01, Apr 2014

PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015
『パラ人』インタビュー 吉岡洋

2015年3月7日~5月10日にかけて京都で開催される国際展「PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015」に向けて、学生らによる新たな出版物『パラ人』が2014年4月から発行されます。なんと約10ヶ月にわたり、のべ二十数回ものミーティングを重ねて制作した第1号の発行直前、編集長を務める吉岡洋さんにパラ人2名がインタビューを行いました。10ヶ月間、なにをしていたの? 中身より先に『パラ人』の裏側をお伝えします。

聞き手:浅見旬、尹志慧(ともにパラ人)
オブザーバー:大久保美紀(『パラ人』連載執筆者、パリ第8大学非常勤講師)
撮影:柳瀬安里 写真提供:PARASOPHIA事務局

1. 『パラ人』?

(浅見)
まず『パラ人』ができた経緯を教えてください。
(吉岡)
PARASOPHIAのアーティスティックディレクターの河本信治さんから、このプロジェクトのプロフェッショナルアドバイザリーボード(※1)のメンバーになってくださいと頼まれて、引き受けたんです。アドバイザリーボードだからアドバイスするだけかと思ったらそうじゃなくて、働かされることがわかった(笑)。それで、ぼくは何ができるだろうと思っていました。最初のアドバイザリーボードミーティングで、「PARASOPHIA」という言葉がまだ耳新しいときに、意見を求められたんです。気になりますよね、造語だから。それでぼくは「〈PARASOPHIA〉は悪い言葉ではないけれど、耳に慣れるというか自分たちの言葉にしていかなきゃいけない。いきなりわけのわからない、しかも外国語の言葉というのは抵抗感を持つ人もいると思うので、〈PARASOPHIA〉という言葉を広める印刷物を1年前からつくったらどうですか?」という提案をしたら、河本さんが「それは素晴らしいからやってください」と。提案をした人はやる(笑)。それがきっかけで始まったんですよね。
任された当初は、ぼくが前に編集長をしていた『Diatxt.』1~8号(京都芸術センター、2000-03)とか、今やっている『有毒女子通信』(MATSUO MEGUMI+VOICE GALLERY pfs/w、2010-最新刊13号)とか、ああいった少人数のグループでやるのかなと思ったんですが、河本さんから学生と一緒にやって欲しいというふうに言われ、今のような形で関心をもった人たちと集まることになりました。ミーティングを何回かしているうちに、「PARASOPHIA」というのは美術展の名前なので、そのまま雑誌名にすると完全に美術展のことをただ伝えるための媒体のようにになってしまうから、ちょっと独立性をもたせたいと思っていました。そしたら学生が「PARASOPHIAのMAGAZINEだからPARAZINEにしましょう」と言ってきたので「それいいやん」となりました。そしてもうちょっと遊ぼうと思って「ZINE」を「人」にした。それが『パラ人』です。

『パラ人』no. 001

『パラ人』no. 001

※1)より優れた芸術祭の実現を目指すことを目的に、アーティスティックディレクターに対して助言・サポートする専門家により構成。


吉岡洋 YOSHIOKA Hiroshi
吉岡洋  YOSHIOKA Hiroshi

京都大学教授(美学・芸術学)、PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015プロフェッショナルアドバイザリーボードメンバー。京都ビエンナーレ2003総合ディレクター、岐阜おおがきビエンナーレ2006総合ディレクターを務める。世界メディア芸術コンベンション(ICOMAG)2011-13座長。批評誌『Diatxt.』(京都芸術センター、2000-03)編集長、長期ワークショップ「meets the artist 2007」『Diatxt./Yamaguchi ヨロボン』(ブイツーソリューション、2008)、『有毒女子通信』(2010-)編集。


