24, Jul 2017

てあしくちびる インタビュー
“2017, In the place to be” 後半

足利が生んだバイオリンとアコースティックギターのデュオ てあしくちびる。AMeeTでは同ユニットのメンバーkawauchi banri、くっちーへの、約20,000字に及ぶロング・インタビューを前後半に分けて掲載する。このインタビューはてあしくちびるの「今」を切り取ることをテーマにしているが、後半となる本記事では、地域性に関して今思うこと、「表現することの意味」に対する考えや、その考えに強い影響を与えたエピソードなどについてお話を伺った。特に「表現することの意味」に対する考えの違いからは、てあしくちびるが持つオリジナリティーの根底にある2人のバランスを垣間見ることができる。

聞き手・編集:中本真生(UNGLOBAL STUDIO KYOTO)

インタビュー撮影:表恒匡

写真左:くっちー 写真右:kawauchi banri

写真左:くっちー 写真右:kawauchi banri

1. 北関東への思いの変化
~『Odd le KITAKANTOW』を例に

――お二人が地域性について、今現在感じることを伺っていければと思います。まずは、2016年に作曲された北関東をテーマにした曲『Odd le KITAKANTOW』のテーマについて、具体的に解説していただけますか。

(kawauchi)
『Odd le KITAKANTOW』と、2012年に作曲してファーストアルバム(※1)、セカンドアルバム(※2)両方に入っている『関東平野がここからぶった切られているのを毎日感じている』、そして最近できた『Dive to WATARASEGAWA』の3曲は、関東平野3部作という位置付けになっています。『関東平野がここからぶった切られているのを毎日感じている』という曲が生まれた時点で3部作にしようと考えていたわけではないのですが、『Odd le KITAKANTOW』を作るに際には「関東平野をテーマにした曲を連作したら面白いんじゃないか」という思いが先にあって着手しました。

北関東での生活の中で、自分は常に閉塞感を感じていました。中高生の時、雑誌とかTVとかから知識を得てロックやパンクを聴いていましたが、そういったものとは対極にある風土だと思っていました。東京から交通の便もそんなに悪くなく、且つ行き来を妨げるような山や川があるわけでもなく、文化的にも風通しがよくて然るべき環境であるはずなのに...なのになぜ閉ざしているんだろう、といつも考えていました。だけど、振り返ってみると、自分もそういった面を持ってしまっていることに気付いて…。「北関東という地域に対して唾を吐いているつもりだったけど、結局そこで生まれてそこで生活している自分も、そういった面を持ってしまっているということを認めざるを得ない」と感じ出したのがちょうどセカンドアルバムの制作を始める少し前だったんですよ。『関東平野がここからぶった切られているのを毎日感じている』では、閉塞感だとか、地域の嫌な部分を歌っていました。本当は地に足がついているのに、認めたくなかったんですね...。

『Odd le KITAKANTOW』では「自分もそういう地域を構成している一人だということを認めて、自分の地域を穿った目で見て批判するんじゃなく、そういう面を持ち合わせてしまったんだということを前提としたうえで、もう一度北関東を見つめ直したい、そしてそれを曲にしたい」と思ったんです。だからこそ “踊るな北関東”ではなく、 “踊れ北関東”というちょっと肯定的なタイトルになった。唾を吐きかけたいような地域性があって、それがどういうことかを考え、自分もそういった面を持ってしまっていることに気付いた。それでも踊るしかないという...。だから踊りといっても、決して「ええじゃないか」の踊りではない。

てあしくちびる 『Odd le KITAKANTOW』 ミュージックビデオ
監督:草野翔吾 撮影:和久井幸一 特機オペレーター:蔵プロダクション

(くっちー)
セカンドアルバムでは、この曲を一番に推したいと思ったので、ミュージックビデオを制作しました。制作は映画監督の草野翔吾さん(※3)にお願いしました。草野さんは足利の隣の桐生出身です。私たちのライブに来てくれたことが知り合ったきっかけでした。初めてライブに来てくれた時、「一緒に何か出来たら」と伝えてもらったことが嬉しくて、私たちの音楽を好きと言ってくれる草野さんに、いつかお願いしたいという思いがありました。また、色んな仕事の幅を持っている草野さんに映像をつくっていただくことで、これまで自分たちの活動の中で出会えなかったような人たちにも、自分たちの音楽を届けられる可能性が広がるのではないかという期待もあって依頼しました。

