
14, Jun 2010

アートの世界にも、確実にTwitterは浸透してきている、そのような印象をうけるこのごろである。
Twitter(ツイッター)は、説明が難しい。140字に限定された、「つぶやき」を共有するシステムである。昨年(2009)の後半ぐらいから、急激にその利用が増加しつつある。従来のホームページ作成や、ブログ、SNS、などにかわる新しい情報の流通・共有のメディアとして、着実にその社会的認識はたかまりつつある。
いや、この認識は正しくないかもしれない。Twitterの利用は、ただ、それのみの内部にとどまるのではなく、既存のWEBの各種サービスと、自由に連携できるとことにその特徴があるとしなければならない。そして、その各種のサービスのなかには、ここ数ヶ月で急に利用のひろまったUSTREAMもふくまれる。USTREAMこそ、Twitterと連携することによって、その価値が発揮されているといえるだろう。
本稿では、まず、(1)Twitterの概要についてのべる(すでにご存知のかたも多いかとおもうが)、そのうえで、(2)実際にTwitterを有効につかっている事例を二つ紹介したい。一つは、京都国立近代美術館であり、もうひとつは、慶應義塾大学アート・センターでの利用である。そして、最後に、(3)現在のアートがどのようにTwitterをつかうという段階から、さらに将来の展望として、Twitterによる新しい創造表現の世界の可能性についても、若干の考察をめぐらしてみたい。
なお、筆者がTwitterをつかいはじめたのは、昨年(2009)の9月から。筆者のTwitterのアカウントは、 http://twitter.com/htoym である。現在(2010年6月)の時点で、フォローしているが、250ぐらい、フォローされているが450ぐらいである。これまでのツイート数は、6000をすこし超えるほど。おそらくは、(現在の流れからすると)比較的はやくつかいはじめて、かなり積極的に利用している方に属するのではないかと思っている。
以下は、このような人間がここ一年に満たない間に感じた、大きなインターネット上での潮流の変化を、アート情報という視点から考えてみたものである。

1955年、京都生。慶應義塾大学文学部(国文学専攻)。専門は、日本語学 (日本語の歴史的研究)。最近の研究テーマは、主に文字についてのこと。人文学研究でのコンピュータ利用に、初期のパソコンの時代からかかわる。情報処理学会の人文科学とコンピュータ研究会運営委員など。文字研究会代表。J ADS(アート・ドキュメンテーション学会)は創立当初の研究会のときからの会員。個人ブログ「やまもも書斎記」では、主に人文情報学をテーマにあつかっている。
このあたり、すでにTwitterを利用の読者にとっては周知のことであろうが、筆者なりの視点から、概要を述べてみたい。
いわれているごとく、Twitterは、たった140字に限定された「つぶやき(メッセージ)」をそのままインターネットに表示するシステム(サービス)のことである。電子メールのアカウントさえあれば、誰でも自由にTwitterアカウントを一つつくることができる。そして、自分の感じたこと、考えていること、身のまわりにおこっていること、目にしたこと、なんでも、つぶやけばよいのである。
それは、TL(タイムライン)として、単純に時系列順にすべて表示される。そして、同じく、他のTwitterのユーザを、フォローする(そのTLの「つぶやき(メッセージ)」を読めるように仲間に設定する)と、それをふくめて全部が単純に時系列順に表示される。
基本的には、ただこれだけのことである。
これに加えて以下のような付随的な機能がいくつかある。
この他、いくつかの機能がある。Twitterの本体がそなえているサービスもあれば、APIの公開によって、他から提供されているサービスもある。また、Twitterの閲覧や利用それ自体も、Twitter自身のホームページから見ることもできれば、他から提供されたソフトによって見ることもできる。
端的にいえば、ユーザの数だけ、表示画面がある。誰をフォローするかによって、表示されるタイムラインはまったく違うのである。このバラバラでありながらも、ゆるやかにつながっているところが、Twitterが人をひきつける魅力の本質であろう。
ある時点での當山のTL
當山のアカウントを表示した状態
前述のごとく、Twitterは、誰をフォローするかによって、その利用者の数だけ、その利用法がある、ということになる。基本的には、自分がフォローしている人のメッセージしか表示されない。そして、それは、自由に設定が可能である。
多い人であれば、1000名を超える、フォローしている/フォローされている、という場合もあるし、また、少なければ(はじめたばかり、あるいは、意図的に制限するならば)、数名だけ、ということもある。