2. 編集長として白紙にする

(浅見)
『パラ人』は先生が今まで関わってきた『Diatxt.』や『有毒女子通信』とはつくり方が全然違いますよね。もちろん学生とつくるということで、つくる意味も全然変わってくるかと思います。また、『パラ人』は吉岡先生が教える京都大学以外からもいろんな学生たちが集まって来ています。ミーティングでは、先生として授業をしているのとも、編集長として仕事をしているのとも違う、微妙なスタンスを感じます。
(吉岡)
ぼくも未だにわからん(笑)。でも、おもしろいですよ、基本的には。わりとこういう活動って、編集長という人が「こういうものがつくりたいんだ!」というアイディアがまずあって、それで「君ら手伝ってくれたまえ」という感じのものが多い。その方がたぶん作業としてはスムーズにいくと思います。当初ぼくは学生と一緒にやるということを考えてなかったので、じゃあ一緒にどうやってやるのかということをみんなで話し合っているうちに、「あれもある、これもある」みたいな感じになりました。
それである段階に来た時に、学生の中でフリーペーパーをつくった経験のある人もいるし、だいたい形にするにはこんな感じでしょというので、連載とか特集とかそういう形で組んで、分担もある程度決めて、みたいなことが進行していったんですよね。こんなにどんどん進めていくんだったら、もう全部学生で好きなようにやればいいじゃないって感じになったのが、去年の秋くらい。つまり『パラ人』という傘のもとに、もう「勝手に好きなものをつくりました」みたいなんでいいのかなと思った時期があるんですよね。それはちょっと反省すると、ぼくが寛容にそう思ったというんじゃなくて、自分が他の仕事で忙しくて大変な時期だったんで、「まぁいいや」と思ってしまった。でも中身を見てみると、こういうのだったらわざわざぼくが加わってPARASOPHIAの『パラ人』というような枠組みでつくる意味があるのかと感じた。学生がもし自分たちが書きたい記事とか、載せたい記事を自由に載せて出すんだったら、結局のところは、公のお金を使って趣味的なフリーペーパー出してるだけっていうことになっちゃうんじゃないかと思いました。なので、ちょっと悩んだんだけど「やっぱりこれよくないわ」と思って、「いっぺん白紙に戻しましょう」と言いました。それでみんなに怒られたんですよね、「何なんですか!」みたいな(笑)。引っ張ってしまったからね。悪かったけど、ぼく自身もどうしていいか、最初はわからなかったんですよ。
でも、今はちょっと安定してきたというか、どうしたらいいかが少しわかってきた。ぼくは学校の先生をやっているので、現代の学校っていうのは学生に満足してもらわなければならないというプレッシャーがある。学生はお客さんだから。最初の頃やっぱりよくなかったのは、せっかくボランティアとして集まってくれているのに、何も得るものがなかったとか、全然参加する意味がなかったとか、そう思われたらマズイなという配慮をしたのがいけなかった。それはお客さんに対する配慮でしょ。学生をお客さんとみなすのは間違っています。白紙に戻した時からそれはなくなりました。

(尹)
最初はメンバーも吉岡先生を「編集長」というより「先生」として接してましたよね。
(吉岡)
今は大学でも企業でも役所でも同じですが、大人が自分の責任でいろんな権限をふるうのを嫌がるんだよね。これは私が決めたんだからっていうことを背負うのを避けようとする。そのかわりに慣例とか、規則とか、「上からのあれなんです」みたいな、そういうふうになる。言われた方も責任者が誰かよく分からない形で「これは決まってることなんです」って言われたらもう文句が言いにくい。権限がある立場の人も、自分が力をふるって勝手に決めていると思われたくないし、責任も負いたくないという傾向がある。それはいけないと思う。編集長っていうのもたんなる取りまとめ役ではなくて、「ぼくがこうしたいんだから」と方針をはっきり言って、学生が持ってきた記事に対して「これはいいけど、これはダメ」みたいなことを言う立場でしょ? それは引き受けなければならないと思った。それで「なんでダメなんですか?」とか言われたときに、どういうふうに対応するか。それはちゃんと説明します。ただ、すぐにわかってもらえるかどうかはわからないですけど。


