05, Mar 2010

文化とコンピューティング
-日本の人文学研究とコンピュータ利用の課題-

人文学研究においてコンピュータの登場は何をもたらしたのだろうか。文化とコンピュータはどのような関係にあるのだろうか。その最先端の事例あるいは根本的な問題点を、最近開催されたいくつかのシンポジウムや研究会の活動から考える。

當山日出夫(立命館大学グローバルCOE 日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点 客員研究員)

1. 文化とコンピューティング国際会議

研究者が個人のレベルで使用するパーソナルコンピュータ(パソコン)が登場してからでも、20年以上の年月がたつ。一世代が経過している。その間、人文学研究、そして、その研究対象であるとことの「文化」は、コンピュータによってどのような影響をこうむってきているか(あるいは、いないのか)、これが、いわゆる「WEB2.0」といわれる新しいコンピュータ社会のなかで問われている。

2010年2月22・23日と、京都大学で「第11回情報学シンポジウム」が開催された(情報学研究科主催、於百周年時計台記念館)。そのテーマは「文化とコンピューティング」であった。まず、このことの意義を確認しておきたいと思う。えてして理工系の発想にながれがちな情報学の立場から、あえて「文化」に正面からとりくんだこころみとして、きわめて高く評価できるものである。

シンポジウムは、2日間にわたって開催された。その特徴としては、国際性と多様性にあるといえよう。

まず、第一に、国際会議と称するようにきわめて国際色ゆたかな会議であったことがある。以下に述べるように、このシンポジウムは、複数の研究会などを並行してすすめる形式でおこなわれた。その総体を俯瞰するならば、欧米のみならず、アジアなどふくめて、多文化・多言語を視野にいれた、国際的なものであったこことが重要な意味をもっている。

第二には、中軸となるシンポジウムの他に、同時並行で、多様な研究会などが開催されたことである。そのプログラムを概略するならば、おおむね以下のようになる。

中軸として、情報学シンポジウム「文化とコンピューティング」が二日間にわたって開催された。その他にも、次にしめすような多彩なもよおしが同時に並行しておこなわれた。

  • 特別企画:パネル「人文科学の新展開:立命館大学におけるデジタル
  • ヒューマニティーズ」
  • 特別企画:パネル「京都の職人
  • 神主とのカルチュラルコンピューティング」
  • 情報処理学会 人文科学とコンピュータ研究会「日本における人文科学とコンピュータ研究の現状と課題」
  • 電子情報通信学会 人工知能と知識処理
  • 異文化コラボレーション合同研究会「言語グリッドと異文化コラボレーション」特集
  • SAT 大蔵経テキストデータベース研究会 国際ワークショップ「仏教学学術知識基盤の形成」
  • 多文化共生センターきょうと「医療の多言語支援」
  • 京都仏教文化フォーラム「仏教文化とコンピューティング」
  • International Workshop on Agents in Cultural Context
  • APAN eCulture Workshop "The scope and Perspectives of APAN eCulture WG"
  • 展示(※詳細は省略)
  • レセプション(呈茶席)
  • エクスカーション「島原角屋」

このように多彩な行事や展示が、二日間にわたり集中的に開催されたのである。

これだけの行事が同時並行で進められると、とても一人の人間が全部をカバーすることはできない。ここは、筆者が年来より関心のある、人文学研究におけるコンピュータ利用の観点から、出席することのできたいくつかのシンポジウム・パネル・研究会について、言及するにとどめることをお許しねがいたい。

また、これと並行してであるが、国立国会図書館において、テーマとして関連するシンポジウムなどが相次いで開催されている。たとえば、
・ディジタル情報資源の長期保存とディジタルアーカイブの長期利用に関する国際シンポジウム(2月19日)
・デジタル情報資源ラウンドテーブル発足記念講演会「知的資産を繋ぐ―ヨーロッパの実践」(3月2日)
が開催されている。

これらについてもふれながら、日本における人文学研究とコンピュータ利用の抱える問題点について、以下、いささかの私見をのべることとしたい。

なお、「文化とコンピューティング」の全体については、次のURLをご参照ねがいたい。
http://www.ai.soc.i.kyoto-u.ac.jp/culture2010/