もし仮に、同じ人(アカウント)をフォローして見ているとしても、1000人のなかの一人として見るのと、数人の中の一人として見るのとではまったくちがう。そして、TL(タイムライン)は、単純時系列順でフォローを表示するため、誰をフォローしているかによって、前後に表示されるメッセージの環境がまったく異なる。世の中に、同じ画面のTwitterのユーザの表示は無い、といってよいであろう。
しかし、そうはいいながらも、共通にフォローしているユーザ同士でのリプライ(返信メッセージの共有)などを通じて、ある種のコミュニティのようなものが形成されることもまた事実である。グループウェアのように、メンバーを固定して閉じたものではあり得ないが、しかし、おおむねこれぐらいのメンバーが共有されているという、重なった部分(ユーザの集合)が発生する。それもまた、ユーザの数だけ異なり、ゆるやかなものである。しかし、一種のコミュニティが形成されるということは、筆者の利用経験からいって確かなことと思われる。
その一方で、リツイート、つまり、あるメッセージを、自分をフォローしている人に見られるように再投稿する、この機能によって、非常に強力な広報機能も持っている。逆にいえば、リツイートすると価値判断されたメッセージは、誰かがリツイートして、自分も読めるようにしてくれるのである。また、自分も、広める価値ありと判断したメッセージをリツイートすることによって、さらに広めることもできる。
そして、ハッシュタグ機能、検索機能である。「#」ではじまる半角文字列は、ハッシュタグとして、全ユーザが検索して見ることができる。これも逆に言えば、ある「#」をつけて投稿すれば、その「#」を使っている利用者同士は、一堂に会することが可能になるのである。また、「#」に限らずとも、通常の文字列検索機能もそなえているので、ある話題のメッセージを投稿しているユーザを捜し出すこともできる。
いま本稿を書いている時点でいえば、たとえば、「#gegege」で検索をかければ、HNKの朝の連続テレビドラマ『ゲゲゲの女房』についてのメッセージが、ずらりと表示される。これも視点をかえてみれば、「#gegege」をつけたメッセージは、Twitterの世界全体に対して情報発信していることにもなる。
當山へのリプライ一覧
京都国立近代美術館は、Twitterをつかいはじめた美術館としてはかなりはやい部類にはいるであろう。そして、非常に積極的に利用している。その事例を紹介したい。
京都国立近代美術館
http://twitter.com/MoMAKyoto
ここで、本年(2010)、3月24日~5月5日に開催された展覧会が
「マイ・フェイバリット-とある美術の検索目録/所蔵作品から」
である。
この展覧会は、美術館の所蔵品目録において、「その他」に分類される作品を主にあつめて、美術品のコレクションを分類して展示するとはどういう行為なのかを、メタ・レベルで問いかける、非常に意欲的な内容のものであった。そして、この展覧会において、京都国立近代美術館は、Twitterを縦横に利用して観客とのコミュニケーションをはかっている。
まず、美術館自身が、展覧会についての情報をTwitterで流す。これは、常識的な使い方の範囲だろう。それに加えて、京都国立近代美術館のこころみは、Twitter上にある、この展覧会に行った人の感想メッセージを探しあつめて、リツイートしてどんどん流していったことである。また、それに簡単なコメントも付加している。これによって、この展覧会におとずれた人が、どのような感想をもったか、どの作品に興味をいだいたか、より多くの人が情報として共有できる。
美術館にその意図があったかどうはかは別にして、「マイ・フェイバリット展」という特殊な視点からの展覧会であることをかんがみると、Twitterでの観覧者との双方向コミュニケーションというのは、展覧会の活動の一部であったのかもしれないとさえ思えてくる。まさに、現在のインターネットの世界では「その他」に分類されるしかないようなTwitterの「つぶやき」を丹念にあつめてくることによって、そこに、一つの新しい美術館の見方が生まれてきていると、筆者は感じた。
「マイ・フェイバリット展」のハッシュタグは「#MFexh」。現時点で、これを確認してみればわかるが、展覧会が終わってからも、アンケートの結果などの情報を流している。また、展覧会の裏方の内輪話に類するようなことも、いくつか散見される。
美術館からのインターネットを使った情報発信といえば、一般的には、展覧会の開催情報が中心であった。ブログなどを試みているところもあるが、一般の観客とのお互いのコミュニケーションには、まだ敷居が高い。これがTwitterの利用になると、美術館と観客の人々とが、相互にフラットな関係になる。双方向のコミュニケーションが、まさに、あたかも、仲間内でよりあつまって談笑しているかのごとくに展開する。