3. 〈特集〉座談会

(浅見)
フリーペーパーというところに落ち着いたのは、PARASOPHIAという名前の布教活動というよりも、もっと自分たちで深めていこうというイメージがあるからかなと思います。座談会というのはそういう意味でもありますよね。
(吉岡)
そうです。座談会にしようというのは思いつきなんだけど、それまでもみんなで集まっていろんな話をしていたんですよ。でも途中から、ぼくや事務局がいる編集会議とは別に、学生だけでやるミーティングが進んでいった。そこでなんとなく固まっていったことは、PARASOPHIAとは何かということについて、「人はそれぞれ同じものについても見方が違う」というような共通理解だった。でもぼくはそれを聞いて、「同じものでも見方は人それぞれ」って、そんなの当たり前じゃないと思ったわけ(笑)。その考えが間違っているということではなくて、そういうゆるいコンセプトだと何でも入ってしまう。コンセプトというのは、もうちょっと強いパワーをもった言葉に置き換えて理解しておかないと、先に進めないというか、拡散してしまうという感じがしたんですよね。
それで、じゃあPARASOPHIAってなんだろうということを考えたときに、ぼくにはある程度こういうことだという漠然とした理解はあるんだけど、別にそれを一方的に押し付けるつもりもない。じゃあもう一回出発点に戻って、PARASOPHIAをどう理解するかということを根本から話し合いましょう、ということになった。そしてその議論を載せたらいいんじゃないかと思ったんですね。「PARASOPHIAとはなんなんだろう?」とみんなで話し合ってるということを出版物のボディ(特集)にする。すると当然字ばっかりになるし、オシャレじゃないし、軽い感じの普通のフリーペーパーっぽくはならない。しかも編集部の中で悩んでるっていうことを載せるなんて、そんなの誰が読むんですか? って言われた(笑)。

(尹)
言ってましたね(笑)。
(吉岡)
それはわかるんだけども、でもぼくはたとえ、ぼくと学生たちがしゃべっていることでも、その内容が普遍的なことというか、誰でも仕事や人生の中でぶつかるような問題に触れてたら、心ある人は読むって思ったんです。このペーパーは売り物ではないし、事業の宣伝のために出すのでもありません。だからといって何をつくってもいいという意味ではなくて、意味のあることならこういう思い切ったことをやっても構わないとぼくは理解していて、そうすることが結果的には PARASOPHIA につながると思っています。

(浅見)
第1号では「PARASOPHIAについて考える」という座談会になりました。紙面ではそれは直接的な言葉に表れてなくても、そういう場そのものであったり、そこで言葉や考える対象をなんとなく選んだりすることで、PARASOPHIAというものが全体としてぼんやり浮かんでくるような内容かなと思うんですよね。では、その次の第2号でテーマが生じてきたときにどういう展開にするんでしょうか?
(吉岡)
テーマは内容全体を縛るものではなくて、最初の入り口——PARASOPHIAもそうだと思うんだけど。別に何について考えたって何について話してもいいんだけど、最初のとっかかりというか、そこから切り込んでいくきっかけとしてテーマというものがあると思うんです。例えば雑誌のテーマは、だいたい大きな商業雑誌の場合は、トレンド的なものとか、そのときに話題になってるものとかそういうものが多いじゃないですか。この『パラ人』に関しては、そういうのに関わる必要はないので、トレンディーなものではなくていい。
例えば今提案されている「化粧」という次号のテーマは、そういうレベルのものですよね。つまり人間にとって普遍的に重要なものだけど、あまり普段表立って、化粧とは何かとか考えないよね。化粧の仕方は特集されるけども。化粧とはそもそもなんなのかということとかは、あまり取り上げられない。そういうところから入っていくつもりです。その意味で第1号の PARASOPHIAと一緒ですね。このあいだの座談会でも、PARASOPHIAとはこうだとか、別にぼくが上から定義しようとしているんじゃなくて、いろんなことを考えていると、「あ、これもPARASOPHIAだ」とか、学校という文脈でPARASOPHIAと言ったら何かとか、そういう言い方で、文脈化していくということをやったでしょ。だから化粧だって、別にいわゆる女の人がする化粧だけじゃなくて、化粧的なものとか、そういうふうに別の話題の中にそれを移植して文脈化していくということ。そういうやり方で話ができたらおもしろいと思う。だから「なんで化粧?」って言われると、ぼくもよく分からない(笑)。