(kawauchi)
草野さんは僕らと同年代で、隣町出身だから近い環境で育ったんだけど、地元に対するドロドロとした感情があまりない人で...。

(くっちー)
あるかもしれないけど、それを直接的に表現していないというか。

(kawauchi)
ファーストアルバムをリリースした頃、自分たちはほとんど東京で活動していて、地元の人たちと一緒に何かをやるということがあまりなかった。「地元はつまらないものだ」と思っていた節があって、地に足をつけて、地元で活動したいとは思っていなかったけれど、地元で活動している人たちともつながりができ、音楽を通して面と向かって交流したことによって、必ずしも他の人たちが自分と同じような考えでやっているわけではないことを知りました。

自分たちの中で「その地域に対して唾を吐いている人じゃないと面白いことをやってないんじゃないか」「その風土や地域性に対して、何か抗うような気持ちやスタンスがなければ、面白いものは生まれない」っていう変な思い込みがあったんですよ。それが徐々になくなっていった...。『関東平野がここからぶった切られているのを毎日感じている』を作った頃は、「どちらかであるべきだ」という意識があったんですけど、「その地で生きてそこで音楽をやるということは、“その地を愛しているから”と“その地が大嫌いだから”の2パターンじゃない。そのコントラストの間に、ものすごくたくさんの考え方があって、そのコントラストを一人ひとりが持っててもいいんだ」と気付いたことは大きかったですね。地域に染まり切っている必要も、はずれ切っている必要もなくて、物事や状況に応じて、色々な考えがあってもいいんだという。言葉にするとすごく簡単なんだけど…そこから少しずつ変化していったと思います。まあでも地元はクソですけどね。

――今聞いたような心境の変化は、曲調などにもダイレクトに反映されている気がしますね。『Odd le KITAKANTOW』から受ける印象はマーブルというか、ネガとポジが混ざり切っていないラインの曲だと思います。私は愛媛県出身ですが、地元にいると自分の居場所がないから出ていって今も戻る気がないので、地元に残り続けていることのリアリティーみたいものについてもはや想像するしかないんですよね。離れているから、距離をとれているから地元であった色々な出来事に対する感情を奥底にしまうことができているけれど、今の話を聞いて「住み続けていたらどう思っていたんだろう」と考えました。

※1)てあしくちびる ファーストアルバム 『Punch!Kick!Kiss!』
リリース:2014年6月11日 価格:¥1,500(税込) 品番:RWA14-M001
http://teashikuchibiru.net/discography

※2)てあしくちびる セカンドアルバム 『coreless』
リリース:2016年6月3日 価格:¥2,000(税抜) 品番:CL-0365 レーベル:Club Lunatica
http://teashikuchibiru.net/discography

※3)「1984年生まれ。群馬県出身。早稲田大学社会科学部卒業。在学中より、監督作が一般劇場で上映される。2012年、公開の長編映画『からっぽ』が国内外の映画祭で上映。2016年には人気漫画を原作とした『にがくてあまい』を監督した。映画以外の映像作品も多数手掛け、THE BAWDIES『NO WAY』のミュージックビデオは、SPACE SHOWER MUSIC VIDEO AWARDSのBEST VIDEOS に選出された。」(草野翔吾ウェブポートフォリオ ”ABOUT”、参照2017-07-01.)


てあしくちびる TEASHIKUCHIBIRU
てあしくちびる TEASHIKUCHIBIRU

バイオリン×アコースティックギター×声×声
2ピースバンド「てあしくちびる」

kawauchi banri(vo.ag)、くっちー(vo.vln.etc)により2010年結成。2人きりの人間とアコースティックギターとバイオリンによる編成。編成ありきではなく、そういったある種の制約に対して「その向こう側に飛翔しようとすることでしか得られない」感覚を通過したリズムや音や言葉や声で表現。

てあしくちびる オフィシャルサイト
http://teashikuchibiru.net/


2. 地域性とオルタナティブさ

――北関東ではこれまでにどんなイベントに呼ばれてきましたか。

(くっちー)
もともとbanri君がソロでやってた場所だったから、前橋のCool Fool(※4)には結成すぐから呼んでもらえました。他にも呼んでもらえる場所はあったけど、ライブを実際に観て、「面白いから」と、てあしくしびるメインのイベントを北関東で最初に企画してくれたのは“まがる”というアヴァンギャルド系のイベントを主宰している群馬の方です。私たちを呼ぶために、新しく”knee knee knee"(※5)というイベントを作ってくれたのですが、その時はほぼワンマンのような形でライブをやりました。そこから広がっていった感じです。そのつながりでGUNMA ROCK FESTIVAL(※6)というドームでやるようなフェスにも一度出演しました。最近では栃木とか埼玉北部でもライブをやることがあります。

