25, Jan 2010
AR Commonsは、慶應義塾大学の岩渕潤子、加藤文俊、IAMAS(岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー)の赤松正行らが中心となって、2009年6月に発足させた、まだ、新しい任意団体である。その第一の目的は、私たちが暮らしている現在の社会インフラの中で、情報技術を活かした新たなサービス提案を行うためのプラットフォームとしてのAR(Augmented Reality)技術を検証し、快適に利用するための自主的なルールづくりにある。
AR (Augmented Reality=拡張現実)は、その言葉の「ある種大げさな響き」のせいもあって、まだまだ一般には馴染みの薄い技術と受け止められているのではないだろうか。「VR(Virtual Reality=仮想現実)とは、どこがどう違うのか?」といった素朴な疑問を持っている方も多いことだろう。より認知度の高いVRとゲームとの結びつきから、「ARが通常の社会生活の中で気軽に使えて、しかも、役に立つ」と言われても、すぐにはピンと来ないかも知れない。
VRが「作られた環境の中で、作られたキャラクターや物体が動き回る現実とは別の世界」であるとしたら、ARでは「目の前に見えている現実」に、その場所や物体についての様々な情報が付加的に表示される。すなわち、現実を拡張しているから「拡張現実」ということになるが、VRとの最大の違いは、基本情報が技術的に合成されたものでなく、ユーザーがそのまま目にしている情景そのものであるという点だろう。私たちの目に、普通に飛び込んでくる景色の上に、ある種のブラウザを通してそれを見ると、情報が複数の階層(layer)にわたって重ね合わされて表示されて見えるということだ。
iPhone上で機能するARアプリとして2009年、世界に先駆けてオランダからリリースされたアプリケーション、通称「レイヤー」(正式には「レイヤー・リアリティ・ブラウザ」)は、カタカナ表記では読んで名のごとし、理にかなった名称となっているが、惜しいかな、横文字表記では"Layer"ではなく"Layar"となっている。とはいえ、レイヤーのオフシャル・サイトへ行って、"About"のページを見ると、"On top of the camera image (displaying reality) Layar adds content layers. Layers are the equivalent of webpages in normal browsers. Just like there are thousands of websites there will be thousands of layers"という説明があるので、当然、彼らが"layer"の概念を意識しつつ、アプリケーション名と一般名詞を区別するために、あえて"Layar"という表記を選んだことがうかがえる。
*Layar Reality Browser (デモ・ページ)

慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授。カリフォルニア美術工芸大学卒業。
同大大学院修了。ニューヨーク、ホイットニー 美術館に在籍後、フィレンツェ、ロンドンで研究活動を続ける。同時期に執筆、出版を開始し、著作多数。2000年静岡文化芸術大学助教授、2004年慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構教授を経て、2009年4月より現職。
専門領域は美術館運営・管理研究、ミュージアム・インフォメーション・デザイン。
そもそもAR技術の先駆的事例は、Total Immersion社が開発したソフトウェアなどによって、1999年頃から商用利用が始まっていたので、技術じたいは決して「新しい」というものではない。その頃からすでに、ライヴのヴィデオ・カメラから得た情報を三次元画像とリアルタイムで合成してディスプレイに出力する「Augmennted=拡張」技術は確立されていたのだ。しかし、1999年当時のコンピュータがどんなものであったか、インターネットやウェブがどんなものだったかを思い起こすなら、動画処理、三次元映像の合成がどれほど大がかりで、お金のかかるものであったか、容易に想像がつくだろう。一般人が自宅のコンピュータでARアプリケーション開発するどころか、見ることさえも不可能な環境だった。