當山日出夫 TOUYAMA Hideo
當山日出夫 TOUYAMA Hideo

1955年、京都生。慶應義塾大学文学部(国文学専攻)。専門は、日本語学 (日本語の歴史的研究)。最近の研究テーマは、主に文字についてのこと。人文学研究でのコンピュータ利用に、初期のパソコンの時代からかかわる。情報処理学会の人文科学とコンピュータ研究会運営委員など。文字研究会代表。J ADS(アート・ドキュメンテーション学会)は創立当初の研究会のときからの会員。個人ブログ「やまもも書斎記」では、主に人文情報学をテーマにあつかっている。

個人ブログ「やまもも書斎記」

http://yamamomo.asablo.jp/blog/


2. Digital Preservation

話題をかえて、国立国会図書館の「ディジタル情報資源の長期保存とディジタルアーカイブの長期利用に関する国際シンポジウム」(2月19日)について、すこしふれておきたい。

行事の詳細は、次のURL
http://www.ndl.go.jp/jp/event/events/20100219.html

ここでは、個々の講演について立ち入ることはせずに、筆者の興味関心から注意すべきだと思った点を二点ほどあげておきたい。

第一には、用語の問題である。特に印象にのこったのが、「Digital Preservation」の語である。普通にいまの日本語でいうならば、「デジタルアーカイブ」というところである。「Digital Preservation」は、強いて日本語化するならば「デジタル保存」ということになるであろうか。そして、シンポジウム全体にわたり、海外からの発表者の多くが「デジタル保存=Digital Preservation」を、より広い包括的な概念として使用していたことである。なにかをデジタル化して保存する行為一般である。そして、そのなかに、狭義の「デジタルアーカイブ」(アーキビストである人たちの言うアーカイブズのデジタル化)が一つとしてある。

日本では、「デジタルアーカイブ」のことばがここ数年来よくつかわれてきている。それが、「アーカイブズ」(本来の意味での文書の管理・保存を業務とする)にかかわる人たちとの間で、一種の軋轢を生んできたこと、それが言い過ぎであるならば、ある種の議論のすれ違いが生じていたことは、確かなことであろう。少なくとも、「デジタルアーカイブ」ということばは、「アーカイブズ」にたずさわる人たちにとって、率直には受け入れがたいものであった。この間のいきさつについての考察はさておくとしても、ここに、「Digital Preservation」ということばをさしはさんで考えてみると、論点の整理ができるかと思う。

アナログ資料のデジタル化による保存ということがある。また、デジタル環境で発生した資料(Born Digital)の保存もある。これらの「保存」一般にかかわるデジタル技術の利用と、旧来の紙の文書を対象としてきたアーカイブズとでは、必ずしも発想を共有するとはいえない。しかし、今日の状況では、アーカイブズの側にたつ人たちであっても、デジタル技術の利活用をもはや無視できないという状況であることは否定できない。ここで、「デジタルアーカイブ」ということばの定義や適用をめぐって、不毛といってもいいような反目の状況がなかったとはいえない。これが筆者の感じているところである。

しかし、ここに「デジタル保存(Digital Preservation)」というより広範囲の概念を導入することによって、ある程度は議論の交通整理ができるように思える。この概念の導入によって、「デジタルライブラリ」「デジタルミュージアム」など、今日、われわれが直面している課題について、いくらかなりとも論点の整理(いったい何のためのデジタル化であるのか)が、できるように思える。

それから、第二に印象深かった点は、この「Digital Preservation(デジタル保存)」を社会のインフラとしてとらえる視点である。「インフラ」と言った場合、必ずしも「文化」や「人文学」に限定されない。より広範囲な、政治・経済活動など、社会のシステムを基本から支えるものとしてとらえていることになる。

「文化」や「人文学」におけるコンピュータ利用においても、ややもすれば、その分野での利用に限定して考えがちであるが、そのようなことはない。世の中全体でのコンピュータ利用、種々の資料のデジタル化を背景にしてこそ、「文化」やあるいは「生活」におけるコンピュータ利用の意義や問題点があきらかになってくる。まずは、社会のインフラとしてのデジタル、この観点を確認しておなかければならない。


3. デジタルライブラリ-artとArt-

情報学シンポジウム「文化とコンピューティング」であるが、ここでは、視点を絞って紹介することにしたい。なお、プログラムの全体は、
http://www.ai.soc.i.kyoto-u.ac.jp/culture2010/
を見ていただきたい。