――僕は2014年に群馬でてあしくちびるのライブを観ました(※7)。その時は、対バンがMELT-BANANAやメタル/ハードコアバンド系のバンドでした。あれから2年半経ってるから今の状況はわからないんですけど、てあしくちびるは北関東で、オルタナティブな音楽だけを扱うような場所やイベントがとても少ない中、全然別のジャンルのイベントに呼ばれることも多いじゃないですか。東京を拠点にすると、オルタナティブな音楽だけを扱う場所がいくつもあるから、てあしくちびるのような音楽を求めていない人たちがたくさんいるような場所で演奏する機会は少なくなる。だから、多様性のなさ、文化的な未熟さがあるからこその状況だと思うんです。

多様性のなさ、文化的な未熟さの中で、全然違うジャンルの中に身を置いている状況。完全なアウェイの中、エレキギターやドラムの音にどこまで立ち向かえるかわからないけど、それでも客層に合わせて、アコースティックギターとバイオリンをいつもより激しく演奏しながらステージに立つ様子がすごいオルタナティブだなと思ったんですね。

私は京都に住んでて、オルタナティブな音楽を受け入れる場をいくつか知っているけど、ジャンル分けしようがない音楽を受け入れる体制がしっかり整っている場所で、そういう音楽を演奏するのって、ある角度から見ると全然オルタナティブじゃないという気持ちもある。少なくとも緊張感や、ヒリヒリする感じがない。でもあの日の桐生BLOCKでは、てあしくちびるが違和感そのものになっていたというか...。

メタル/ハードコアバンド系のイベントでてあしくちびるの演奏を観てファンになる確率はとても低いかもしれない。見向きもされない可能性もあるんだけど、だからこそ存在そのものが違和感になる可能性があるし、180度価値観を変えるような振り幅があるとも言える。コミュニティみたいなものができると、その振り幅はどうしても少なくなる。

(くっちー)
地元のライブハウスに呼んでもらう時は、そういった機会は少なくないです。そういうところに飛び込んだ時の方が、「自分たちにできることをやるしかない」という気持ちが強くなって、結果的にやりやすかったりします。難しいですよね。逆に自分たちがシンパシーを感じるような場に呼んでもらった時、「つかめない」「身の置き所が難しい」と感じる時もあります。それで結果的にCDが1枚も売れないとか…。

――オルタナティブかどうかってすごく相対的なものだと思うんです。時代が変わったらそれがスタンダードになるかもしれないし。あの時ライブを観て、地域性がてあしくちびるのオルタナティブさを磨いているのかもしれないと感じました。同じ曲だったとしても「今日はこういう雰囲気だからこういう感じで演奏してみよう」とか、選曲や気の入れよう、ちょっとしたアレンジ・テンポの違いだったりとか、そういうところにオルタナティブさが宿るというか…。てあしくちびるを知らない人、他のバンドを目当てに来た人に対しても衝撃を与えられるような音楽だと思うし、無責任な発言かもしれないけど、そういう場面を目撃したいというのはあります。

(くっちー)
ああ...。

※4)前橋市千代田町にあるライブバー。元ばちかぶりのベーシストである佐藤あつし氏が経営しており、主に毎週週末にライブを開催している。出演者は弾き語り、アコースティック形態のバンドやユニットから、フルセットのバンドまで様々。地元のミュージシャンを多く紹介しつつ、同時に全国の様々なミュージシャンが出演しているため、地元のミュージシャンにとっては、色々なつながりができるきっかけの場となっている。
http://sound.jp/coolfool/pc/

※5)”knee knee knee" at Sangam
日時:2013年2月22日(金) 会場:群馬県高崎市「Sangam」
ライブ:てあしくちびる DJ:fpk paint:MILKY-MARS

