda.ac.jp/hozon-floor.htm

※4)長谷見雄二「井上宇市アーカイブズに見る”建築設備設計の成立”」日本建築学会大会研究協議会「日本の戦後建築への新たな評価軸─主に「技術」の視点から」2015年9月5日


倉をつくる

2014年のベネチア・ビエンナーレ建築展は、“Fundamentals”が全体テーマとして掲げられ、各国ナショナルパビリオンに対しては、“Absorbing Modernity 1914‒2014”というお題が与えられた。これに対し、わたしも資料調査担当として協力した日本館では、建築キュレーターである太田佳代子氏をコミッショナーとしたチームで、「現代建築の倉」(※5)をテーマに、とくに70年代の建築家と建築史家の活動に焦点を当てた展示をおこなった。各国がいかに「近代」を自国に導入したのか?1914年から2014年までを対象とするこうしたお題に対して、建築家の目を通して現代までを、さらに建築史家の目を通して1914年という大正時代までを見ようという目論見だ。展覧会場となる日本館(1956年竣工)は、吉阪隆正とU研究室の設計による、まるで高床式の倉のような形態をしている。そこで、日本近代建築100年のアーカイブズを、一時的にこの建物の中に出現させようとしたのである。

当初の計画案 さまざまなモノが所狭しとならんでいる 作成:小林恵吾」

当初の計画案 さまざまなモノが所狭しとならんでいる 作成:小林恵吾

当初の計画案では、模型からスケッチ、椅子から映像、さらには音まで、ありとあらゆるモノに登場願おうという意気込みがあった。そこに、単なるストーリー立った順路ではなく、見渡すかぎりのモノの中から日本の近代化過程を見つけ出すような、来場者にとって発見的な鑑賞してもらおうという意図を込めた。

それに基づいて、1年間かけてとにかく日本中を旅した。建築家に会い、施主を巡る中で、見つかったモノはとにかく膨大な量であった。チームでは、当初から、これら調査の記録は非常に貴重なものになるであろうという予想もしていた。

「資料がどこにあるのか?」こうした情報は、自由に共有されるべきとは思わない。不可能である。しかし、資料の存在が忘れ去られる、もしくは意図的に隠され、資料の存在そのものが抹消されてしまうことへの危惧はある。アーカイブズは、物理的な場所を必要とすることがなによりもその活動のボトルネックとなる。中央集権的な資料の収集と管理は、いずれ限界が来るだろう。さらに、本来資料は所縁のある場所で残されるべきと考える。理想論ではあるが、場所性を担保しつつ、情報を共有する自律分散型のアーカイブズ・ネットワークの構築を目指したいと常々考えている。

そのためにも、将来的にも、ベネチア・ビエンナーレ建築展のために発見した資料の記録を社会に還元できる情報としたい、という気持ちもあったが、実現に至るまでにはまだ時間がかかりそうだ。

※5)「In the Real World:現実のはなし~日本建築の倉から~」
2014年6月7日(土曜日)~11月23日(日曜日)
コミッショナー:太田 佳代子(展覧会オーガナイザー、編集者)
中谷 礼仁 (早稲田大学建築学科教授)
山形 浩生 (評論家・翻訳家)
小林 恵吾 (建築家、早稲田大学建築学科助教)
本橋 仁 (早稲田大学建築学科助手)
主催:国際交流基金(ジャパンファウンデーション)


あえてのニセモノと無理してもホンモノ

資料をいかに、鑑賞者と近づけるか。できれば、距離を0mmにしたい。それが、2014年のベネチア・ビエンナーレ建築展の展示計画の肝でもあった。しかし、当然のことながら、貴重な資料を紛失、破損などさせるわけにはいかない。

そこで、ディレクターであった中谷礼仁氏の提案で、資料の調査をすすめていた協力者に対し、資料1点1点についていかにしてその資料を見せるか、を提案することが義務付けられた。どの資料を取り上げるべきか、とあわせて、その資料をどう見せるかについて丁寧な議論が重ねられていったのである。その中で、資料の「複製」がかなり積極的に用いられた。

日本館会場の様子。模型や図面、建築部材など様々なものが所狭しと並べられている。 撮影:本橋仁

日本館会場の様子。模型や図面、建築部材など様々なものが所狭しと並べられている。 撮影:本橋仁

日本館は、資料にとっては非常に過酷な展示環境である。風除室がなく、外気が流れ込み、天井のガラスブロックからは太陽光が差し込む。さらに、なんと天井と床には穴が開き、建設当初は雨が建物の中を通り抜けていたというのだ。もちろん、常にこの状態では利用できず、展示によっては天井を塞ぐ、穴を塞ぐなどして展示をおこなってきた。

U研究室が設計した当初の姿をなるべく意図通りに利用したいが、さすがに紙資料にとっては過酷な環境である。ましてや、オリジナルの図面の展示は不可能であった。そこで、中谷氏より図面の青焼きが提案された。一般的に建築図面は、そもそもは美術品ではなくコピーなどして使うための資料である。そこで、建築図面のコピーとして一般的な「青焼き図面」として複製をおこなってしまおうというものである。こうした、時には積極的な複製によって、展示したい資料をできるだけ展示することが実現できた。

一方で、複製をあえてせずに、鑑賞者に実物を0mmの距離で手に取ってもらったものもあった。関東大地震の被害を伝えるものや、豊多摩監獄という大正期を代表する建築が掲載された、大正期の雑誌群である。これらは、かつて忘れられていた「大正建築」を再発見した建築史家、長谷川堯氏を紹介する一角で展示されたものである。長谷川氏は、70年代、こうした大正期の雑誌を前に、“狩猟の気分”でページをめくっていたという。