「文化とコンピューティング」からは、二つ紹介しておきたい。一つは、長尾真(国立国会図書館長)による基調講演。これは、氏が随所で講演などで語っておられる電子図書館(デジタルライブラリ)についてである。

今回の講演では、電子図書館の話しの前に、まず「書」の話しからはじまった。長尾真氏が超多忙な毎日でありながらも、「書」にしたしむことを欠かさない日常をおくっておられることは、知られている。今回の講演では、まず、「書の美」とは何かからはじまって、褚遂良や北魏の龍門石窟の「書」が、プロジェクタで映し出された。

そして、「ロボットによる書」とは何か……という問いかけが発せられた。長尾氏の語るところでは、ロボット(コンピュータといってもいいだろう)に、運筆を記憶させて極限までシミュレーションすれば、王羲之の「書」であっても再現は可能であろう。しかし、シミュレーションは、創造の行為ではない。最終的には、ロボット(コンピュータ)は、自発的に「作品」を作れるかという、という問いにいきつくことになる。筆者なりにいいかえれば、コンピュータにクリエティブな文化の創造が可能か、ということである。また、これを視点をかえれば、「書」を鑑賞する人間の「こころ」の問題にもおよぶことになる。

長尾真氏はこのように示している「art(技術)でArt(芸術)を作れるか」と。

さて、このような話題の後、電子図書館である。この件については、すでにいろいろ情報発信されている。国会図書館の大規模デジタルライブラリ構想(1968年までの約90万冊を2年間でデジタル化、127億の予算)である。この大機規模デジタルライブラリ構想のなかで浮上してくるのが、「本」以外の「文化財」であり、そのデジタル化である。たとえば、写真・地図・パンフレット・演説・CD・TV・映画フィルム、など。これからさらに視野をひろげれば、有形無形の様々な文化遺産のデジタル保存の課題に直面することになる。ここで、文化とコンピュータ、そして、そのデジタル化されたコンテンツの長期保存が課題となる。

ここで、先にのべた、Digital Preservation の課題というべきことになる。少なくとも、ここで課題になっているのは「デジタルライブラリ」であって、狭義の「デジタルアーカイブ」(アーカイブズ、文書の保存管理)ではない。

ともあれ、「文化」をデジタル化し保存しようとすれば、メタデータやフォーマット、メディアの保存性、コンテンツの記録媒体間のコピーのコスト、などなど、様々な困難がある。だが、これらの問題点の最終的な課題は、「コンピュータに文化を乗せられるか」という問いかけになる。

だが、現実には、現代社会には、たとえばコンピュータグラフィックスやケータイ小説などに代表されるようなコンピュータ文化もすでに存在している。これはもやは無視できない存在である。そして、最後の問いかけとしては、「art(技術)がArt(芸術)になるか」である。

長尾氏の講演のしめくくりは、電子図書館に様々な可能性の夢を託しながらも、同時に、新しい「文化」をそこから生み出していけるかどうか……氏が最近したしんでおられるという陶芸作品との比較においての、根源的な問いかけなのであった。

このような問いかけには、おそらく永遠に正解はないであろう。しかし、重要なのは、すでにコンピュータが文化として、われわれの生活のなかに定着しているという厳然たる事実である。


4. ジョイントトーク「デジタル・ヒューマニティーズ」

「文化とコンピューティング」は様々な企画からなっているが、「文化」について「人文学研究」という視点からに、限定させていただく。二人の登壇者の講演と対談という形式による、ジョイントトークが4本くまれていた。ここでは、ジョイントトーク「デジタル・ヒューマニティーズによってひろがる新たな日本文化研究」に触れておきたい。登壇は、Dr. Ellis Tinios(University of Leeds, UK.)と、赤間亮氏(立命館大学)である。

Tinios氏は、「Widening Access to Edo-period Illustrated Books」と題する講演であった。氏の専門は、日本・中国の古典籍。この発表では、特に日本の江戸時代の木版本(絵入り)の研究に、資料のデジタル化とデータベース(オンラインのイメージデータベース)の構築がどのように有効であるのか、豊富な事例紹介とともに説明するものであった。まず、講演は、日本の江戸時代に刊行された多くの絵入り版本の紹介からはじまり、その技法のすばらしさと、研究の難しさを語るところからはじまった。