したがって、AR技術といえば、テーマ・パークのアトラクションや、大企業が出展する見本市において、莫大な費用を投じ、プレス関係者をあっと驚かせるような広報手段としてもっぱら使われるもので、技術的には、いわゆる「マーカー埋め込みタイプ」のものだった。ディスプレイも、仰々しいキヨスク・タイプのものが会場に設置され、そこで表示されるデータはといえば、仕込みに時間もお金もかかるシロモノだったわけである。VRにしても、もちろんそうだったが、求められるハードウェアのスペックが高く、いかにも「装置」といった風情が漂っていた。
ところが、2008年の秋、サンフランシスコで行われたTechCrunch50で、今は誰もが知ることとなった「伝説の」とでもいうべき日本発のiPhoneアプリ、頓智・株式会社による「セカイカメラ」のコンセプトが紹介されると、その直後から「モバイル環境におけるAR技術の展開」は国内外で熱い視線を集めることとなった。もちろん、前述のオランダ発の「レイヤー」や、もう一方で、Total Immersion的な洗練された合成映像をiPhone上で見せる試みなども、時期を同じくして相次いで発表されたが、「携帯電話」であるiPhoneを利用して位置情報と連動する「セカイカメラ」のコンセプトは、街中での実用的な情報へのアクセスという点での便利さと遊び心を同時に感じさせ、「すぐに実用化して商用サービスに結びつけられるのでは」という期待感を持たせるものだった。
*画像提供:頓智・株式会社
モバイル・デバイス上のアプリケーション、「セカイカメラ」を通して見るエア・タグ情報
美術館・博物館の運営管理研究が専門で、近年はミュージアム情報デザインに強い関心を寄せている岩渕は、2008年秋のTechCrunch50直後から「セカイカメラ」に注目し、iPhone上で動く、マーカーレス (MLT=markerless tracking)ARアプリケーションの洗練されたインターフェース・デザインに感動。ミュージアム環境での展示情報端末としての拡張性、可能性の高さを直感的に受け止め、2009年に入ると、「美術館、または、博物館での実証実験」を前提とした共同研究を模索しようと、セカイカメラの開発者で頓智・株式会社CEOである井口尊仁氏へのコンタクトを開始した。すでにTV取材などが殺到し、注目を集めていた井口氏ではあったが、今よりは、まだ時間があったので、呼びかけには直ちに、しかも、好意的に応えてくれた。井口氏がもともと「ミュージアム」という場に対して強い関心を持っていることもわかった。
これは、「セカイカメラ」のコンセプトの成り立ちと密接に関連のあることと推測されるのだが、井口氏のバックグラウンドが、もともと根っからのエンジニアというわけではなく、大学では哲学先攻で、美術や美学への関心が極めて強く、インターフェース・デザインに求めるレベルが、いわゆる「IT企業の社長さん」とは比べ物にならないほど高いのだ。このことは、クリエーター、海外ミュージアムからも「セカイカメラ」が熱烈な支持を得る大きな理由になっているように思われる。
しかし、実際には、2009年春というと、「セカイカメラ」がアップルのappストアにいつ登場するのか、皆目メドが立っていない状況で、日本国内の反応はというと、2008年のTechCrunch以来、「コンセプトとしては単純明快で、誰もが考えそうなことだが、まだできていないということは、できるわけがないからだ」といった批判的な意見が目立ち、どうにも「セカイカメラ=うさん臭いもの」として片付けられていた経緯がある。特に、直感に頼ることを嫌うエンジニアに「警戒感」が強く、大学の研究者、日本の大手通信会社や家電メーカー、さらに、経産省なども、「セカイカメラ」を故意に無視していたと思われるフシがある。
「ミュージアムの展示物を解説する情報端末として、一刻も早くセカイカメラを利用した実証実験が見てみたい」と思った岩渕は、こうした「冷ややか」な日本国内の反応にはおかまいなく、国内で「モバイルAR技術を気軽に使える環境整備に取りかかる必要がある」と認識し、同僚で、モバイル・デバイスを用いた社会調査手法の研究などを行っている社会学者の加藤文俊、「セカイカメラ」の開発にも深く関与し、メディア・アーティストとして国内外で活躍するIAMAS教授の赤松正行らに協力を要請し、「AR(AugmentedReality)技術を快適に利用するための多次元的空間活用を促進する非営利の任意団体」として、AR Comonsを6月25日に創設(プレス・リリース・ページ)、7月10日には慶應義塾大学三田キャンパスにおいてキックオフ・シンポジウム(公式記録ヴィデオページ)を開催することとなった。