長谷川堯『神殿か獄者か』

雑誌のコピーでは、この大正期に長谷川氏が体感しただろう発見は伝わらない。たしかに、大正期の建築雑誌は貴重なものであろうが、図書館や古書店で手に入るものも多い。つまり、ここでなくなったら世界から消滅してしまうものではない。それよりも、世界で大正建築を紹介する機会は、この機会を除いて未来永劫ないかもしれない。そうした思いから、実物の展示に踏み切った。しかも手で触って読むことができる。ちょうど、早稲田大学の建築史研究室で所有していた雑誌があり、それを利用した。現地の担当者は、いつか盗難にあうのではないかと日々、ヒヤヒヤしながら心配してくださっていたそうだ。しかし、会期が終わってみれば、ページが外れたりなどはあるものの、盗まれたり、千切られることもなかった。

『建築新潮』や『建築雑誌』といった大正期の雑誌のオリジナルを手に取って読むことができる 撮影:本橋仁

『建築新潮』や『建築雑誌』といった大正期の雑誌のオリジナルを手に取って読むことができる 撮影:本橋仁

こうした展示資料1つ1つへの配慮により、ここでは他の展示会場ではなかなかお目にかかれない「Please touch」のポップがそこかしこに付けられることになった。

“Please touch”とかかれたポップ 撮影:本橋仁

“Please touch”とかかれたポップ 撮影:本橋仁


ひっそりとしたまま、活かされる。

さいごに、ちょっとだけ秘密の話をしたい。「竹村文庫」をご存知だろうか。創宇社同人であり、また日本民主建築会、NAUのメンバーとしても活躍した、竹村新太郎氏の個人蔵資料で、大正期から昭和にかけての、さまざまな建築運動の資料を所蔵している。この文庫に所蔵されている資料は、フランスのポンピドゥーセンターにて展示(※6)されるなど、さまざまな展覧会で出展されており、実は目にした方も多いかもしれない。しかし、個人宅での管理ということもあり、誰しもがいつでも自由に、という訳にはいかない。

アーカイブズというと、どうしても「公的」なイメージを持ちがちであるが、こうした「私的」なアーカイブズも数多く存在する。むしろ、こうした私的アーカイブズのほうが多いくらいかもしれない。こうしたアーカイブズが、プライバシーの問題含めて公開などできないのは、当然のことだ。そこで、私的なアーカイブズのアクセシビリティを考えるうえでは、デジタル化は非常に有効なツールであると考えている。

先に述べたビエンナーレにおいても、この竹村文庫の資料を利用させていただいた。竹村文庫で所蔵している資料15点をデジタル化、そのうち3点をデータより複製、展示した。

ポスターの撮影の様子。機材一式は普通自動車1台で運ぶことができる。 撮影:本橋仁

ポスターの撮影の様子。機材一式は普通自動車1台で運ぶことができる。 撮影:本橋仁

さて、このデジタル化であるが、カメラマン1人・わたし1人で、竹村文庫現地にておこなった。普通自動車に機材をつめこみ、半日程度の作業であった。ポスターや図面などといった大判資料をデジタル化する方法は、さまざまあるが、ここではデジタルカメラによるデジタル化をおこなった。フラットベッドのスキャナなどと比較しても、歪みや、解像度といった質的な短所があり、また作業者には技術を伴う。しかし、大型の設備を必要とせず、暗所でそれなりの広さがあればどこでも作業ができる点で、たいへんフットワークが軽い。なお、今回のビエンナーレでは、ポスターのみならず、図面資料なども全て、このカメラによるデジタル化をおこなった。カメラマンの腕の良さもあり、複製をつくるにおいても、まったく問題がないクオリティを出すことができた。

「第一回創宇社建築制作展覧会」ポスター 資料撮影:影浦淳一

「第一回創宇社建築制作展覧会」ポスター 資料撮影:影浦淳一

資料の閲覧が特定の場所から開放されることは、竹村文庫のような「私的」なアーカイブズの可能性の幅を非常にひろげるものと思われる。そうした点で、出張・どこでも・デジタル化が、比較的容易であることは、その実現可能性を高めるものである。先日、ビエンナーレの報告会を開く機会をいただき、その際にデータを竹村文庫にお渡しした。自由に使っていただきたいという願いを込めた。今後、このデータが、どのように見られ、使われていくかを楽しみにしている。

アーカイブがデジタル化されることの最大の効用は、やはり場所にとらわれず資料との偶然の出会いを生み出してくれることだと思う。いままで知らなかった資料、見たくても見られなかった資料のデジタル化に、大いに期待している。その前提となるデジタル化技術は、もはや「高度」「高価」な技術ではない。しかし、そうした技術のノウハウが、共有され、より一般化されるようになれば、資料のデジタル化の幅は、大いに促進されるだろう。

タイトルとした「{1+デジタル}アーカイブ」は、その解を求めれば、「ひとつのアーカイブとデジタル・アーカイブ」となる。デジタル・アーカイブが、単なる記録のためのデータであれば、ホンモノのもつ魅力には降参せざるを得ない。しかしデータは、箱入りのホンモノとは違い、役小角のように瞬く間に野を越え山を超え、そして忍者のように分身の術を使うことができる。そうしたデータの超人的な力を借りた積極的な2次利用の可能性を常に模索することこそが、デジタル・アーカイブの有効性を立証し、資料のさらなる魅力の再発見につながっていくだろう。資料に携わるものとして、デジタル化が生み出す新たな可能性を、これからもお膳立てしていきたい。

※6)Japon Des Avant Gardes - Centre Georges Pompidou 11 Decembre 1986 2 Mars 1987.


{1+デジタル}アーカイブズ
―建築資料をつかった試行錯誤





PAGE TOP