まず、研究は、書物と書物とを比較して比べることからはじまる。その資料となる書物が、決して一カ所に集まってはいない。いや、世界のいたるところに散在しているのである。これを、並べて見くらべて比較して……どのように印刷の技法が違うか、書物としての構成が異なっているか、判断していかなければならない。これには、デジタルのオンラインによるイメージデータベースという強力なツールが必要不可欠である。

日本の江戸時代の書物は、実はその多くが海外にある。日本にあっても、幕末維新から明治以降にかけて海外に流出した大量の書物があり。一方で、日本国内では、関東大震災・第二次世界大戦などによって消失してしまったものも多い。この事実をまず指摘して、欧米などに大量の日本の書籍があるのに、それをあつかえる専門的知識を持った司書や学芸員が不足しているのが現状であり、せっかくの資料が研究に利用されないままでいることを慨嘆するものであった。そのうえで、日本文化研究、出版文化研究のためには、資料のデジタル化とオンラインによる利活用が必須であると話しがあった。

それをうけて、赤間亮氏による講演では、研究者自らが海外の所蔵機関に出向いていってデジタル撮影し、データベース化して公開することの意義を強調するものであった。業者委託しないで研究者自らがおこなうということは、とりもなおさず、研究者自らの研究に役立つ。それは、特に若手研究者の教育にきわめて有効であるとの説明もあった。

対談の時間は限られたものではあったが、そのなかで特筆すべきは、「デジタル複製物の共有」ということであろう。世界中に散在している日本の文化財資料が、デジタル化され(=複製され)オンラインで、研究者によって共有されることによってこそ、その基盤のうえに、新たな研究の領域が開拓されるものであることが、強く主張されていた。「学会誌」など、研究者間での情報共有という基本の土壌はすでにある。そのうえに、さらにイメージデータベースというデジタル技術をもちこむことの意義を、強調するものであった。

また、所蔵品のイメージデータベースの公開ということで先駆的な役割をになっている大英博物館のとりくみへの言及があったことも忘れてはならないことである。膨大な日本文化の研究資料(浮世絵など)の公開は、日本のみならず海外でも率先しておこなわれているのである。


5. パネル「人文科学の新展開:立命館大学におけるデジタル・ヒューマニティーズ」

デジタル・ヒューマニティーズ、というのは、あまり聞き慣れないことばであろう。おそらく日本で最初に、このことばを本格的にとりあげたのが、立命館大学のグローバルCOEにおける「日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点」なのである。

まず、このプロジェクトの概要について、八村広三郎氏(理工学研究科)から説明があった。従来のCH(Computer & Humanities)と、DH(Digital Humanities)がどう違うのかについて説明がなされた。

これを筆者の理解する範囲で要約するならば……ただ単にことばの目新しさだけではない。その考え方、発想の新しさにある。コンピュータをつかった人文学研究はすでにある。その単なる延長ではない。研究資料がデジタル化され、研究活動もコンピュータのうえでおこなわれる。インターネットによる研究者相互の交流、また、研究成果の公開など、すでにコンピュータをつかうことが当然のなかにある。コンピュータであることが当たり前、この流れのなかでの変化のさきにあるものとして、デジタル・ヒューマニティーズなのである。また、「文理融合」ではなく「文理連携」なのである、とも説明があった。

これをうけて、赤間亮氏(文学研究科)からは、立命館独自のデジタル・ヒューマニティーズの方向性が示された。それは、マルチメディア型、であるということ。従来の人文学研究におけるコンピュータ利用は、テキストデータを中心とするものであった。そうではなく、イメージデータをふくめた総合的な資料をあつかう。また、立命館では、博物館・美術館との連携を推進している。このことによって、日本文化研究の資源の共有化をはかるものであることが、語られた。

その具体的事例として、つづいて、中谷友樹氏(文学研究科)によるバーチャル京都の説明、前崎信也氏(グローバル・イノベーション研究機構PD)からは陶磁器のデータベース、稲葉光行氏(先端総合学術研究科)の京都のナラティブの視覚化について、発表があった。

筆者の関心として興味深かったのは、第一には、テキストに依存しない、イメージデータもとりこんだマルチメディア型の人文学研究(それもコンピュータを利用しての)が、どれほどの説得力を持って、世の中の研究者に受け入れられるか、という点である。これは、前述のジョイントトークでのイメージデータベースの構築と共有とあわせて、今後の展開に期待したいところである。

