20, Apr 2017

光と時間を描く―キャンバス・プロジェクションについて

モノクロームの絵画に、プロジェクターで同一視点の実写映像を投影する、「キャンバス・プロジェクション」という独自の手法で作品制作を行う現代美術家 ヤマガミユキヒロ。「キャンバス・プロジェクション」が生まれるきっかけとなった「時間、光、空間をどのように表現するか」という絵画への問題意識、そしてその問題意識と手法の誕生・進化の関係性について、同氏に寄稿していただいた。

文:ヤマガミユキヒロ(現代美術家)

1. 「キャンバス・プロジェクション」とは

僕は鉛筆や墨、アクリルなどで描画したモノクロームの絵画に、レイヤーを重ねるように、プロジェクターで同一視点の実写映像を投影する「キャンバス・プロジェクション」という独自の手法で作品制作をしています。それは建物や道路など常にそこにあるものを絵画で描写し、通行する人や車、太陽の光など時間による移ろいを映像で描写する、というものです。

ヤマガミユキヒロ|作品集 2011-2015

風景は時間と共に表情を変えていきます。朝日の輝き、午後の雑踏、夕焼け、黄昏、そして夜の街のネオン。その時間と共に移りゆく情景を1枚の絵画に描くことは不可能です。例えば印象派の画家たちは、光や時間の移ろいを描くのに「連作」という方法をとりました。しかし「キャンバス・プロジェクション」を使用すれば、連作ではなく、1枚のキャンバスに時間や動きや光そのものを描画することが出来るのです。

今回、AMeeTさんよりコラムのお話を頂きましたので、その辺りの僕の制作に関するお話をさせていただこうと思っています。

鉛筆で描いた京都・鴨川の風景
鉛筆画に時間の移ろいが加わった風景

(写真上)鉛筆で描いた京都・鴨川の風景 (写真下)鉛筆画に時間の移ろいが加わった風景

『鴨川リバースケープ』
2013年 キャンバス・プロジェクション(紙に鉛筆、ビデオプロジェクター) 45.5cm × 38cm


ヤマガミ ユキヒロ YAMAGAMI Yukihiro
ヤマガミ ユキヒロ YAMAGAMI Yukihiro ポートレート

1976年 大阪生まれ。2000年 京都精華大学美術学部卒業。日常で見慣れた風景を鉛筆や墨などで描画した絵画に、同一視点から撮影した映像をプロジェクターによって投影する「キャンバス・プロジェクション」という独自の手法により作品を制作。絵画の上に光と時間を取り入れるこの表現展開により、これまで東京ステーションギャラリー、アサヒビール大山崎山荘美術館、川崎市岡本太郎美術館などでの展覧会に参加。また、2014年からは能楽とのコラボレーションによる「noh play」というプロジェクトに取り組み、2016年に「noh play 2016」(札幌市教育文化会館)、2017年には東アジア文化都市2017京都開幕式典にて「noh play TAMURA」(ロームシアター京都)の舞台芸術を担当するなど、幅広い活動を見せている。主な受賞に「2008年 岡本太郎現代芸術賞展特別賞」がある。

Yamagami Yukihiro Portfolio
http://www.yamagamiyukihiro.net/


2. 絵画が抱える3つの難題

この「キャンバス・プロジェクション」なる言葉は僕の造語で、この言葉を使い始めたのは2003年からなのですが、作品制作自体はもう少し前より始めています。

僕が京都精華大学の洋画コースに入学した1996年あたりは、ビデオアートや、ドイツを中心に写真作品なんかも増えていた時代でした。デジタルカメラなんかも出始めの頃で、Macintosh(今のMac)によるデジタルペイント、写真加工などデジタル技術がどんどん進化し、様々な分野へ波及し始めていました。当時の僕は主に油絵で人物画に取り組んでいて、持っているカメラもフィルム式のカメラのみという、デジタルに疎いアナログな人でした。

当時より、「500年以上歴史のある絵画は、ありとあらゆる技法が探求され、もうやれることは無いのではないか」と考えてはいましたが、一方でまだまだ絵画の奥は深いとも考えていたのです。あくまでも私見ですが、そんな長い歴史の絵画にも、まだ解決できていない積み残しにしてきた問題があると考えていたのです。それは「時間をどのように表現するか」「光をどのように表現するか」「空間をどのように表現するか」の3つです。時間が流れているような、光っているような、空間が広がっているような絵を描くことではなく、もっと違う角度でストレートに時間を、光を、空間を、表現したいという思いがありました。


