11, Jan 2018

連載「巨大な書庫で迷子になって——使う側から見たアーカイヴ」
第1回(全3回):美術館とオンライン・アーカイヴ

「巨大な書庫で迷子になって——使う側から見たアーカイヴ」は視覚文化研究者の佐藤守弘氏によるアーカイヴに関する連載記事(全3回)。「美術館とオンライン・アーカイヴ」と題された第1回では、単数形の"アーカイヴ(archive)"という言葉と、複数形の"アーカイヴズ(archives)"という言葉が含む意味の違いや、美術館における"コレクション"と"アーカイヴズ"の違いなどを挙げながら、丁寧に「アーカイヴとは何か」を読み解いている。第2回は「写真とアーカイヴ」、第3回は「サブカルチャーとアーカイヴ」という切り口でご寄稿いただく予定。

寄稿:佐藤守弘(視覚文化研究)

By Archivo-FSP (Own work) [GFDL or CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

By Archivo-FSP (Own work) [GFDL or CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

私は、さまざまなオンライン・アーカイヴを日常的によく利用している。著作権が切れた莫大な量の書籍の複製を公開している国立国会図書館デジタルコレクションや、京都関連の資料を集めた京都府立京都学・歴彩館の京の記憶アーカイブを使って何本か論文を執筆したし、最近興味を持っている土木工事写真については、土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブスでさまざま興味深い写真を見つけた。研究のため、Internet Archiveで19世紀末から20世紀初頭にかけての英語で書かれた日本ガイドを何冊もダウンロードしたこともある。EUのEuropeanaやアメリカのDigital Public Library of Americaのようなアーカイヴ同士を横断検索できるポータル・サイトからは、とてつもない量の情報に接続できる。ほかにもよく使うオンライン・アーカイヴはあるし、私の知らないアーカイヴも当然まだまだある。

インターネットとは、いわば巨大な書庫のようなものである。しかしそれは大きすぎて、中に入ってしまうと自分がどこにいるのか分からなくなる。そういう巨大な書庫のなかで迷子になりかけているひとりの使い手の立場からオンライン・アーカイヴを考えてみようとするのが、この連載のねらいである。

まず断っておきたいのは、私はアーカイヴ/アーカイヴズの専門家ではなく、その作成や管理・運営の実践に携わったことがないということである。といいながら、アーカイヴに大なり小なり関わるテクストも書いている(※1)し、アーカイヴに関する講演をしたり、シンポジウムに関わったり(※2)もしていることから、あくまでも作る側ではなく、使う側から見たアーカイヴの問題について語っていきたいと思っている。

※1)私が書いてきたアーカイヴに関するテクストとしては、佐藤守弘「写真とアーカイブ――キャビネットのなかの世界」(原田健一、石井仁志編『懐かしさは未来とともにやってくる――地域映像アーカイブの理論と実際』学文社、2013年、212〜230ページ)、同「産業資本主義の画像=言語――写真アーカイヴとセクーラ」(『PARASOPHIA京都国際現代芸術祭2015[公式カタログ]』京都国際現代芸術祭組織委員会、2015年、150〜152ページ)、同「郷土を調べる子どもたち——『北白川こども風土記』におけるアーカイブする実践」(原田健一、水島久光編『手と足と眼ざし——デジタル映像アーカイブ研究と地域実践(仮題)』学文社、近刊予定)などがある。

※2「みずのき美術館の学習会 ~福祉施設の作品をアーカイブするには」(2017年1月29日、於・みずのき美術館)の第2部「価値と活用という視点で見るアーカイブ」(榊原充大氏と登壇)で「ミュージアムとアーカイヴズ——ニューヨーク近代美術館をモデル・ケースに」というタイトルで講演を行った——本稿はその延長線上にある。また「アーカイブサミット2017 in 京都」では、ミニシンポジウム「クールジャパンの資源化について」(2017年9月10日、於・京都府立大学稲盛記念会館)に細井浩一、森川嘉一郎、吉田力雄の各氏とともに登壇した。


佐藤 守弘 SATOW Morihiro
佐藤 守弘 SATOW Morihiro

京都精華大学デザイン学部教授。専門は芸術学、視覚文化論。近代における風景/トポグラフィの視覚文化研究、ポピュラー/ヴァナキュラー・イメージ研究など。単著に『トポグラフィの日本近代――江戸泥絵・横浜写真・芸術写真』(青弓社、2011年)。最近のオンライン・テクストに「場所と人間──トポグラフィの視覚文化論」(『10+1 web site』LIXIL出版、2017年8月)がある。

IN THE STUDIO:佐藤守弘の講義情報
http://d.hatena.ne.jp/satow_morihiro/

佐藤守弘の経歴/業績
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/
b-monkey/intro.html


