03, Jul 2013

京都のアール・ブリュット美術館
みずのき美術館 インタビュー 奥山理子、森太三

みずのき美術館は2012年10月、京都府亀岡市に開館したアール・ブリュット作品を紹介することを基本に据えた美術館。日本のアール・ブリュットを牽引してきた、障害者支援施設"みずのき"が運営しており、「アール・ブリュットを紹介する」「アール・ブリュットについて考える」ことをコンセプトとしている。本特集では、みずのき美術館のディレクター 奥山理子さんと、設立から深くかかわってきたスタッフの森太三さんに、美術館への思いや、アール・ブリュットがもつ可能性などのお話を伺った。

聞き手:中本真生(UNGLOBAL STUDIO KYOTO、&ART編集長、MOVINGディレクター)
インタビュー撮影:表恒匡

奥山理子、森太三

1. みずのき美術館とは

――みずのき美術館がどういった施設か教えていただけますか。 (奥山)
みずのき美術館は2012年10月に開館しました。障害者支援施設"みずのき"という、重度の知的障害のある人たちが暮らす入所施設が運営しており、「アール・ブリュット(※1)を紹介する」または「アール・ブリュットについて考える」ということをコンセプトとしています。日本においてアール・ブリュットの定義はまだ定まっていませんが、アール・ブリュットが"知的障害のある人が作った芸術"とイコールではないことを誤解なく伝えながら、芸術的価値を最優先した展覧会を行っています。

――運営母体である社会福祉法人 松花苑と、障害者支援施設"みずのき"のご紹介もお願いします。 (奥山)
松花苑は1959年に設立されました。設立後、最初にできた施設が"みずのき"です。
"みずのき"では18歳以上の方が約75名入所しており、施設で24時間過ごしています。地域の中に家を借りたり、家を購入し、そこに暮らしながら介護を受ける、グループホームというシステムがあるのですが、グループホームで暮らしながら日中"みずのき"で生活している方も合わせると、およそ100名が施設を利用していることになります。ユニットは分かれていますが、重い自閉症をもつ若い方や、知的障害以外に高齢者介護が必要になった人たちが、同時に暮らしているという状況です。54年の歴史がありますので、利用者の平均年齢も高くなっています。

――絵画教室はいつごろはじまったのでしょうか。 (奥山)
"みずのき"開設から5年後の1964年、西垣籌一さんという日本画家の先生がお越しになったことをきっかけにはじまりました。

――現在、美術館のスタッフは何人でしょうか。 (奥山)
4人です。私は"みずのき"の仕事を兼務しながら、主に企画運営を担当しています。森さんには主に展覧会のプランニングや、展示を手伝っていただいています。"みずのき"ではアトリエの担当もしていただいています。他にアルバイトが2人いて、美術館の受付業務を行っています。
館長という役職は設けていないのですが、"みずのき"施設長の沼津雅子が美術館代表代理を務めており、私たちが提案したコンセプト/企画について最終決定を行っています。

――みずのき美術館は"みずのき"に入所している方の作品だけを紹介しているのでしょうか。 (奥山)
2013年3月27日~4月14日に開催した展覧会『HOME PARTY』では、"みずのき"の作家と、現代美術家や、ダンサーの方を同時に紹介するという試みも行いました。

――色々な選択肢があったと思いますが、なぜ亀岡を選んだのでしょうか。 (奥山)
亀岡にするか、京都市内にするかはすごく迷いました。みんなと過ごしてきた場所に美術館を作りたいと考え、亀岡に決めました。

――地元の方はよく来られますか。 (奥山)
開館の際は、美術館のある北町商店街の方たちに、商店街のはっぴを着て一緒に来館者をもてなすなどのお手伝いをしていただきました。近所の方に親子でお越しいただくということもよくありますよ。
また、美術館が出来るまで2年ほど準備期間があり、その間直接地元の方とやりとりしたり、色々なところに出向いてトークや講演会を行うなど、関心を持ってもらうためのいくつかの試みを行ったのですが、その成果もあって色々な分野の方に来ていただいています。