※6)2012年から3年に渡りグリーンドーム前橋(現在の名称は「ヤマダグリーンドーム前橋」)にて開催された群馬のローカルフェス。てあしくちびるが出演したのは2013年。2016年からは「山人音楽祭」に改名され、2017年は9月23日(土)に開催される。
http://www.gfes.jp/

※7)BEHIND 1s BACK presents "cycloid 3"
日時:2014年11月30日(日) 会場:桐生BLOCK
出演:MELT-BANANA 、IMMORTAL SENSE、てあしくちびる × 宮永亮(VJ)、AWAZO(DIXIONAREEDS)、DJ SUZZ

てあしくちびる インタビュー写真
てあしくちびる インタビュー写真

3. 日常と音楽の関係性

――最後に日常と音楽の関係性について伺いたいと思います。まず「日常が表現に何をもたらすのか」について、考えていることがあれば教えていただけますか。

(kawauchi)
音楽そのものは非日常だけど、日常の中からしか音楽は生まれ得ないと思っています。日々食べていくために働いて、追われるように生活をする中で、置き去りにされてしまったものから目を逸らさず見つめなければいけない。それらを丁寧に掬い取って生成する。僕にとって音楽っていうのはそういうものです。

――日々の生活の中で音楽をやること、音楽で表現することが、2人にとってどういう意味を持つのか聞かせてください。

(kawauchi)
僕は自分を本当にダメなやつだと思っているし、経済力もないような人間なので「せめて音楽だけは丁寧にやらなくては」という使命感みたいなものがあるんです。生活そのものが雑だと、音楽も丁寧になり得ないという意見もあるだろうけど、自分にとってはほとんど唯一ちゃんと「生きる」ということと直結している。

――ほとんど唯一の?

(kawauchi)
それ以外で、本当にちゃんと自分が生きることに対して真摯に向き合えているのだろうかと思ってしまう。

――例えば、音楽で表現することが生活からなくなるとkawauchiさんは、幸せではなくなるということでしょうか?

(kawauchi)
音楽をやるうえで、9割は苦しいことだと思っています。でもそれがなくなってしまったら、苦しさはなくなるかもしれないけどダメになる。ほぼ苦しさなんだけど、それなくしてはさらに堕落していくだけだという自覚があるんです。

――堕落?

(kawauchi)
堕落とまで言っていいと思います。

――仕事があって結婚もしている。その状況だけで判断すれば、一般的には音楽をやっていなくても幸せそうに見えるかもしれない。でも音楽がない生活は考えられない状態になっていると…。

(kawauchi)
ある意味では、音楽というものに囚われているのかもしれません。音楽を、生活の中で湧き上がってくるモヤモヤや違和感を解消したり、イライラを向けるためだけのものとは思っていないんですけど、それがなければ犯罪を犯してしまうんじゃないかという...人を傷付けたりとか...。

――立川談志の言うところの「業の肯定的」(※8)。仕事をしてお金を得るとか、結婚生活も含めた人間関係…所謂社会で生きていく中で、自分自身の曖昧なものが肯定される場所がないとダメになってしまうというか…。

(kawauchi)
音楽を作る時って、自分自身のとんでもない、目を逸らしたくなるような部分とも向き合わざるを得ない。自分の中の「俺はこれに対してこういうふうに考えている」ということを形にしないと、形にならなかったものが別の形で暴走してしまうかもしれない…。

――すごい切実な...。

(kawauchi)
音楽によって、自分の中にある、コールタールのようなドロドロした形の定まらないものを集約して形を与えるというか。ソロの時はそれをそのまま出してしまっていたけど、てあしくちびるの音楽はもう少し社会性を伴っている...。

――kawauchiさんの切実さについて、くっちーさんはどう思いますか?

(くっちー)
恐ろしいなと...(笑)。やっぱり自分とはその辺りについて考え方が違うなと思います。「ほぼ苦しいとしか思えない」というところが私が音楽で表現する理由とは全然違うんですよね。...これ本心だと思いますか?

