18, May 2011
| 会期: | 2011年4月9日~5月22日 |
|---|---|
| 会場: | 京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA(アクア)1、2 |
| 主催: | 京都市立芸術大学 |
展覧会「転置」には、「(前略)日常生活で見られるような、身近な素材や技法を選択しながら、個々の制作活動を追求している作家たちによって、生活の一こまを切り取ったような風景が会場で再現されるでしょう。なじみの光景であるはずが、どこか違和感が生じ、既知のものが未知のものへと変化するとき、当初は何気なく感じられた個々の制作行為の重要性が際立ちます。」のメッセージのもとに、京都市立芸術大学出身の20代後半~30代後半の作家5名が出展している。
各作家の手先から、細やかに世界が切り取られていく。

吉村熊象 『Two Homes -もうひとつの家へ』 2011 DVD、モニタ、インクジェットプリント、タイプCプリント、地図など サイズ可変
中古住宅の間取りや立地条件を素材に、架空の住人と日常を組み立てる吉村熊象。作品"TWO HOMES-もうひとつの家"では、家族の人数や年齢といった数字と、住宅地図から読み取った保育園や駅やスーパーまでの距離や時間という数字が、仮想と現実を行き来する。しかし、数とは何だったろうか。ほんとうの数とほんとうではない数に違いはあっただろうか。あたかも確実であるかのような<数字>とともに、ねじれた別空間の隣人を思い描く。
指先で確かめた存在を脳内で巧みに変換させたかのような仕事は、森末由美子の作品群と寺田就子の作品群だ。それぞれの作法によって、日用品や雑貨の本来の意味や意図は滑り落ちていくが、落ちた先で新しい意味の道筋や世界の真意といったものに出会えるような、不思議な現実感と説得力がある。

寄神くり 『owl hole in the room』 2011 サイズ可変
寄神くりの各作品は、世界の辺境に残る文化が断片となって織り込まれたように見える。絨毯やタッセルや木工芸という手法が、ここではないどこかに息づく別次元の別の歴史をそっと教えてくれると錯覚するのだ。私たちは、実際の出来事を懐かしむばかりではなく、遠い過去や未来を横断することを美しい思い出というのかもしれない。
さて、この異常な春において転置という言葉を口にするとき、自然NATUREと人為ARTの転置を思わないわけにはいかない。創造というのは、自然と人為の転置のプロセスではなかったか。

野原健司 『抜けジョー』 2011 サイズ可変
本展の野原健司の作品群、ことに「ナックリ-口抜け穴となりダイビング」と向きあうとき、戦地の焼け跡や地震の被災地の跡にぽつんと残った家をまず思う。しかし、それらが何の理由で残ったか説明のつかない<奇跡>であることに比べ、野原の作品のほうは、明らかに奇跡ではない。確実に人為的なエネルギーの変換を感じるからだ。古い名作映画「猿の惑星」のラストシーンに、海辺を彷徨う人々の前に、砂に半分埋もれた自由の女神像が登場する。ここがかつてあの場所であったと、人々は初めて気づくのである。たとえば、野原の作品が同じ境遇にあったとしたら、人為の正のエネルギー感じることができるのではないかと思う。
本展「転置」では、微細であれ大胆であれ、ヒトがこのささやかな指先から世界を紡いだり、エネルギーの変換を起こせることを実感させてくれた。この時代、身近というのは卑近という意味ばかりでなく、あらゆる手段によって、実在の巨大な世界を各々に引き寄せる行為のことであると確信する。
最後になったが、京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA(アクア)は、世界に即応する場となっていくことと思う。本展も、すでにお仕着せの企画ではなく、出展者や周辺の人々のリアリティー満載である。さまざまな関連イベントも実施された。
(松尾 惠 MATSUO MEGUMI + VOICE GALLERY pfs/w)

寄神くり 『owl hole in the room』 2011 サイズ可変

寺田就子 『オレンジに灯る影』 2011 机、プラスチック、ガラス、鏡、金属類、スーパーボール、本、アクリルボックス、他 サイズ可変

寺田就子 『オレンジに灯る影』 2011 机、プラスチック、ガラス、鏡、金属類、スーパーボール、本、アクリルボックス、他 サイズ可変

森末由美子 『デッキブラシ』 2011 デッキブラシ、造花

森末由美子 『賞状』 2010-2011 額縁に砂絵

野原健司 『抜けジョー』 2011 サイズ可変

4月17日「楽祭」(らくさい)

4月17日「楽祭」(らくさい)
京芸Transmit Program #2 転置-displacement
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