――展示に来た方の反応はどうでしょうか。 (奥山)
「癒される」という感想をもつ方は多いです。必ずしも癒しの対象として作品を紹介しているわけではありませんが、良い時間を過ごしてもらうために最大限の注意を払っています。
もう一つ強く感じることは来場者の方に、いかにも「美術館に来ました」というよそゆきの振る舞いではなく、日常の延長にある空間として過ごしていただいているということです。"風通しのよさ"や"人が行き来しやすい"ということに配慮して設計していただいたのですが、やはりこの街並みにはあまり登場してこなかった先進的なデザインですし、開館前は敷居が高く見えることを危惧していました。また、小さなスペースなので、圧迫感や閉塞感を感じさせてしまうことも懸念していました。しかし実際にお越しいただく方の多くに長時間滞在していただいていますし、普段アートに接する機会がない人にとっても自然に過ごしていただける居心地のいい美術館になったと自負しています。
(森)
落ち着くと感じる何かはあると思います。
(奥山)
美術館の企画に参加したダンサーの方に「いい空気が流れている」とおっしゃっていただいたときは、とてもうれしかったですね。

※1)第2次世界大戦後、価値観の再編成が行われる中、フランスの芸術家ジャン・デュビュッフェによりつくられた言葉。日本語に訳される場合には、「生 (き) の美術」「生 (なま) の美術」とされることが多い。伝統的な美術教育を受けていない作り手によって制作されるそれらの作品は、美術史的な枠組みでは解釈し尽くすことができない。イギリスの美術史家ロジャー・カーディナルは「アウトサイダー・アート (outsider art) 」と訳している。


奥山理子 OKUYAMA Riko
奥山理子 OKUYAMA Riko

1986年生まれ。
2007年より社会福祉法人松花苑みずのきのボランティアスタッフとして、農園活動とアートプロジェクトを手伝う。
アール・ブリュット美術館の立ち上げ(2010年~)に関わり、みずのき美術館が開館した現在、 展覧会の企画および複数のプロジェクトのコーディネートを行う。

みずのき美術館 ウェブサイト
http://www.mizunoki-museum.org/


森太三 MORI Taizo
森太三 MORI Taizo

美術作家。
1999年京都精華大学大学院美術研究科修了。
近年の主な展覧会は、2006年「クリテリオム69」水戸芸術館/茨城。2007年「Japanese Suppleness」Gjethuset/デンマーク。2009年「越後妻有アートトリエンナーレ」旧枯木又分校/新潟。2009年個展「世界の果て」PANTALOON/大阪。2010年個展「果たすことの連続」neutron tokyo/東京。2011年個展「空を眺める」GALLERY wks./大阪。2012年個展「海を眺める」ギャラリー揺/京都。2012年「うつせみ」常懐荘/愛知。
現在 京都精華大学 京都造形芸術大学 成安造形大学 非常勤講師。
2012年4月より、みずのき美術館の展示設営、アトリエ活動等に携わる。

みずのき美術館 ウェブサイト
http://www.mizunoki-museum.org/


2. 開館に至るまでの経緯/美術と日常の乖離

――どういった経緯で開館することになったのでしょうか。 (奥山)
2010年、日本のアール・ブリュット作品だけを紹介した大規模な美術展『ART BRUT JAPONAIS アール・ブリュット ジャポネ展』がパリで開催され、1年を超える会期と約12万人の動員を集めて大変注目されました。日本に作品が帰ってくるとき「適切に作品を収集・保管する」「適切な環境の中で観賞ができるようにする」という目的で、日本財団がアール・ブリュット支援事業を展開することが決定し、全国に10箇所ほどアール・ブリュット美術館を作るという構想が生まれました。
こうした動きを生み出すきっかけとなったのは、滋賀県近江八幡市のボーダレス・アートミュージアムNO-MAです。NO-MAが2004年に開館してから、アール・ブリュット作品の紹介に関して一定の成果をあげ、可能性が開けてきたところでリーダーシップをとり、2011年に高知の藁工ミュージアム、2012年5月に広島県福山市の鞆の津ミュージアム、そして2012年10月にみずのき美術館が開館しました。