(kawauchi)
いや、本心だよ(笑)。

(くっちー)
banri君の生活ぶりを見ていると、毎日音楽をやらないと気が済まないというほどストイックでもなくて、自分に対して甘い部分はあるというか…。彼なりに「今日は疲れたからいい」とか、お酒に逃げたりとか...ああ、でもそうやってバランスをとっているのかもしれないですね。確かに何かおかしくなりそうですね(笑)。

(kawauchi)
僕にとって音楽を作ることとは「音楽的なアイデアが豊富にあるからそれを実践してみよう」とか、ただ「面白いものを作ってみよう」っていうことではないですよね。

――音楽によって自分自身を保つということが根源にあることはわかりました。そのうえで、「自分自身で音楽を作り、誰にも見せずに演奏する」ということだけで完結するのではなく「何かを発信する」ということをなぜ行うのか、どういう欲求がそうさせているのかについて教えていただけますか。

(kawauchi)
リスナーとして音楽を聴く時、そのミュージシャンの優れているとされる面よりも、意図的でなく自然にその人から出てしまったものや、何かが欠落・堕落しているところにぐっと来ることが多いんです。さっき話に出ましたが、僕は自分自身に対して色々な面において甘いという自覚があります。僕が日常の中で抱いたやりきれなさやどうしようもなさ、日々感じている違和感は、世間において甘えだったり、叱られたりするようなことだったり、とるに足らないことかもしれない。だとしても、それを外に出したいという気持ちが少しでもあるのならば、それは外に出したほうが、音楽の表現としては本物なんじゃないかと思っています。

※8)「それどころか、常識とも非常識ともつかない、それ以前の人間の奥の、ドロドロした、まるでまとまらないモノまで、時には肯定している。それが談志のいう「落語」であり、「落語とは、人間の業の肯定である」ということであります」(立川談志[2009].『談志最後の落語論』p.25-26より引用.梧桐書院.)

てあしくちびる インタビュー写真
てあしくちびる インタビュー写真

4. 音楽に人生を狂わされる

――先ほども伺ったのですが、kawauchiさんは他者から見れば、音楽をやっていなくても幸せそうに見えるかもしれない。またkawauchiさんの中学時代の話の中で、「バレー部で最初レギュラーがとれなかったけど、それがくやしいから頑張って卒業寸前にレギュラーになった」というエピソードや、その頃から彼女がいたということを聞いて、充実した青春を送ってきているなと思いました(※9)。自分よりもいけてる人なんだなと(笑)。それがどうしてこんなに負の感情を背負っているのか…。

(kawauchi)
それは...そう思うから仕方ないというか...。

(くっちー)
...耳のことが大きく関わっているんじゃないかな。banri君が話したくないならしなくてもいいんだけど、耳のことが大きな転機になっているんだから、そこを無視して話したら、やっぱり意味わかんないんと思うんだよね。

(kawauchi)
話してなかったっけ?

――聞いていないですね。

(kawauchi)
ではその出来事の少し前のことから話をしたいと思います。自分は中学3年生の時に、同級生3人でゆずのコピーバンドを組んでいて、そのバンドで文化祭に出たり路上ライブをしていました。高校生になってからもバンドは継続していたんですけど、自分だけがアルバイトを始めたこともあって、次第に練習や路上ライブに参加できなくなりました。そんな時、残りの2人がTEENS' MUSIC FESTIVAL(※10)という10代のための音楽コンテストに出演して、全国優勝したんですよ。自分が参加しなくなった頃から2人はゆずのコピーじゃなく、ちょっとずつオリジナルをやり始めていたのですが、彼らが志向していたのはミスチルっぽい感じでした。当時、自分はゆずの野暮ったさや、拙さ、人間らしさだとかに惹かれていたんで、ミスチルとか山崎まさよしとか、そういう洗練された音楽性には魅力を感じなかった。自分が所属していたバンドが別のやり方で賞賛を受けるところを目の当たりにして落ち込んで、初めて音楽に関して反骨心が芽生えました。それが最初の転機です。

それから遠藤賢司やはっぴいえんどなどの、アンダーグラウンドな音楽を聴くようになりました。ゆずのコピーバンドを抜けてからは、宅録(※11)にも凝り始めて、MTR(マルチトラック・レコーダー)(※12)を買って、一人でアコースティックギターやベース、ドラムマシンを演奏して多重録音していました。そこではかつて一緒にやっていた2人に対する恨み節のような歌詞を書いていました(笑)。「ふざけんな」と。自分の中で留めておけばいいのに、こっそりカセットテープを作って、地元のレコード屋さんに置いてもらったりとかして。
あと、その頃は青春パンク(※13)が流行った時期で...。