3. 存在の表現 ~時間を描く

大学2年生の頃より、あるルールを決めて油彩で人物画を描き始めました。そのルールは以下の通りです。

  • 自分の立ち位置と、友人が座る椅子の位置をマーキングする。
  • 洋画コースの友人(不特定)に休憩時にその椅子に座ってもらう。
  • 今、椅子に座っている人を描く。ただしポージング等は無しで、自由に休憩してもらう。
  • 休憩が終わり、椅子から退席したら、人物を消して椅子を描く。
  • 2~4の繰り返し。
椅子に座る友人の写真(筆者撮影)

椅子に座る友人の写真(筆者撮影)

要は、今目の前にあるものを油彩画で描き続けるということです。僕は、毎日大学へ行き、いつも夜遅くまで残っていましたので、僕が大学から帰る頃には、友人も皆帰宅していき、キャンバスにはいつも無人の椅子だけが残ります。ただ、油絵の具の「痕跡」のようなものは堆積していき、次第に絵の具が盛り上がってくるのです。この作品を始めた頃は、この時間の痕跡らしきものが、僕の作品の本質のような気になり、とにかく毎日友人を描き続けていました。

そんな手探りの格闘を悶々とし続ける中で、ある疑問が沸きました。それは「僕が描きたかったものは何か」ということです。結局、画面に描かれたものは椅子と絵の具の痕跡だけだったので、目の前に昨日座っていたAくん、今日座っていたBさんはそこにはいないのです。物質的な痕跡や筆跡は確かにかなり魅力的で、僕自身もこのころの手探りの作品が好きではあるのですが、タバコを吸って、おしゃべりをして、居眠りをして、本を読んでいた、彼らの存在は表現しきれなかったのです。制作を進めるにつれ、描きたい対象と描かれた結果の差異が大きくなっていくような感覚でした。

そんな折、別件で、大学の授業などで使っていたスライドプロジェクターという機材を借りる機会がありました。現在ではプロジェクターといえば、DVDやPCなどから「映像」を投影するものが一般的ですが、昔は「写真」を投影し、紙芝居方式でコマを送って絵を進めていくスライドプロジェクターを使うのが一般的でした。これは、フィルム式のカメラで撮影した写真を装填するだけでイメージが投影できるので、当時のアナログな僕でもコントロール出来たわけです。

最初にスライドプロジェクターを使った時「これは作品に使えるかもしれない」と直感し、カメラで友人と無人の椅子を撮影しながら制作を進めることにしました。半年ほど制作と撮影を続けた時に、カメラで撮影した友人の写真のフィルムをスライドプロジェクターに装填し、椅子だけを描いた自分の絵に投影してみました。

そこにはくつろぐAくんの姿が現れ、次の瞬間コマが送られ、Bさんが現れ、と、僕の目の前に彼らの存在が次々と立ち現れては消えていきました。物質的に存在する椅子の絵画と、そのなんとも儚い映像の存在との融合を見たとき、「これが僕が表現したかったこと」と思いました。これで動き(時間)を描くことが出来るのではないかと感じ、とても嬉しかったのを覚えています。1999年頃の話です。

『存在の表現』 作品画像

『存在の表現』
1999年 キャンバスに油彩、スライドプロジェクター 194cm × 130cm


4. 光の絵の具

しかし1999年の時点で、その手法はまだ原石のような状態でした。大学卒業後は都市の風景を主なテーマとし、しばらく試行錯誤を繰り返していましたが、2005年に発表した作品『NightWatch』が大きな転機となりました。

現在、僕の作品の多くは、鉛筆や墨などを用いてモノクロームで絵画を描き、そこに映像をプロジェクションしていますが、この作品を制作するまでは、カラーで描いた油絵の上に映像をプロジェクションしていました。この作品でモノクロームの絵画に映像をプロジェクションしたことをきっかけに、色の上に色が加わる=油絵+映像より、色のない世界に色が加わる=モノクロ+映像の方がよりお互いの良い部分を引き出せることに気付いたのです。