――美術館を設計された乾 久美子さん、ロゴをデザインされた菊地敦己さん、開館記念展と6月22日から始まった堀田哲明展『たくさんのひとつの家』の監修を行った東京国立近代美術館主任研究員の保坂健二朗さんなど、錚々たるメンバーが関わっていますが、彼らはどういった経緯で関わることになったのでしょうか。 (奥山)
日本財団が支援するアール・ブリュット美術館の開館に先立ち、2010年に会議が発足したのですが、そのとき美術館の在り方に関するアドバイザーとして、保坂さんがメンバーに入っていました。保坂さんは美術の専門家ですが「作品をどのように読みといていくのか」だけに終始するのではなく、私たちが抱えているいくつもの課題や、あまり華やかではない“みずのき”の現状についての話を真摯な姿勢で聞いてくださいました。そういった経緯があり「開館の際には、必ず保坂さんにご相談させていただきたい」と思い、展覧会の監修をご依頼しました。
また美術館を建設する際に「町家や古くから使われてきた蔵などをリノベーションして利用する」ということが決まっていたのですが、設計の担当として、すでに乾さんが候補の1人に挙がっており、その後ご縁があって乾先生にお願いすることになりました。
菊地さんは保坂さんからご紹介いただきました。保坂さんもお仕事をするのは初めてだったそうですが、経緯を説明する中で“日本におけるアール・ブリュットの不確かさ”や“みずのきの絵がもつ背景“に関心をもっていただきました。その背景が単純でないということが、むしろ菊地さんの興味関心に繋がったそうです。当初はロゴデザインや開館記念の広報物のみご依頼予定でしたが現在も継続してお世話になっています。
乾さんも、美術館が出来たら本来お仕事は終わりのはずなのですが、準備していく中で色々なことをお話させていただき「一筋縄でないかないことに対し、多岐にわたって取り組もうとしている」「オルタナティブな価値に注目している」という部分に期待を感じてくださり、「みずのき美術館はすごくいい場所になっていくと思います。どんなことでもアドバイスしますよ」と言ってくださいました。気付いたら素晴らしい人たちがみずのきのことをサポートしてくださり、そうした思いに本当に励まされています。

――ビジネスライクな関係でなく、色々な方が興味をもって能動的に関わってくれることは素晴らしいですね。 (奥山)
私自身、美術やデザイン、キュレーションについて素地がない状態で担当することになったので、本当に初歩的なことを教えてもらいながら勉強させていただきました。やりとりするなかで、一つひとつ入って来る経験や知識が仕事のモチベーションになっています。

――森さんはどういう経緯でみずのきと出会ったのでしょうか。 (奥山)
80年代から2000年代まで、“みずのき”は日本におけるアール・ブリュットの分野を牽引するような存在でした。
(森)
1993年にマドリッド、バーゼル、東京を巡回した『パラレル・ヴィジョン展』、丸亀市立猪熊弦一郎現代美術館で1999年に開催された『みずのき寮からの発信 - 言葉はいらない 魂との出会い -』展など、様々な場所で注目されていました。
(奥山)
しかし西垣先生が亡くなった後、その哲学を適切に引き継げる人がいなかったことと、“みずのき”の作家たちの高齢化が重なり、2000年頃から新しい作品自体が生まれなくなりました。沼津は西垣先生が亡くなる直前、施設長に就任したので、黎明期や華やかな時代を知りませんし、遺産ともいえる一万点の作品と、作品が作れなくなった作家たちを目の当たりにして、どうすればいいかわからないような状況でした。
その後、様々な取り組みをしている方のもとへ訪れ話を伺う中で、「これからは“みずのき”が出会った芸術を通して、色々な人と関係を作り上げていかなくてはならない」と感じ、2007年からアート・プロジェクトを行うことになりました。
地域に暮らす発達障害を持った方と、若い現代美術の作家が、1対1のペアになり、関係性を育んだ後に共同で作品を発表する取り組みをアートリンク・プロジェクトと呼ぶのですが、日本でアートリンクに積極的に取り組んでいる岡山の団体に監修で参加していただき、これまでとは異なる形で芸術活動に取り組み始めました。その時岡山の団体にゲスト・ア-ティストとして紹介していただいたのが森さんでした。
(森)
そのときは自閉症の男の子と一緒に作品を作りました。彼との関係をどのようにつくるかということに注力していましたし、“みずのき”のことは知っていましたが、抱えている問題点や背景の話には触れませんでした。