――わかります、同世代なので。

(kawauchi)
MONGOL800とかGOING STEADYとか。

――文化祭の時なんか、みんなコピーしてましたね。

(kawauchi)
そうそう。高校1年か2年生の時、自分の仲良くしている、比較的イケてるグループの人たちから「GOING STEADYのコピーバンドやろうぜ」と誘ってもらったんです。自分は宅録をしつつ、路上ではURC(アングラ・レコード・クラブ)(※14)とかBLANKEY JET CITYとか、そういう田舎の若者の間では浸透していなかったような音楽をやっていたんですけど、決まって「よくわからない」という反応をされていました。でも、GOING STEADYのコピーバンドでライブをやったら、終わった後、2人の女の子にメールアドレスを聞かれたんです。自分が面白いと思ってやっていることは全然ダメなのに...「わかりやすいな」と思って笑っちゃったんですよ。「なんだこれ、くだらねぇ」と。

その後、BLANKEY JET CITYのコピーバンドを経て、60年代のロックンロールとかラウドな音楽を演奏するバンドでベースをやりました。一緒にやっていたのは、その時流行っていた青春パンクとかの音楽に対して「くだらねぇ」って思っているような人たちで、そのバンドではライブハウスのものを壊したりとか、客に唾をかけたりしていました。

――そのバンドはいつまで続けていたんですか。

(kawauchi)
高校を卒業しても続けていました。大学生になって東京に上京した後も、バンドメンバーがほとんど上京していたんで、しばらくは東京でライブをやっていました。
その頃のことなのですが、バンドのメンバーと一緒にMAD3とthe NEATBEATSのライブを観に下北沢SHELTER(※15)に行きました。19歳の時だったと思います。そのライブの音量が尋常じゃなかったんですよ。自分たちもそういう音量でやっていたんで、そういうライブが大好きだったんですけど、常軌を逸した爆音で。スピーカーの目の前で聞いていたのですが、突然なんの音も聞こえなくなったんです。それまでも、ライブをやった後に数日間耳鳴りがするとかはあったんですけど、その時は途中から全く何の音も聞こえなくなった。「とにかく帰らないとやばい」と思って、ライブハウスを出て、下北沢から自宅のある横浜に向かったのですが、途中で音が聞こえないだけじゃなく、クラクラして歩けないような状態になってしまって…。自宅の最寄りの駅まではなんとか辿り着けたんですけど、そこで救急車を呼びました。

病院に行ったら感音性難聴(※16)と診断され、医者からは「すぐに治療すればある程度はよくなるけど、今の医療では完全には治すことはできない」と言われました。騒音が主な原因だということですが、その日、自分はコンビニの夜勤バイト明けで丸一日以上寝ていないうえに、体調もよくないような状態だったのでそういったコンディションも影響したのだと思います。

それから1ヵ月くらい入院しました。音は聞こえるようになったんですけど聴力はかなり低下して、ごまかしごまかし生活はできるけど聞き取れないことが多くなった。音が小さく聞こえるとかではなくて、常に耳鳴りがしているような状態です。身体障害者手帳の申請ができるほど聴力が低下したわけではなく、「このくらい聴力がある人は健常者と認定され、それ以下の人は障害者に認定される」という基準のちょうど間くらい。そういう状態なので、バンドを続けられなくなりました。「音楽ができない」というレベルじゃなく、「これから生きていくうえでちゃんと仕事ができるのか」という不安...。当時は死のうかと考えるくらいすごく落ち込んで…。このことをきっかけに、音楽も含めた色んなことに対する考え方が変わってしまって、すごく暗くなりました。

聞こえにくいからギターを弾いていても音程をとるのがすごく難しいんですよ。だからなかなかうまく歌えなくなって...。でも、音程をとるのが難しくてもリズムを感じることはできます。歌を歌う、音楽を奏でることにとって、必ずしも正確な音程、正確なピッチだけが重要ではない。そこを補って余りある面白いリズムや、ことばや声の掛け合わせ、組み合わせを持つ音楽。今の自分のコンディションで何ができるかということを考えた時、辿り着いたのがそういうやり方だったんです。

それから音楽仲間からの紹介で、日本語ラップに興味を持ちました。後追いでしたが、降神やTHA BLUE HERBに特に惹かれました。それまでラップと言えばKICK THE CAN CREWなどのイメージだった自分にとって「こういう表現の仕方もあるんだ」と。キックやベース音さえ聞き取れて、そこに言葉をのせることができれば音楽ができるということに可能性を感じて「ラップやろう」と。もちろん厳密に言えば、正確に音程をとれなければラップはできないんですけど。色々な音楽を吸収したいという気持ちと、身体的な理由による制限の両方があって、今のスタイルに行きつきました。