これは、美術館の情報発信という範囲を超えて、Twitter利用をふくめての展覧会の企画、このように言ってもよいのではなかろうか。まだ、こころみの段階であるかもしれないが、今後の美術館の展覧会の企画展のあり方に、大いに参考になるとことがあると考える。
慶應義塾大学アート・センター(以下、慶應AC)でも、Twitterをつかっている。アカウントは、
http://twitter.com/rcaaa
慶應ACのURLは、
http://www.art-c.keio.ac.jp/
ここでの利用の特徴は、慶應ACでの行事の広報に利用するのは無論のこととして、USTREAMと連携させていることである。
慶應ACは、土方巽、瀧口修造、イサム・ノグチ、油井正一、などのアーカイブを構築している。そのプロジェクトの一つとして、「ポートフォリオBUTOH(舞踏)」がある。これは、舞踏家である土方巽についてのものである。
たとえば、最近の事例でいえば、2010年5月27日に開催された、
土方巽舞踏大解剖V 「細江英公 写真と舞踏を語る」(レクチャー+写真・映像上映)
日吉キャンパス 来往舎 シンポジウム・スペース
は、土方巽の『へそと原爆』の上映、それから、それを撮影した写真家・細江英公氏による『鎌鼬』や『薔薇刑』などの写真集について、細江英公氏自身が解説・講演するもよおしであった。これを、慶應ACは、Twitterで広報すると同時に、USTREAMでもインターネット中継した。
最近、講演会・研究会などのイベント行事のUSTREAM中継というのが、当たり前のようになってきている。これも、Twitterの普及とは切り離せない関係にある。Twitterで、行事のUSTREAM中継についてメッセージを流す。と同時に、USTREAMを見ている人からのコメントなどが、リアルタイムで、Twitterの画面に流れ込むようになっている。
このようなこと、Twitter+USTREAMというのは、日常的にTwitterをある程度以上つかっていれば、自然と、向こうの側から流れ込んでくるという感覚のものである。まだまだ、技術的には克服すべき問題点など多いとはいえ、Twitter+USTREAMは、単なる動画像のリアルタイム中継という枠をこえて、新しい、創造表現の領域を開拓していくかもしれない予感がある。放送か、通信か、などという旧来の議論の枠組みをこえるものを、軽々とここ半年ほどの間に、Twitter+USTREAMはつくりあげてしまった。
慶應ACのこころみは、単に講演会をWEBで中継するという範囲をこえて、それ自身が一つの表現行為になろうとしているのではないだろうか。このことに自覚的であるか否かは別にして、世の中の動きとして確実にこの流れはあると、筆者は強く感じる。
映像をともなわないTwitter(文字列メッセージ)に限定したとしても、そのリアルタイムでありフラットな性格は、それを基盤とした新しい、創造表現の場となりうる可能性をひめている。その可能性を感じさせるのが、慶應ACのTwitterの利用である。
前項で、Twitter+USTREAMについて触れた。これは、動画像のリアルタイム配信であるが、これに限らず、Twitterが新たな創造表現の場となる可能性はおおいにある。
その一つがTwitter小説である。ハッシュタグは、
#twnovel
まさに140字のなかに、短編、いや、掌編、ではなく、もっと短い作品を書く。それが、不特定多数の作者が、自在に書いて投稿している。そして、それは、ハッシュタグによって、一つの〈Twitter小説集〉として集約される。
さらに、現実に、もうこれはリアルの書籍にもなっている。
『Twitter小説集 140字の物語』.内藤みか(他).ディスカバー・トゥエンティワン.2009
その他に、短歌・俳句などもある。
#jhaiku
#tanka
ちなみに、「#jhaiku」ではなく「j」の無い「#haiku」で検索すると、英語の「HAIKU(俳句)」が、ずらりと出てくる。
このような、個人レベルでの創造表現を自由にインターネット上に発表する場が、これまで無かったわけではない。それは、ホームページであり、それを、簡便にしたものとしてのブログがある。しかし、Twitterの出現は、それらについての敷居をいっきに低いものにしたということは言えよう。ただ、Twitterアカウントをもってさえいれば、自由に発表の場として機能するのである。
また、これは、言語芸術・文芸にかかわるだけではない。写真(映像)でも、写真投稿サイト、たとえば、Flikerなどと、気軽にリンクさせることができる。また、Twitterに直接リンクしている専用サイト、twitpic、もある。
いま現在の段階で、これらに見られる「作品」の完成度がどれほどであるか、その芸術性を言うことは、まだ早いだろう。しかし、作品を発表し、多くの人と共有する場が、より自由に、よりフラットになっていくという、流れがあることは確実である。いわゆる、文学作品、映像芸術であっても、インターネットの時代になって、一つの転換点をむかえているということはよく言われることである。その動きをさらに強く押し進める力をもっているのが、Twitterであるといえよう。