――その後、どのような流れで美術館に関わる様になったのでしょうか。 (奥山)
アートリンクの後も、森さんには継続して関わっていただいていたのですが、美術館の開館日が決まりはじめたくらいのときに、「手伝えることはないですか」と声をかけていただきました。そのときはじめて「実はアール・ブリュットに興味がある」ということを伺いました。
(森)
シュヴァルの理想宮やスイスのアール・ブリュット・コレクションにも行ったことがありましたし、もともとアートリンクも興味がないとやっていませんでしたから。
(奥山)
そこで森さんには、美術館のスタッフと並行して、グループホームの世話人として施設に関わってもらい、実は今日も泊まり明けできていただいています。
(森)
西垣さんの本を読み「支援する人と、絵を教える人の差が埋まらない」という問題は認識していましたし、もともと美術で関わるなら介護もやりたいと思っていたんです。
(奥山)
私たちとしても、そう言ってくれる人を待っていました。そもそも“みずのき”で絵を描く時間は一週間に一回程度で、ほとんどの時間、入所者を支えているのは施設のスタッフです。そこには美しさもかっこ良さもないかもしれないけれど、彼らと長い時間過ごし、彼らが亡くなっていくのを看取る責任さえもっている私たちが、作品の魅力や価値など、華やかな部分的だけを切り取って発信してはいけないと思います。ただ、一方で美術的な価値として優先したいことと、日常の支援において求めることを両立する必要もあります。美術と日常の乖離は、常に大きな壁として在り続けています。
(森)
本質的なところでは、必要なことは同じだと感じますけどね。
(奥山)
私は美術が求める価値を勉強し、森さんは障害のある人の日常を生活のレベルで知っていく中で、目指すことは同じだと気付きました。
(森)
僕はアール・ブリュットという言葉がなくなってほしいと考えています。障害がある人全員が絵を描けるわけではないし、障害にもレベルがありますから、本当は“障害がある人のアート”というカテゴリーは成り立たないはずです。

みずのき美術館
みずのき美術館
みずのき美術館
みずのき美術館
みずのき美術館
みずのき美術館

3. アール・ブリュット作品を世の中に開くことの可能性/問題点

――初めてみずのきの作家が参加した展覧会を観たとき「これは作品というより、彼らの生活の一部であって、展覧会は彼らの生活に出会う場ではないか」と感じました。私にとって、障害のある人の生活を見る機会は他にないので、とても貴重な体験でした。 (奥山)
ありがとうございます。私たちにとって障害のある人たちと過ごすことは日常ですが、多くの方にとって、成人の知的障害の方と出会う機会は少ないんですよね。鑑賞者が作品から彼ら自身を見出そうとすることは、時に本人と出会う以上に素晴らしい出会いになるのではないでしょうか。

――もうひとつ展覧会を観て強く感じたことは、彼らの作品が卓越した集中力、執着、独創性から作られているということです。それは私が今まで出会ってきたアーティストと比較しても群を抜いていました。優劣をつけるべきではないかもしれませんが、優れた芸術作品を制作するための能力は圧倒的に彼らの方が優れているのではないでしょうか。そもそも“障害がないと判断される人々”が作った基準において、“障害がある”という判断が下されるわけですから、少し角度を変えてみると、障害の有無や優劣の基準なんて簡単に崩壊する。この“常識を揺るがす機能”は、芸術がもつ本質的な役割であって、非常に大きな可能性ではないかと思います。
しかしその一方で、アール・ブリュットとカテゴライズしたり、彼らの作品を選出し、紹介するのは“障害のないとされている人”であるということ自体に矛盾がありますね。
(森)
それはすごく気をつけているところです。作家本人が声を出せないので、話し合いながら丁寧にやるしかないですね。
(奥山)
本当に時間がかかりますし、私たちの場合ある意味それを傷としても抱えています。ジャン・デュビュッフェはアール・ブリュットを、“美術の影響を受けていない作品”と定義していますが、“みずのき”の作品は日本画家の西垣先生によって導かれました。作品は常に「アール・ブリュットか否か」という価値基準に晒されますし、「アール・ブリュットではない」と判断されたときもあります。
(森)
そういった理由で『ART BRUT JAPONAIS アール・ブリュット ジャポネ展』には“みずのき”の作家は選出されませんでした。
(奥山)
アール・ブリュットが障害のない人によって、振興されることについて、私たちはより真摯にならなくてはいけません。作者自ら語らない場合が多分にしてあるので、如何様にも操作できてしまう分野だからこそ、アール・ブリュットが私たちに示唆してくれることについて、考え、語り合う場を積極的に作らなければいけない。また、それによって一つの答えを導き出すことを目的とするのではなく、むしろ“語った時間”を重視したいと思っています。
「私たち自身の自己実現のために作品を紹介してないか」「救世主コンプレックスを解消するための対象として彼らを見ていないか」という自問を常に自戒としてもっているのですが、展覧会を作る中で、森さんも私も“みずのき”での日常を思い返しながら対話しています。