(尹)
今の先生の話を聞いていると、やっぱり具体的なテーマより人間の普遍的なテーマに興味をもっていらっしゃるのではないかと思います。でも、例えば化粧というテーマを人間の普遍的なものだと思ってないメンバーもいると思います。去年まではライトな感じを出したいという人もいたし、イメージ中心の流行りのメイクの写真とかを載せたいという意見もあったと思います。
(吉岡)
そういうのは、ここでやらなくてもいいんですよ。別な媒体で自分たちの好きなようにやったらいい。ただ『パラ人』はそういうものではない。かといって別に重々しいものをやろうとしているんじゃなくて、ライトでもいいんだけど、ただ既にありがちなものはやってもしょうがない。ある程度やり方がわかっていて、こうして作業を進めれば行き着くことが見えているようなものは、ここではやっても意味がない。別に「化粧」というテーマを設定するのはいいけど、既存の週刊誌やペーパーの真似をして、ライトな感じとかオシャレなものとか、ちょっと見栄えがするような紙面を作るというのは、ある程度先が見えてるじゃないですか。作った経験のある人や、どうやったらいいか知ってる人がいれば、できます。そういうのを作るのが悪いわけではないけど、ここではやらない。それが他のフリーペーパーと違うところ。


4. 座談会の場所、空き地の思想

(吉岡)
座談会を中心にすると、編集会議がある種オルタナティブな学校みたいになる。放課後の雑談みたいな感じになるでしょ。それは悪くないと思う。なぜかというと、今学校ってそういうことが起こらない場所になってしまったから。

(浅見)
それは大学、高校も含めてですか?
(吉岡)
高校はどうだろう。ぼくの頃は高校まではわりと縛られてきたけど、大学に入ったらわりと自由で時間もあった。高校はだいたい地域の似たような人が寄ってくることが多いけど、それに比べると、大学って結構いろんなところから違う階層の人が入ってきたりするから、そういう刺激があったり、自由なところがあったり、暇だったりというのがあった。今はそういうのがなくなってるでしょ。まず学生が忙しすぎるよね。バイトとか約束とか就活とか。 昔は4限や5限の授業が終わってから、雑談したり映画観に行ったり飲みに行ったりするというのが、別に約束とか計画とかしなくてもふつうにあった。今は暇な時間を作るのが怖いというか、スケジュールをびっしり埋めないと不安なのかな。昔別の大学で、授業のあと「どっか飲みに行く?」って言っても、学生たちが「すいません。今日これからバイトなんで」「約束があるんで」とか言って全部帰っちゃって、「一番暇なのは俺か」みたいな(笑)。就活とか言われたらもう絶対何も言えない。

(浅見)
いま思い出したのが、元・立誠小学校であるイベントで「学校で教わらなかった音楽」というのがあって、それは授業では出てこないようなアーティストが集まるんです。それを、学校でやっているのも面白いんですが。まあでも本当はそういう音楽って学校で教えてくれてたなと思うんです。つまり、放課後。授業外で友達が聴いてる音楽だとか、先生が実は趣味で聴いてる音楽とか、そういうものも本当は学校で教えてくれてた。だけど、今の学校はそういう余裕もなくなって、カリキュラムには含まれてないけど、学校で覚えたことが少なくなっている気がします。『パラ人』はそういうことを学校じゃないところでやるのがいいなと思っています。ゼミでもないし塾でもない……当てはまる言葉が見つからないですけど。
(吉岡)
そうだよね。そういう場所がもっとあってもいいと思う。ただ、学校では教わることのできない何かすごい知識がそこに行ったら得られる、というものでもないとも思う。とりあえず空き地みたいな暇な空間をつくり出すことが大事です。例えば「学校では教えてくれない〇〇」というのは、ある種ジャーナリスティックな言い方だし、テレビ番組のタイトルみたいですよね。昔は学校では教えてくれなかったものを、学校で教えるというのが今の流れですね。京都精華大学には「ポピュラーカルチャー学部」ってできたでしょ。ファッションとポピュラー音楽を教えている。斬新な試みだと思うけど、それは逆に言うと、学校がどれだけ変われるかというチャレンジでもあると思う。 ぼくらが小中学校のときには、例えば学校の音楽の教科書には唱歌とかクラシック音楽ばっかり載ってて、いわゆるフォークソングとかロックとか、そういうものは家でこっそり、あるいは友達同士で聴いていた。でも今は音楽の教科書にビートルズの曲とか載っている。そういう、昔は学校の外でしか享受できなかった文化、学校外のものとして意味づけられた文化が、世代交代してポピュラーなものに権威が与えられると、どんどん学校の中に入ってくる。コンテンツ、内容としての文化というレベルで考えるとそういうことになってしまうんですが、ぼくは内容レベルで考えてるんじゃないんです。内容はともかく、学校の外や放課後という言葉によって、そこが何をするため場所だという定義がされてないような場所のことを考えている。「空き地」というのはそういう場所。だから学校の外っていうのが問題ではなくて、例えば学校の外でもカラオケボックスとか行ったら、そこは何をする場所って決まってるじゃないですか。その意味で学校と同じ。それは楽しいかもしれないけど、決まった楽しみ。それに対して、例えば何をするかが決まってない場所っていうのは……たとえば体育館の裏とか?
(大久保)
今はいじめじゃないですか?