2016年9月14日、世界の美術ジャーナリズムが色めきだった。ニューヨーク近代美術館が、1929年の開館から現在に至るまでの3500を超える展覧会に関する資料のデジタル・アーカイヴをオンラインで公開すると発表したのだった(※3)。「展覧会歴」(MoMA Exhibition History)と題されたウェブページにアクセスすると、「1929年の開館から現在に至る展覧会〔の資料〕をオンラインで公開しています。これらのページは、更新され続けています」(※4)と書かれており、その下のボックスからキーワード検索ができるようになっている。それぞれの展覧会ページには、展示写真、プレス・リリース、展示品のチェックリスト、図録(絶版のものはダウンロード可)、そして展示された作者リストなどが掲載されている。同じニューヨークにあるメトロポリタン美術館が2014年に、所蔵作品の高精細度での複製画像を無料でダウンロードできるようにした報道に続く大ニュースであった(※5)。

初代館長アルフレッド・バー・Jr(1902〜1981)による開館時の展覧会「セザンヌ、ゴーギャン、スーラ、ファン・ゴッホ」(1929年11月7日〜12月7日)を見てみよう。156ページにおよぶ絶版の図録がPDFでダウンロードできるようになっているのだが、図書館蔵書検索サービスのCiNii Booksで調べると、同書のオリジナルを所蔵している大学などの図書館は日本でただ2館だけ。再版を含めても5館だけにしかない希少な図書である。さらに美術館内部で作られたマスター・チェックリストもダウンロードでき、それには全出品作のタイトル、サイズ、制作年、メディア、所蔵先が記載されている。

1955年に開館25周年記念としてエドワード・スタイケン(1879〜1973)のキュレーションで開催された写真展「人間家族」のページには、図録はいまでも販売されているのでダウンロードはできないが、チェックリストの他に5種類のプレス・リリースが掲載されている。そのなかには、写真の応募を呼びかけるものまであり、展覧会がどのように形成されていったかをうかがい知ることができる。また1965年にバーナード・ルドフスキー(1905〜1988)によって企画され、「ヴァナキュラー建築」という概念を確立させた建築写真展「建築家なしの建築」のページには、絶版図録のほか、9点の展示景写真が掲載されていて、斬新な写真展示の様子が確認できる。あるいは、ウィリアム・ルービン(1927〜2006)が企画し、いわゆる「部族芸術」の扱い方をめぐって論争を引き起こした「20世紀美術におけるプリミティヴィズム」展(1985年)のページには、英語版図録は刊行中のため掲載されていないものの、絶版となった他国語翻訳版が数点載せられている。そのなかにはなかなか高価であった日本語版も含まれていて、それを買った人間(私も含めて)にとっては、どことなく悔しい気持ちを抱かせることになる。

もちろんこれらの資料は、研究者には以前から公開されていたものの、基本的には現地に行って、手続きを済ませて閲覧するという手順を踏まなければいけなかった。MoMAにかぎらず、さまざまな情報を自宅のコンピュータから閲覧できるようになったというのは、まことにありがたいことである。

※3)日本での報道の例としては、「オンラインでMoMA展覧会の歴史を振り返る『The exhibition history』」(ウェブサイト『Swings』、BULANCO、2017年1月11日)。公開に関する公式プレス・リリースは、“The Museum of Modern Art Launches Comprehensive Online Exhibition History”

※4)原文は「Exhibitions from our founding in 1929 to the present are available online. These pages are updated continually.」(参照:2017年12月22日)

※5)この時点では主に学術利用や個人利用に限られるものの、所蔵作品のうちで「OASC〔Open Access for Scholarly Content〕」のマークが付けられているものに関してはダウンロード可能であった。日本での報道の例としては、「メトロポリタン美術館、約40万点の高精細画像ダウンロードを可能に」(ウェブサイト『ITmedia NEWS』、IT media Inc.、2014年5月20日)。公開に関する公式プレス・リリースは、“Metropolitan Museum Initiative Provides Free Access to 400,000 Digital Images”。さらに2017年には、37万5000点をクリエイティブ・コモンズのCC0ライセンスで公開した。


さて、ここで「アーカイヴ(archive)」という言葉の意味を整理しておきたい。語源はギリシア語で「役所」を意味する「arkheion」(それはさらに「政府」を意味する「arkhē」、そして「arkhein」すなわち「支配する」までたどることができる)。基本的には複数形(archives)で用いられ、「公文書の保管所」という意味である。たとえば1971年に開館した国立公文書館の英語表記は“National Archives of Japan”であり、それに先立つ1963年に開館した京都府立総合資料館(現、京都学・歴彩館)の英語表記は、“Kyoto Prefectural Library and Archives”である。つまり公文書館などは「アーカイヴズ」と称するのが本来正しい。ところが哲学や思想の研究や、さらには美術や写真の研究/批評の世界では、アーカイヴを単数形で用いる場合もよく見られる。ある時代・地域に生きた人びとの思考の傾向を考察しようとするとき、その分析対象となるのは、その時代・地域で発話され書き残された言葉であるが、その一見、無秩序にも見える集合体を比喩的にアーカイヴと呼ぶ。公文書館のように確固たる目的を持って人為的に収集され、分類され、保管されるアーカイヴズとちがい、残された言葉の集合体をアーカイヴのようなものとして見るのである(※6)。単純化していえば、現実世界に物理的に存在し、紙ベースの文書を集め保管する機関を「アーカイヴズ」と呼び、概念/批評用語としては単数形の「アーカイヴ」を用いるというのが基本ではないかと——あくまでも私見ではあるが——捉えている。