創造表現のプラットフォームを、Twitterは、根底から変革することになるのかもしれない。このように述べても、もはや単なる妄想とはいいきれない段階にきていると、筆者は感じている。
#twnovelを表示したところ
#tankaを表示したところ
おりしも、今年、2010年は、電子書籍の転換点となる予感の年である。Kindle(Amazon)の発売につづいて、iPad(Apple)が登場して、人気をよんでいる。さらには、国立国会図書館の電子図書館構想をはじめとする、世界各国での電子図書館のうごき。そして、いうまでもなく、グーグルブックス(これは、当面の間は、日本には直接の影響はないようであるが。)
iPadが電子書籍リーダとしての役割、新しいプラットフォームとして、多くの注目をあつめていることは周知のことであろう。また、すでに、スマートフォン(iPhone)などは、非常な人気となっている。
そして、iPhoneの人気と、Twitterの人気は、比例しているといってよいかもしれない。iPhoneなどの、いわゆるスマートフォンは、Twitterときわめて相性がよい。もちろん、普通のパソコンからでも、また、通常のケータイからでも、アクセス可能ではあるが、スマートフォンからの利用が、非常に多いのも事実である。パソコンやケータイと並行して、これからは、スマートフォンが、情報通信の中核的な存在のひとつになっていくであろう。
これら携帯端末が、電子書籍リーダとして、世の中に登場してきている。そして、その多くは、(Kindleのような読書専用機をのぞけば)、同時に、Twitterなどにもアクセスできる、インターネット端末でもある。これは、電子書籍の動きにどのような影響を与えるだろうか。
筆者の見るかぎりでは、電子書籍については、その執筆・製作・流通、といったことが話題の中心である。従来の出版・印刷業・書店などはどうなるのか、このあたり関心があつまっている。(なお、筆者の私見としては、電子書籍の時代をむかえたとして、そこでもっとも重要になるのは、出版社の編集の能力と、それを可視化するための印刷業の技術力であると、思っている。)
また、電子書籍の実現は、将来(しかし、そう遠くはない)とはいえ、これが、Twitterと連動することは必然の方向であろうかと予測する。今読んでいる本の感想などが、リアルタイムで、インターネットの世界にむけて発信可能になるのである。先に、Twitter+USTREAMの可能性について述べた。それと同じように、Twitter+デジタルブックの可能性は、どんなものになるのか、まだ予想がつかないといえるかもしれない。しかし、少なくともいえるのは、単なる紙の本の電子化だけが電子書籍(デジタルブック)ではない、ということである。そこには、様々な、デジタルならではの「しかけ」が生まれてくるだろう。その一つとして、Twitterと読書との連携、そして、リアルタイムでの、読者間のつながりが生まれる可能性と、それをふまえての電子書籍づくり、これが考えられる。
電子書籍について語るとき、いろんな視点がある。その中の一つとして、Twitterとの並行利用による読者ネットワークのひろがりということを、システムのなかに組み込むこともあり得る。そこに、出版社の編集の能力と、それを実装するための印刷業の技術力が、とわれるのかもしれない。このような電子書籍の未来、その可能性の一つを思い描くこともできよう。 。
「ついっぷる」で見た画面
自分のタイムラインと、自分へのリプライが、ならんで表示されている
これからの「アート」の世界のなかに、iPadのような携帯端末が、はいってくることは確実な流れだろうと筆者は思っている。貪欲な、アーティスト、クリエイタなら、ここに魅力を感じないはずはない。いつでも、どこでも、そして、インタラクティブに……旧来のメディアには無い魅力にあふれている。
そして、そのコンテンツは、Twitterのシステムを通じて、同時に、すべての利用者にひらかれ、共有され、双方向に情報交換しあう中に成立する。これは、小説(電子書籍)であっても、視覚芸術(映像)であっても、また、それらが、ミックスしたものであっても、もはや、流通・鑑賞のながれは、一方向ではありえない。双方向、多方向の混沌としたなかに、あらたなコンテンツが生成されていくだろう。そのアーキテクチャの中核になるのが、Twitterなのかもしれない。このように考えても、もはやよい時代にさしかかっていると、筆者は考えている。
将来をひらいていくのは、柔軟で斬新な発想と、そして、それを支える確かな技術力であるにちがいない。
アートの世界におけるTwitterの可能性
Category: Digital Archives