(浅見)
いや、告白じゃないですか(笑)?
(吉岡)
(笑)。ぼくが初めて自分のホームページ を90年代の終わり頃につくったときに、一番最初にそこに書いたエッセイが「〈屋上〉の思想 」というエッセイなんです。屋上って一種の「空き地」なんだよね。そこで何をするでもなく、ぼんやりしているのが楽しい。忌野清志郎さんが歌ってたRCサクセションの初期の歌に「トランジスタ・ラジオ」というのがあって、あれがちょうど授業をサボってトランジスタラジオを持って屋上でそれを聴いてる。自分の好きな女の子は真面目だから下で授業を受けてる。それを想像しながら、自分はタバコを吸って、リバプールとかベイエリアから来る最新の洋楽をトランジスタラジオで聴いてる。まあ不良なんだけど。そういう場所が、昔は屋上だった。じゃあ今の「屋上」ってなんだろう、「トランジスタラジオ」ってなんだろうっていうふうに考えたとき、90年代には、ぼくはインターネットっていうのがそういう「屋上」的な場として発展して欲しいと思っていたので、そういうエッセイを書いたんです。屋上っていうのは人工的な構造物なんだけれども、その突端であって、上は空、宇宙が広がっている。そこからいろんな信号が飛んできて、それを受信機で音楽に変えて聴くという場所。ぼくがインターネットに対して抱いていた希望というのがそういうイメージの形をとったので、それを「空き地」という言葉で表現した短いエッセイを書いた。

(浅見)
『パラ人』は、学校やPARASOPHIAに対しての空き地とか屋上に適応できますよね。
(吉岡)
そう。この『パラ人』も、ぼくという学校の先生が来て、学生ボランティアが来て、もうひとつの学校というか、学校の外のもうひとつの授業みたいに、こういうスペースがあるんだけども、でもなんかここは「ポカン」と空いてるみたいな印象がぼくはあって、それがいいところだと思います。集まっても「じゃあ何しましょうか?」というとこから始めてるんだから(笑)、これは仕事じゃないと思ってる。ぼくはもしこれが「仕事」だったらつまんないからやらない。『パラ人』も、最初の頃学生のアイディアだけである程度形ができかけたときに、ぼくはつまらないと言っていっぺんひっくり返したでしょ? あれは言わば、このままだと「仕事」になってしまうと思ったんです。別にお金が儲かるという意味ではないですよ。やり方がわかっていて、到達目標が見えていて、あとは作業を進めていけばいいみたいなこと。そういうのが見えている作業は、それは仕事だから。もしそういうのだったらやりたくないし、どうしてもやらないといけないのだったら、お金もらわないと耐えられない(笑)。だけど一銭ももらわずに時間や労力を割いているのは、これが仕事じゃないからです。だから楽しい。

(浅見)
物理的にflowing KARASUMAというこの場所が解放されているという状況はすごいいいなと思います。その目的はそもそもPARASOPHIA事務局なんですけど、それを「パラ人」という名前で、ある種、空き地的にしてしまう。
(尹)
今1階が空いているので、よりそんな感じがするんです。下に何もないところに2階から始まる建物。すごいダウンタウンのど真ん中で1階は空いてるけど、2階で何かやってる(笑)。