それともう一点は、DH(Digital Humanities)として、様々に情報発信していくなかで、間違った誤った日本文化理解がひろまってしまうかもしれないことへの懸念である(質疑応答において)。これに対しては、完璧なものをもとめていては永久に外に出すことはできない、多少のミスがあったとしても公開・共有することの意義を強調していた、赤間亮氏の発言が印象的であった。氏はこれ以上のことは述べていないが、この問題は、インターネット上でのいわゆる「集合知」「専門知」の議論へと発展するものであろう。


6. 「国際ワークショップ仏教学術知識基盤の形成」 SAT大蔵経テキストデータベース研究会

コンピュータがまだ大型計算機であった時代、それを人文学に利用しようと積極的にこころみた研究分野のひとつが宗教研究である。キリスト教においても、大規模コンコーダンスの作成がこころみられている。仏教においても、大蔵経のテキストデータ入力が、かなり初期のころよりスタートしている。この国際ワークショップは、世界各地でおこなわれている、各種の仏教経典のテキストデータ化について、総合的に討論するものであった。

日本においては、SAT(大正新脩大蔵経テキストデータベース)が構築されている。しかし、仏典のテキストデータは世界ではこれにとどまらない。今回の国際シンポジウムでの発表に限っても、韓国やタイなどでの大規模テキストデータ入力についての発表があった。

もはや、仏教研究の世界において、研究対象となる文献が、コンピュータでテキストデータとしてコンピュータであつかえる、これが当然のこととなっている、このことをまず認識しておかねばならない。(ワークショップでは特に話題とはならなかったが、この意味では、日本で撰述された仏教書の類のテキストデータ化が、今後の重要な課題としてある。)

仏教研究の分野において、すべての文献が、同じように伝存しているわけではない。オリジナルはすでに失われて、他の言語(漢文やチベット語など)に翻訳されたものだけが残っているものが多い。それもそのまま伝わるのではなく、注釈書に引用されるなどの形で部分的断片的に残るなどする。これらの錯綜した膨大な文献群を対象としなければならない、そして、(逆説的な言い方をあえてすれば)それがコンピュータによって可能になっている、少なくともより容易になってきているのが、いまの仏教研究のあり方である。

しかし、それがそうは簡単にいかないのも、一方の現実である。各文献の本文批判の問題からはじまって、多種多様な言語に訳された文献の相互の参照関係を明らかにするだけでも、非常な難関がたちはだかっている。それぞれのテキストデータの入力の方針を尊重しつつも、国や言語が異なり、また、システムも異なる、各種の多様なテキストデータを関連づけて、文献の本文研究をすすめていくのは、なみたいていの作業ではない。相互の立場を尊重し合いながらも、国際的な協調の必要性、また、膨大かつ多言語のテキストデータ、そして、その複雑な関係、まさに仏教研究におけるコンピュータ利用こそ、人文学研究における各種の問題を象徴的にふくんでいるといえる。

このワークショップでは、この問題点や課題が大きく浮き彫りになったと言ってもよいかもしれない。だが、このような問題点や課題がよりはっきりと関係者の間で共有されるようになってきている、ということの意義は大きいと言えるだろう。次項(CH研究会の項目)でも述べるように、メディアの変換と多様性、多言語にわたるテキスト、これは、人文学研究における根本的な課題であり、そして、まさにコンピュータ利用がこれにどうこたえることができるのかが、問われているからである。


7. 日本における人文科学とコンピュータ研究の現状と課題-日本と国際動向の関係をさぐる-

情報処理学会のなかに「人文科学とコンピュータ」研究会というのがある。CH研究会という。通称「じんもんこん」ともいう。これが主体となっての研究会である。

この研究会からは、二つのことを指摘しておきたい。

まず第一は、メディアの変遷についてである。これは、前述した大正新脩大蔵経テキストデータベースともふかく関連する。人文学研究の資料は、テキストや画像資料など多様性にとむが、何よりも忘れてはならないのは、その歴史的変遷をたどること自体が研究である、ということである。

下田正弘氏(東京大学)の発表で指摘されていたこと。たとえば、無文字の時代、口承によって伝えられていたことが、文字によって記されるようになる。写本の時代である。それが、印刷の時代をむかえる。東洋における製版本であったり、西欧のように活版印刷術の発明であったり。そして、近代的な活版印刷の時代を経て、今日、資料のデジタル化という状況に直面している。