ところが、紙ではなく、デジタル化されると前者も「アーカイヴ(archive)」と単数形で用いられることが多くなる。その正確な理由に関しては、門外漢である私には分からない(この点に関してはどなたかご教示いただきたい)が、もともとは物理的存在である紙に記された情報がデジタル化されることにより、実在と概念のあいだを漂うような存在となるからではないかと考えている。

※6)ミシェル・フーコー『知の考古学』新装新版、中村雄二郎訳、河出書房新社、2006年。フーコーの「アーカイヴ/アルシーヴ」概念については、濱野智史「ミシェル・フーコー『知の考古学』を読む──アルシーヴの環境的転回?」(『〈歴史〉の未来』第4回、ウェブサイト『artscape』、DNP大日本印刷、2010年01月15日号)も参照のこと。


さてもう一度、MoMAの例を考えてみよう。巨大美術館であるMoMAには経営から日常の運営に至るまで多くの部局が存在する。もちろん美術館の核であり花形とも言えるのは、20万点を超える収蔵作品——絵画や彫刻といった伝統的なメディアの場合は「オリジナル」——が構成する「コレクション」であり、それを研究し、展覧会を企画し、カタログを作るのがキュレーターたちである。一方で、MoMAには、アーカイヴズもあり、そこにはアーキヴィストたちが働いている。そこにあるのは多くの場合紙ベースの歴史資料——手紙、論文、記録、写真など——で、利用者は火曜から金曜の午後1時から4時までのあいだ、アポイントメントをあらかじめ取れば訪れて調査することができる。ここに保存されていた資料のうち、展覧会に関係するものをデジタル化し、オンラインで公開したのが、冒頭で紹介した「展覧会歴」である。

MoMAに代表される美術館という機関=制度においては、コレクションとはモノとして存在しているオリジナルの「作品」を収集/保存/展示するところであり、アーカイヴズとは作品の外側にある資料を収集/保存するところであると峻別されている。この例は、アーカイヴズが本来どのようなものであったのかを理解するうえで役に立つと思う。

では、デジタル化によってなにが変わったのだろうか。MoMAの看板作品のひとつ、パブロ・ピカソ(1881〜1973)による《アヴィニオンの娘たち》を紹介しているウェブページを見てみよう。そのページで見ることができるのは、作品の画像、作者名、タイトル、制作場所、制作年、メディウム、サイズ、作品番号といった基本データのほかに、解説文、所蔵歴などである。画像以外はすべてテクスト情報であり、作品の外側にあるもので、厳密にいえばアーカイヴズに帰属するものともいえよう。このページは、ウェブサイトの「コレクション」のなかにある(URLでいえば、www.moma.orgというホスト内の/collection/works/というパスにある)にもかかわらず、作品だけではなく、それ以外のアーカイヴ的情報で充たされているのである。

今、不用意に「作品」という言葉を用いたが、当然ここには作品は存在しない。作品そのものはニューヨーク53丁目にある館の5階に陳列されており、私は時間と経費を捻出しないとそれを見ることはできない。ここにあるのは作品の写真複製——さらにそれをデジタル・データ化したもの——なのである。

コンピュータ/インターネット上のアーカイヴ情報は、美術館という現実の建物のなかに実在する作品の複製と、その建物内のファイル・キャビネットに収められた文書類の複製である。それらは物質性を失ったデジタル情報となって、サイバー・スペースに移住する。現実空間に存在する美術館/アーカイヴズと、概念としてのアーカイヴのあいだで漂うもの。それこそがオンライン・アーカイヴなのかもしれない。


今回は、MoMAのデジタル・アーカイヴを例として、美術館におけるコレクションとアーカイヴズの役割分担を概観してきたが、これは絵画や彫刻といった伝統的な美術作品の場合であり、近代的な芸術に対する考え方とそれに由来する「作品」概念を前提としている。ところが、現代ではそうした概念は疑問視され、オリジナルとはなにかという問題もまた自明のものではなくなってきている(デジタル写真のオリジナルとは一体なんだろうか)。次回ではオリジナル/コピーの問題を含み、その存在自体が元来アーカイヴ的であると指摘されてきた写真を主なトピックとして採り上げたい。


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第1回(全3回):美術館とオンライン・アーカイヴ





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