――音楽に精神も肉体もやられているじゃないですか。

(kawauchi)
そうですね(笑)。

――「表現することの意味」に関する話と、今聞いたエピソードを総合すると、kawauchiさんは音楽に人生を狂わされているようなイメージが強い(笑)。

(kawauchi)
それかもしれない...。

――音楽と出会うまでは順調だったのに...。音楽に人生を狂わされてそこからずっと呪われてる感じ...。

(くっちー)
うんうん、そうかもしれない。

(kawauchi)
音楽やんなきゃよかった...。田村隆一(※17)という詩人の詩に「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」(※18)という一節があるけど...。狂わされたのかな...。

※9)Ustreamで配信された「おれコプ(おれのヘリコプターにきみものれよ)41 てあしくちびる河内伴理大解剖!生い立ち、青春、活動開始」の中での発言を参照。

《おれコプ41》 2014年7月23日配信
パーソナリティ:NEU譲(from. やまのいゆずる)、はっとりあつし(from. YOYOYOYORUNO)
ゲスト:kawauchi banri(てあしくちびる)
以下、配信のアーカイブ。
https://www.youtube.com/watch?v=OOQ5lyZvpFw

※10)「TEENS' MUSIC FESTIVALとは財団法人(現・一般財団法人)ヤマハ音楽振興会(ヤマハ関連団体)、ニッポン放送主催、全国ラジオネットワーク加盟各放送局後援により、過去開催された音楽のコンテストである。」「参加資格を10代に絞り~中略~毎年延べにして6000組以上の10代のアマチュア音楽家が参加するコンテストとして知られた。」(”TEENS' MUSIC FESTIVAL”.ウィキペディア日本語版.参照2017-07-02.)

※11)自宅などのプライベートなスタジオでレコーディングすること。

※12)「マルチトラック・レコーダーは、録音用機器の一つである。特に音楽制作に多用される。 テープ媒体やディスク媒体を用い、2トラック以上の複数の録音トラックの録音再生を行う事ができる録音機器である。通常のステレオ録音再生機と異なり、それぞれのトラックに対し、個別に録音、再生を選択する事ができるのが特徴である。」(”マルチトラック・レコーダー”.ウィキペディア日本語版.参照2017-07-02.)

※13)「青春パンクとは、パンク・ロックのサウンドをベースに「青春」をモチーフにした歌のジャンルのこと。2000年代前半、中高生を中心にブームを起こした。」(”青春パンク”.ウィキペディア日本語版.参照2017-07-02.)

※14)アングラ・レコード・クラブは、1969年に設立された会員制レコードクラブ及びインディーズのレコード会社。当初は会員制組織"アングラ・レコード・クラブ"としてスタートしたが、翌年には正式にインディーズのレコード会社"URCレコード"となった。70年代終わりに活動を停止するまでに、五つの赤い風船、高田渡、遠藤賢司、早川義夫、休みの国、斉藤哲夫、加川良、はっぴいえんど、三上寛、友部正人、ザ・ディランⅡ、金延幸子、シバなどの作品をリリースしている。現在は販売権を持つポニーキャニオンが過去のレコードをCDとして復刻、販売している。

URCについては以下ページに詳しい。
”URCレコードとは”.URCレコード WEBサイト.2017-07-04参照.

※15)下北沢に1991年OPENしたロフトプロジェクト系列のライブハウス。
http://www.loft-prj.co.jp/SHELTER/

※16)「感音難聴は、音の感覚機構そのものが障害を受けているため、さまざまな聞こえのゆがみが生じます。たとえば、高い周波数領域が障害されるタイプでは、母音は聞き取れても子音の聞こえが悪く、聞きちがいが多くなります。また、小さい音が聞き取りにくく、大きい音は大きく響いて不快になったりします。耳鳴りをともなうことが多いのも特徴です。原因となる病気には、老人性難聴、薬剤性難聴、内耳炎、突発性難聴、騒音性難聴、メニエール病、聴神経腫瘍などがあります」(”伝音難聴と感音難聴”.コトバンク.参照2017-07-02.)