世界の色は絶えず変化し続けています。ファーストフード店のあの赤い看板も時間によって色味が変化します。それであれば、変化するものは全て映像で表現しようと決めたのです。ただ、初めにこの『NightWatch』という作品をモノクロームで描くと決めたのは別の理由からでした。

この作品で描いているのは、大阪梅田の歩道橋より見下ろした風景です。特に夜景が印象的だったので、夜景に特化した作品にしようと決めました。夜景を魅力的に描くために、色鮮やかな街のネオンや、車のヘッドライトなどの光を映像で描写し、無人の夜の街を絵の具を用いて群青色のモノクロームで描写するという住み分けになりました。割と安直でしたがこの割り切りがとても良かったと思います。そのおかげで、プロジェクターは光を投影するものなので、光そのものを描写するのに適しているということに気付けたのです。

動いているものや光は描ききれないのだから、描かずに映像で描いてもらおう。この作品が転機となったのはこの事に気付いたからです。鉛筆があって、墨があって、油絵の具があって、映像がある。映像を映像として扱うのではなく、絵の具として扱うようになった初めての作品です。ただしこの絵の具は、実際に現場へ行き撮影をし続けないと色数が増えません。混色が出来ないのでそこは大変です。

『NightWatch』 作品画像

『NightWatch』
2005年 キャンバス・プロジェクション(パネルにアクリル、ビデオプロジェクター) 496cm × 200cm
photo: KUSAKI Takateru


5. 絵画の外の空間

絵画に映像をプロジェクションすることで、時間や光を描画できるようになりましたが、3つの課題のうち、「空間をどのように表現するか」という課題については、まだ試行錯誤の途中です。しかし、2014年に能楽師 林宗一郎氏と「noh play」というコラボレーションを始めたことで少し緒が見えてきています。

「noh play」は、従来通りのキャンバス・プロジェクション作品としての発表と、舞台に設置した巨大な背景画に映像をリアルタイムで調整しながらプロジェクションする舞台美術としての発表という、2通りの形式で発表をしています。その背景画も、原画は鉛筆画です。舞台作品の場合、もちろん演者さんがいて、舞台という空間があります。僕の作品は、歌舞伎などでいう書き割りのようにアクティングエリアの後ろに設置しています。舞台の進行に併せて、絵画の中での出来事だけではなく、絵画の中と外でそれぞれに物語が進み、各々が緩やかに接続されていきます。その絵画の前や絵画の横という空間は今まであまり考えていなかったものなので、とても難しいのですが、同時に新鮮で、面白いものでした。この舞台美術が先の課題への解となるかは分かりませんが、その経験から絵画の中に描かれた空間だけではなく、絵画の外の空間に何が描けるかを考え始めています。このような形でのキャンバスの拡張は、アトリエで籠って制作しているだけでは解らなかったことです。なお、今もこのプロジェクトは継続しています。

『noh play (2016)』 パフォーマンス風景

『noh play (2016)』
札幌市教育文化会館でのパフォーマンス photo: Hisaki Matsumoto

『mononoke step』 作品画像

『mononoke step』
2014年 『noh play (2014)』 展示風景 photo: Takateru Kusaki


6. 終わりに

最近つくづく思うのは、僕はすごく運が良かったということです。だって僕らの時代には、絵筆の他に、ビデオカメラやコンピューターやプロジェクターが身近にあるのですから。絵画は芸術の中でも古くからあるメディアです。そして「時間を描く」「光を描く」「空間を描く」というテーマも古典的なテーマだと思います。今僕は、その古典的なメディアの古典的な難題に、現代のテクノロジーを駆使して表現を探求していくことに興味があります。パレットの上で絵具を混ぜ、絵筆で絵画を描くように、ビデオとコンピューターとプロジェクターで、時間を、光を、空間を描きたいのです。

日々制作をしながら、こんな事も、ふと考えます。もし現代にモネが生きていたら、一体どんな絵を描くのかな、と。

『東京駅の眺望』 作品画像

『東京駅の眺望』(部分)
2012年 キャンバス・プロジェクション(パネルに鉛筆、ビデオプロジェクター) 400cm x 100cm
https://youtu.be/3MtHUZg9Tro


光と時間を描く―キャンバス・プロジェクションについて

Category: Digital Imaging





PAGE TOP