まさに、人文学研究者こそが、いまの各種のデジタル化の時代において、メディアの変換という観点から、その見識を求められている時代である。その自覚が、世の中の多くの人文学研究者にあるだろうか……筆者なりに強引に理解すれば、このような根源的な問いかけであった。デジタルが人文学を変えるではなく、人文学こそがデジタルを変える原動力になり得なければならない、このようなメッセージと読み取ることもできるかもしれない。

つぎに、重要であったのは、人文学の分野での日本と諸外国とのデジタル化のちがいである。日本の現状については、相田満氏(国文学研究資料館)、石川徹也氏(東京大学)、原正一郎氏(京都大学)から報告があり、海外の事例報告としては、田窪直規氏(近畿大学)、門林理恵子氏(情報通信研究機構)、クリスティアン・ウィッテルン氏(京都大学)より発表があった。また、師茂樹氏(花園大学)による日本と海外との文字コードへのとりくみの問題についても言及があった。

このなかで、やはり言うべきは、残念ながら日本の現状のたちおくれということになる。これは、国家レベルでみて、その規模と理念においてである。象徴的に二つの事例を紹介する。

田窪直規氏からは、韓国の国家規模での大規模デジタル化構想について報告があった。日本でおこなわれている文化遺産のデジタル化とは、根本的に異なり、国家規模でのプロジェクトとして大規模かつ組織的におこなわれている。予算規模においても、また、人員や設備の面でみても、日本は、はるかにたちおくれている。

このような具体的事例の一方で、門林理恵子氏より報告のあったヨーロッパの事例は、むしろ理念の例といえるかもしれない。文化資源のデジタル化については、「ロンドン憲章」という形で明文化された基本方針と理念があり、さらには、「ICOMOS Ename憲章」が制定されている。(ヨーロッパの事例については、後述の国会図書館の講演会でのEuropeanaをもご参照ねがいたい。)

このようなことは強いていえば、単なる「愚痴」に終わるだけのことかもしれない。だが、そうも言ってはいられないという懸念を筆者は感じている。それは、二日間にわたって開催された「文化とコンピューティング」シンポジウムにおいて、人文学研究に関わるセッションがいくつかあった。それらに共通して参加したメンバーが意外と少ない、ということである。残念ながら、前日にあった、立命館のデジタル・ヒューマニティーズのセッションと、このCH研究会のセッションと両方に参加したのは、筆者をふくめて、ほんのわずかであった。

日本と海外との人文学におけるデジタル化の問題を指摘することも重要である。しかし、その一方で、日本国内において、いくつかのグループにわかれているデジタル関係の研究会の総合的なつながりの必要性を強く感じる。日本において、MLA(ミュージアム=美術館・博物館、ライブラリ=図書館、アーカイブズ=文書館)このデジタル基盤による連携が急務であり、また、それぞれにあるいくつかの研究組織の横断的な連絡と協力関係の構築が、重要になってきていると感じる。これがないことには、諸外国と対抗しうるだけの基盤を持つことができないのではないか、このような懸念を筆者は感じるのである。


8. MLA連携

京都大学でのシンポジウムとは別に、国会図書館でも最近のうごきとして、目につくものがある。本稿にこれまでに記したシンポジウムや研究会などの他に、注目すべきものとして、

デジタル情報資源ラウンドテーブル発足記念講演会
「知的資産を繋ぐ-ヨーロッパの実践」
2010年3月2日 国立国会図書館

である。詳細は、次のURL、
http://www.ndl.go.jp/jp/event/events/mlalecture.html

国会図書館のデジタル情報資源ラウンドテーブルについては、また改めて紹介する機会があるかと思うので、ここでは、この記念講演会で主な話題となった、MLA連携について触れておきたい。

MLA連携については、すでに、このAMeeTでも、言及がある。2009年12月21日の「アート・ドキュメンテーション学会」の記事。
http://www.ameet.jp/digital-archives/digital-archives_20091221-2/#page_tabs=0

これは、日本における「MLA」連携についての一つの試みであったもの。これは、ヨーロッパではすでにはるかに先行してしている。そして、デジタル技術を基盤として、「Europeana」という巨大な、文化遺産のポータルサイトが運営されている。
http://www.europeana.eu/portal/