ここで特筆すべきは、AR Commonsの発起人に工学系の研究者が一人も入っておらず、キックオフ・シンポジウムにおいても、AR Commonsはあくまでも一般ユーザーの便宜を図る目的で、「ARの社会的な価値の検証、日常的、かつ、実用的な利用シーンの提案」という、「人文・社会系」のスタンスを強調している点である。どこかの大手メーカーが開発した技術を標準化して、それに関連する技術を取引関係にある企業がみんなで考えて産業振興する・・・といった、よくある省庁指導による官製コンソーシアムとは異なり、ユーザーの呼びかけによって結成された自主的な組織なのだ。したがって、排他的であってはならず、また、日本国内だけを視野にしていたのではCommonsとは言えないだろうということで、立ち上げに際しては、パリのポンピドゥー国立芸術文化センター付属IRI研究所(Institute for Research and Innovation)やスタンフォード大学のヒューマニティーズ・ラボ(SHL=Stanford Humanities Lab)などにも声をかけ、賛同を得てのスタートとなった。興味深かったのは、「プレス・リリースにリサーチ・パートナーとして貴機関の名前を入れても良いか」という問い合わせのメールに対し、いずれの機関の責任者も、ものの5分とかからずに「もちろん!」と回答してきたその迅速さであった。もともと知人であったとはいえ、欧米の研究機関トップの権限と、判断の速さを身をもって体験することとなった。
なお、発足時に定めたAR Commonsのミッションは以下の七項目である。
1. AR Commonsは、AR空間における公共圏の定義を示す
2. AR Commonsは、AR技術によってもたらされる新たなライ フ・スタイルを提案する
3. AR Commonsは、AR技術によって起こるかも知れない多様な問題を予測し、その対処方法の検討を行う
4. AR Commonsは、AR空間において公共圏のサービスと見なされる活動に資するソーシャルデータベース構築を通じて、より良いAR環境整備に務める
5. AR Commonsは、AR空間に於ける権利処理の手法を検討し、コンテンツ流通環境の整備および活性化を支える技術開発を支援する
6. AR Commonsは、AR技術を具体的なビジネス、サーヴィスとして展開しようとする企業への助言を行う
7. AR Commonsは、AR空間を通じた新しい教育環境の準備を進めると共に次世代の創造性確立を支援する
これは具体的にどういうことかというと、Commons発足時の現状として、モバイル環境で一般ユーザーが使えるARアプリは、まだ具体的には存在していない状況だったので、ARで見るべきもの(コンテンツ)が無い=従来のインターネットでいうならホームページの無いウェブ状態というイメージだ。したがって、一刻も早くコンテンツを見られる状態にしないとならないのだが、大きく立ちはだかる壁として、①サーバーとブラウザの仕様がバラバラである (市場構造)、②ビジネス・モデルが存在しないのでインセンティブが存在しない(産業としての孵化期にある)、③著作権などの環境が未整備(社会的裁定の必要性)・・・といった問題があるので、これらについて検証し、広く議論を呼びかけ、社会に対してソリューションを提示していこうというわけである。
モバイルARの商業利用、たとえば店舗情報や商品説明などは、比較的短期間で広告代理店などが参入して、事例ができてくることは予想されたが、交通機関のデータ、医療機関のデータ、防犯に関するデータ、防災に関する避難情報データなどは、誰が、どのような基準に基づいて整備するのか、こうした公共性の強いタグのデザインをどう統一するのかなどをお役所任せにせず、ユーザーとして市民の側から提案するカタチで、議論を進めたいというのがAR Commonsのスタンスである。また、ミュージアム環境での「音声ガイド・システム」的なARアプリ利用や、その他の教育コンテンツ向けプラットフォームとしてのARのあり方についても、実証実験を通じて、有効な利用事例を示していければと発起人らは期待した。