――また「制作プロセスが重要なアール・ブリュット作品において、展示という形式はその可能性の一部しか提示することができない」ということも、ひとつの大きな問題点ではないでしょうか。このことについて、関わっている立場としてどう感じていますか。 (奥山)
開館記念展の際、保坂さん、財団法人たんぽぽの家の岡部太郎さんとトークをしたのですが、「アール・ブリュットの場合、作品そのものの価値は、美術的な価値と違うのではないか」という話になりました。その時岡部さんは「たんぽぽの家が提唱するエイブルアートが求めるものは、作品でなくそのプロセスなので、極論を言えば作品はいらないかもしれない」とおっしゃっていました。ただ、私たちは作品によって生まれる出会いの素晴らしさを体験していますし、美術館として名乗る以上展示される作品のクオリティーや、作品として残ったものを価値化することを重視しなければならないと感じています。だからアート・プロジェクトとはまた違った価値基準の中で活動していきたいですし、そのために、良い作品をさらに良い環境で観ていただきたいと思っています。
ありがたいことに「“みずのき”の作品は絵として完成されている」という評価をいただくことが多いのですが、それは西垣先生による指導のたまものです。彼らは筆の持ち方、作品との距離などを、身体で覚えおり、余暇として絵を描いている人とは異なる姿勢で取り組んでいます。それが彼らにとって幸せかどうかは常に考えなくてはいけませんが、「技術を取り込むこと」「ものごとを習得し質を高めること」は、障害の有無に関係なく共有できる感覚ではないでしょうか。

森太三
奥山理子
奥山理子 森太三
奥山理子 森太三

4. 美術館初となる個展 - 堀田哲明展『たくさんのひとつの家』

――現在個展を開催している堀田哲明さんはどのような人でしょうか。 (奥山)
堀田さんはとても繊細な方で、度々月を見に屋根の上に登っていたため、職員が探し回るということがよくありました。怖がりで、誰かに強く言われたときには怯えてしまう面があり、常に心の揺らぎを自分でキャッチしていたように思います。頑固な面もあるのですが、目が合って微笑み合うこともあり、気付いたら誰かの隣に寄り添っているような人懐っこさももっています。
アクティブに何かするタイプではなく、家の作品も「1,000点を30年間で描き上げた」という言い方をすると壮大な印象がありますが、「1週間に1枚の絵をようやく仕上げ、それがたまたま30年続いた」という表現の方が掘田さんを良くあらわしているように思います。
(森)
なんの迷いもなく一心不乱に描いているようなイメージがあるかもしれませんが、みんな悩んでいますし、気分によってムラもあります。
(奥山)
少なくとも堀田さんにとって絵を描くことはオートマチックな行為ではありませんでした。現在ダウン症に加え、認知症を患っており、食事、着脱衣など、生活のすべてに介助が必要になっています。自分で寝返りを打つこともできないので、当然絵を描くこともできません。
堀田さんは家を描き続けましたが、家に対する執着はないようで「なぜ家を描き出したか」の具体的なきっかけは誰にもわかりません。本人も「おかあちゃんのいえ」「おばあちゃんのいえ」と言ってみたことはあるようですが、あくまで覚えた形に色を塗りこんでいくことが、1週間に1回の彼のペースだったのではないでしょうか。
(森)
今回石をペインティングした作品も展示していますが、やはり色で始まって色で終わっている印象はあります。ただ、もしかしたら家に強い思い入れがあったのかも知れません。本当のことはわからないです。
(奥山)
私たちで決めつけることはできませんから。
(森)
家はすべての人にとって必要ですし、福祉においても家は重要なテーマです。家に住んでいる人、家について考えたことがある人みんなに来てほしいですね、つまり全員ですが(笑)。

――アール・ブリュットで個展という形式は珍しいですよね。 (奥山)
“みずのき展”という括りでグループ展を開催したり、複数の作家を紹介する企画で“みずのき”の作家が選出されるという機会はあったのですが、個展はかつて一度開催されたのみです。大袈裟かもしれませんが、一人の人間の人生について考えることができる個展の素晴らしさを改めて認識し、今後も個展を通して一人ひとりを紹介できる機会をきちんと作っていこうと思いました。
(森)
“障害者によるアート”や“アール・ブリュット”としてひと括りにされることが多いですが、一人ひとりの作品をちゃんと観ると確実に違いますからね。