ここでは、京大でのシンポジウムをうけて、次の二つの点を確認しておきたい。

第一には、MLA連携が特にヨーロッパでは非常に進んでいるということである。EUの各国内において、MLAの連携があると同時に、EUの全体で、M・L・A、それぞれに連絡組織をつくっている。このような背景のもとに、縦横な文化資産の統合的な利活用が可能になっている。

第二には、紹介されたデンマークの事例、ポータルサイト「文化の真珠(Pearls of Culture)」、さらには、「Europeana」は、各国・機関をまとめるアグリゲータ(集合)である、ということである。自らがデータをつくるのではなく、すでに作られ公開されているデータを集めて整理して、一般の利用者に提供するものである。つまり、この背景には、前提として膨大な、デジタル化された個別の多数のMLAがある。これが日本の現状と決定的に異なる点である。

この講演会でも、長尾真氏(国立国会図書館長)を司会としたパネルディスカッションがあったが、そこでも、著作権が非常に重要な課題であることなど、参加者からも発言があいついだ。

ただ、ここで重要なのは、デジタル技術を基盤としたMLA連携(デジタル情報資源)といった場合、もっともデジタル化がすすんでいる、また、やりやすいのが、図書館(ライブラリ)であるということもである。この背景のもとに、国会図書館デジタル情報資源ラウンドテーブルの発足となったわけであると筆者は理解する。今後、この企画が文化とコンピュータにどのように影響をあたえることになるのか、きわめて注目される。

文化とコンピュータを考えたとき、MLA(美術館・博物館、図書館、文書館など)が、文化遺産の保有者としてまず浮かび上がってくる。これと大学などの研究機関をふくめての、相互の連携が今後の課題である。


9. まとめ

以上、2010年2月22・23日にかけておこなわれた、京都大学での「文化とコンピューティング」シンポジウム、それと関連して、国立国会図書館でのデジタル情報資源保存についてのシンポジウムなどについて、筆者の見聞し思ったことを記してきた。最後に、そのまとめとして、いくつかの観点から論点を整理しておきたいと思う。

文化とコンピュータ、人文学研究とコンピュータを、どう結びつけるかという課題になったとき、そのつながりとして何が適切か、という課題がある。このとき、基本になるのは現状ではまずは、図書館であろう。これは、特に、日本の場合にそうである。

まず、他の機関(美術館・博物館、文書館など)に比べて、デジタル化が進行している。そして、現実にデジタルライブラリ(国会図書館)などもあり、図書館どうしの相互連携の実績の背景もある。だが、これをよりいっそうすすめていくためには、その基本となる図書館情報学の基盤整備が必須である。しかし、残念ながら、日本ではこの学術分野の整備がおくれている。ここでは、図書館を中心とした、MLA連携の基盤整備、デジタル情報資源の共有、さらに図書館情報学、博物館学、アーカイブズ学研究の拡充などが、まずは急務であろう。

しかしながら、一方で、京都という街と文化、ということを考える場合、上述のように特にMLAや大学にのみ基盤をおくべきとは限らない。京都の街のなかには、すでにコンピュータを利用した文化が生まれ始めている。伝統をふまえつつ、新しい発想の文化である。

本稿では紹介できなかったが(プログラムの関係で、筆者が参加できなかったわけであるが)、「文化とコンピューティング」では、京都仏教文化フォーラム「仏教文化とコンピューティング」なども開催されている。既存の仏教寺院の僧侶によるコンピュータやインターネットを利用した新しい仏教文化創造の可能性である。

また展示においても、
「文化財修復技術とその素材について」(株式会社宇佐美修徳堂)
「京唐紙の製作に用いる道具と材料」(株式会社山崎商店)
「京都伝統工芸 爪掻つづれ織 実演」(株式会社本つづれ勝山)
などが、最先端のコンピュータ技術の紹介とならんで、多くの人々の興味をひいていた。

MLA連携や大学とかかわるところでのコンピュータではなく、京都の街ならではの、地元の京都文化と密着したコンピュータ利用が、徐々にではあるかもしれないが、根付いていく将来が予感される。コンピュータやインターネットは、基本的には、ごく普通のひとびとのためのものであるという原点にたちかえって、今後のゆくすえをみつめていこうと思う。そしてまた、人文学研究そのものもまた、実際にひとびとの生活の中に生きている文化とつながってこそ、研究のみのりをもたらすことができるのである。


文化とコンピューティング
-日本の人文学研究とコンピュータ利用の課題-





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