※17)「[1923~1998]詩人。東京の生まれ。第二次大戦後、鮎川信夫らと「荒地」を創刊。戦後詩の旗手として活躍。「言葉のない世界」で高村光太郎賞、「詩集1946~1976」で無限賞、「奴隷の歓び」で読売文学賞、「ハミングバード」で現代詩人賞を受賞。ほかに「四千の日と夜」など。推理小説の紹介・翻訳でも知られる。」(”田村隆一”.コトバンク.参照2017-07-05.)

※18)田村隆一(1962).“帰途”の一節.『言葉のない世界―詩集』収録.昭森社.

てあしくちびる インタビュー写真
てあしくちびる インタビュー写真

5. 対局にいる2人のちょうど真ん中にある音楽

――日々の生活の中で音楽をやること、音楽で表現することがどういう意味を持つのか、くっちーさんの考えも聞かせていただけますか。

(くっちー)
私は幼稚園に入った時から小学2年生くらいまで、幼稚園や学校などで全く喋れない子供でした。自分の言いたいことを人に伝えられず、誰かに認められるような場もない状況の中、幼稚園に入った頃に自分の意志で習い始めたバイオリンだけが、人前で表現できる手段でした。バイオリンを習い始めた後も、人前で喋ることは相変わらず苦手でしたが、バイオリンを演奏するということは、私の中で一つの自信みたいなものにもなっていきました。レッスンは決して楽しいものではなかったけれど、当時「バイオリンの演奏であれば人前に立てる、話せなくても音は出せる」と感じたことは、表現するということの原点だと思います。そうした過程の中で「自分は人前に立って、自分の言葉で歌うことは到底できない」と思いながらも、同時に「幼少の頃から唯一続けているバイオリンで、何か好きなことや、自分が面白いと感じることをやりたいな」と考えるようになりました。「何かやりたい」という気持ちをずっと持ち続けたまま、なかなか機会に恵まれなかったのですが、27歳の時にbanri君に声をかけてもらって、はじめてステージに立つことになりました。だから、そこに決して負の感情はないです。

――きっかけやモチベーションがすごくポジティブなだけに、kawauchiさんとのコントラストが激しいですね(笑)。

(くっちー)
そう、全然違う(笑)。

――そういうポジティブな理由で音楽をやりたいと思っている人が、負の感情をもって音楽をやっている人と出会い、音楽をやり続けているというのがすごいですね。

(くっちー)
そうなんです。banri君がてあしくちびるの曲として最初に作った『てあしくちびるのテーマ』という曲は、自分が今まで聴いてきた曲とかとは編成から曲調まで全く違って、最初に聴いた時は「わけわかんない」と思ったけど、面白かったから自然に受け入れることができたんです。でも、2人でやっていくうちになんだかすごい負の感じを持っていると(笑)。何度もぶつかり合って話し合って今に至ります。私自身は表現することに対して、負の感情はほとんどないです。例えば、あんまり自分たちを観に来たお客さんがいないとか、初めて演奏するような場所で、「なにくそ!」みたいな気持ちになって、それが演奏に出ることがたまにあるけど…それくらい。

(kawauchi)
生い立ちや、歩んできた道のりの違いはあるかもしれないけど、自分の中にある負の感情が音楽での表現に結びつかないということがよくわかんないですね...。

――すごい絶妙なところでバランスをとっていますよね。対局にいる2人のちょうど真ん中にてあしくちびるの音楽があるような。

(くっちー)
でも、今まで聴いてきた音楽で、「いいな」と思った歌詞を思い返してみると負の部分が多いんですよ。普段表現できないことを音楽に込めるというのは私自身もやりたいことです。

(kawauchi)
一つはっきりしているのは、自分がリスナーとして音楽を聴く時、「必ずしも負のエネルギーがほしいから聴いているわけではない」ということです。そういうところから生まれたとしても、聴く人がどんよりした気持ちになるだけの音楽を作りたいとは思わないです。

(くっちー)
面白いと思ってもらいたいんですよ。

取材・撮影:2017年3月11日 取材場所・協力:ひかりのうま(大久保)


中本真生 Nakamoto Masaki
中本真生 Nakamoto Masaki

1983年生まれ。愛媛県新居浜市出身、京都在住。UNGLOBAL STUDIO KYOTO代表。&ART編集長。映像芸術祭MOVINGディレクター。


てあしくちびる インタビュー
“2017, In the place to be” 後半

Category: Feature





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