いくら「ユーザー・サイドからの提言」と言っても、すでに社会インフラとなっているネット上の地図サービス、検索エンジン、通信キャリアなどの協力が得られない限り、具体的なサービス・イメージも湧かないので、ソフトバンクテレコム株式会社、大日本印刷株式会社、ヤフー株式会社といった企業、また、情報技術系企業でAR関連の開発に携わる社員の方々にも法人、及び、個人の会員として参画してもらって、AR Commonsは「ARを通じて世界を豊かにする」ためのルールづくりへ向けての議論を継続・模索中である。
ミュージアムでの「セカイカメラ」導入事例としては、パリのCité des sciences et de l'industrieにおいて、2009年10月より開催中の"Ma terre premiere"展)が好評だが、日本で本格導入はまだまだこれからである。
昨年9月に「セカイカメラ」がリリースされて以後、日本国内のappストアからダウンロードできる実用的なAR系iPhoneアプリの数は増え、ご近所ナビ、Robotvisionや、また、ARゲームのArcade Reality、鬼ごっこレーダーといったアプリも人気だ。「セカイカメラ」は昨年末のクリスマス直前、世界リリースも果たしている。
AR Commonsは、iPhone向けの多様なARアプリの登場を受け、AR Commons法人会員でもあるソフトバンクテレコム(株)と共同で「ICT利活用ルール促進事業(サイバー特区)」の一環として、AR利用のルールのあり方やセキュリティ・リスクの検証を行うために、この春(2010年2月)、京都と都内渋谷地域において大規模なアンケート調査の実施を予定している。
モバイル端末で扱うAR技術による明確な収益モデルは、まだ模索の域を出ていないが、有効に利用すれば、閉塞した今の日本の産業界を活性化させるに足る「新たなウェブ」としての可能性は無限に広がっている。そもそも日本人は、昔から「絵巻物」や「ふすま絵」、「屏風」などで、一年の季節の移り変わりを一枚の構図の中に納めるというユニークな表現方法を確立しており、一つの空間に多次元的な情報が混在することに寛容な視覚文化を育んで来た。また、視覚に強く訴えるイメージ中心の情報発信が可能なので、英語が不得手な日本人にとっても、世界の市場を制する可能性は、より大きいはずだ。
AR Commonsは、モバイル環境で扱う、位置情報などと連動したマーカーレスのアプリケーションの利用方法と社会との関係に強い関心を持っているが、マーカーを利用したARを否定しているわけではない。今後もテーマ・パークなどでのアトラクション、商品プロモーション・ツール、あるいは玩具などとして、マーカー埋め込み型ARの利用方法は多様化していくことだろう。
オープン・ソースのソフトウェアを駆使し、マーカー利用型にこだわって、AR技術を身近なものとして広く認知させるためのパフォーマンスを行っている「AR三兄弟」(「これならわかるAR(拡張現実)」 は秀逸!)が、MacBook一台でARを身近なものとしてクリエイティヴに紹介する活動は大歓迎であり、多くの人たちに見てもらいたい。彼らが素材として取り上げ、コラボレーションを行ったアニメ作品、『東のエデン』に描かれている世界は、まさに「ARが普及した社会」であり、日本人が常日頃からアニメなどを通じて見て知っている世界が、「実はARなのだ」ということを知らしめる「啓蒙運動」として高く評価されるべきものだ。
何よりも「AR三兄弟」がMacBookと紙とサインペンだけで、観客があっと驚くライブ・パフォーマンスを見せているという事実が、1999年から今日の間に起きた幾多の技術革新を物語っている。十年前には独占的なものであったソフトウェアはオープン・ソースが前提の時代となり、新しいテクノロジーに相応しいルールづくりは、大企業とお役所主導で決められるのではなく、ユーザーによるCommonsによって柔軟に、みんなで話し合いながら決めていくものへと変化しつつある。
2010年は、おそらくAR商用利用スタート元年として、長く人々に記憶される年になるものと確信しているので、今後のAR系クリエーターたちの活躍、そして、AR Commonsにも大いに期待して頂きたい。
かくしてAR Commonsは誕生した!
Category: Digital Imaging