――一般的にグループ展でないと作品や作家を相対化できないので、「これはアール・ブリュットの展覧会です」というようなパッケージングがしにくいのかもしれないですね。そう考えると、個展という見せかたの方はアール・ブリュットというカテゴリーを取り去るために有効かもしれません。 (奥山)
本来は観た人にとって「これがアール・ブリュットかどうか」はわからなくていいですから。

奥山理子 森太三
森太三
奥山理子

5. 描くこと - 作家本人が主体的に存在している時間

――開館して半年経ちますが、ご家族やご本人の反応はいかがでしょうか。 (森)
人によりますね。アトリエで教えている方の中には「今度美術館で飾ってほしい」という人もいますし、全く関心がない人もいます。
(奥山)
山崎孝さんという、この美術館でも色々な形で紹介している“みずのき”の作家がいるのですが、ご家族(兄弟)としては、大事に思っているものの、「なかなか良い関係を気付くことが難しい」という思いにさせる方だったそうです。でも私たちが孝さんと仲良くなり、彼の作品をご紹介しているうちに、彼に対する想いに変化がありました。全員に当てはまるわけではないですが、孝さんとご家族の関係について言えば、とても良い変化が生まれたと実感しています。また、美術館ができたことによって施設以外のことについて、ご家族やご本人とお話しする機会が増え、会話の種類が多くなりました。
(森)
前向きな会話が増えたことは良い傾向だと思います。

――“絵を描く”ということが、入所者の方に与える影響についてどのように感じますか。 (森)
美術館やアトリエがあるのとないのとではすごい差があると思います。入所施設にはどうしても「こうやって暮らしてください」「これはやってはいけない」といったルールが生じてしまう傾向にあります。でも、絵の中は基本的に自分の思い通りになる。一週間のうちの数時間~半日ですが、“自分が主体となる時間”がもてることはとても大切です。
(奥山)
福祉に関わる人たちで、美術に苦手意識を持っている方は多いので、共有は容易ではありません。しかし私たち自身も支援してくれる人がいるから、こういう活動ができるので「わからないならば、私たちだけで…」と、閉ざしてしまわず、相手の考え方も尊重しながら対話していきたいです。

――今後どのように“みずのき”の活動を展開していきたいですか。 (奥山)
私たちの最大のホームは福祉であり、「その人の存在を絶対的に保証できるような状況を作る」ことを使命としています。ですから、障害がある人や、障害がなくても既存の社会の中で生きにくさを感じ、悩みを抱えている人たちにとって、良い出会いをもたらすような存在でありたいと思っています。そしてそれは人間が生きていく上でも普遍的に価値のあることだと感じずにおれません。

奥山理子、森太三

(取材・撮影:2013年6月23日 みずのき美術館)

開催中の展覧会

堀田哲明展「たくさんのひとつの家」

みずのき美術館の3つ目の企画展は、はじめての個展となります。ご紹介するのは堀田哲明さん。 「みずのき絵画教室」でずっと描きつづけられた堀田さんのたくさんの「家」から、色々と考えをめぐらしていただけましたら幸いです。

会期 2013年6月22日(土)~9月1日(日) 10:00 - 18:00
休館日:月曜日・火曜日(但し、祝日の場合は開館)
入館料 無料
主催 京都府・みずのき美術館
監修 保坂健二朗 (東京国立近代美術館主任研究員)
お問合先 TEL 0771-20-1888
FAX 0771-20-1889
E-mail info@mizunoki-museum.org
WEB
サイト
http://www.mizunoki-museum.org/

中本真生 Nakamoto Masaki
中本真生 Nakamoto Masaki

1983年生まれ。愛媛県新居浜市出身、京都在住。京都嵯峨芸術大学造形学科油画専攻修了。&ART編集長。映像芸術祭“MOVING 2012”ディレクター。アーティストとして"なかもと真生"名義で活動するなど精力的に活動を展開している。

Photo by OMOTE Nobutada

&ART
http://www.andart.jp/

MOVING公式WEBサイト
http://www.moving-kyoto.jp/


京都のアール・ブリュット美術館
みずのき美術館 インタビュー 奥山理子、森太三

Category: Feature





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