5. 『パラ人』は生き残る

(浅見)
『パラ人』は「これを読めばPARASOPHIAを10倍、100倍楽しめる!」というようなペーパーではもちろんないと思うんです。でも、そういうものでもないということをPARASOPHIAも『パラ人』もまだ知らない人にどう説明するんでしょうか。
(吉岡)
PARASOPHIAが開催される2015年春に発行する第5号は、一応プログラムみたいになる予定なんです。そのときにはどんな作品が招待されるか決まってるので、その作品についての情報を載せることになると思う。でもそれはぼくらが全部書くんじゃなくて、原稿をもらって構成することになると思うんだけど。じゃあ、それ以前の今つくろうとしている『パラ人』はPARASOPHIAを見るのに役に立たないかというと、そんなことはないと思うんですよね。美術の話も出てくるでしょ。美術を観るというのは一般の人にとってどういう意味があるのかとか、そういう話もしている。その部分というのは普通、解説書には出てこないわけだから。直接役に立つ解説書じゃないというところが、意味があるんですよね。解説書になる必要はないし、PARASOPHIAの出品作品に言及する必要もない。

(浅見)
『パラ人』は全国に配布しますが、読者の人にこう読んで欲しいというような、読み方は想定したりしましたか?
(吉岡)
別に読み方なんてないよ(笑)。ぼくは面白いと思うんだけどな、今の内容。あんまりこういうことって、ちゃんと言葉にして出てないと思うので、戸惑う人はいるかもしれない。あと、やっぱりみんな字読まないから(苦笑)。これは結構読み物として濃いので、全ての人が「素晴らしい!おもしろかった!」とか言うようなものではないことは確かです。

(尹)
戸惑う人は何に戸惑うのですか?
(吉岡)
自分が予測しているものに当てはまらないから。フリーペーパーとか雑誌の記事の感じに、みんな慣れている。そこからするとこの『パラ人』って、どういう系統のもの? どういうジャンルのもの? そうした既存のカテゴリのどれにも当てはまらないから、そこで戸惑うと思います。
(大久保)
素晴らしい。
(吉岡)
まだ1号も出てないので、これがうまくいくかどうかはわからない。ぼくは、うまくいくっていうのはみんなに拍手喝采されたり、そういうことではないと思ってるんです。たぶんこれは出た時に「うわー!」という感じにはならない。だけど「じわっ」といくと思うね。じわっといって、たぶんこの第1回目のPARASOPHIAが来年終了しても、その後も『パラ人』は残り続けるものだと思うんですよ。耐用年数が長いものを目指しています。この間も、自分で編集しながら内容を読んで、これはテキストとして絶対に残るものだって思ったんです。そのときの情報で終わってしまうことはありえない。そういうものを目指している。

(尹)
残るというのは具体的にどういうことでしょうか?
(吉岡)
こういう美術展をやったり、ボランティアとか学生と一緒にこういった事業に関わるといったときに、そういう機会というのは別にPARASOPHIAだけじゃなく、いろんなところでこれからも起こることじゃない? だからそういうことを将来やろうとする人とか、あるいは既にやって成功したり失敗したりした人が『パラ人』の議論をみると、考えるきっかけになるはずなんです。それはぼくがいいこと言ってるからじゃなくて、われわれ全員が議論している状況が大切なんです。最初だから特にぼくばっかりしゃべってるみたいにみえますが、形のうえではそう見えても、ぼくは一人であんなことはしゃべらないでしょ? いろんな学生がそこにいて、顔を見ながら、ちょっと不満そうな顔してたり、いろんな表情を見ながら話しているので出てくる言葉であって、決して一回も発言してない人は何も協力してないということではないですよ。その人がそこにいるということがすごく大事で、その場にいるからぼくがそういう話をしてしまうのね。まだ君ら二人も半信半疑だと思うんだけどね、「本当にそんなんでいいのか?」みたいな(笑)。

(尹)
え。半信半疑でいいじゃないですか。
(吉岡)
うん、いい(笑)。

(浅見)
「残る」っていうのは印象的です。例えばPARASOPHIAの第1回が終わって、次回が開催されるのか、されないのか微妙になったとき、『パラ人』はまだなお動き続けていますか?
(吉岡)
それは見えないというか、どうなんだろう。つまりPARASOPHIAが成功し、『パラ人』もある程度評価されて、じゃあこれから定期的に出してくださいよ、みたいなことでお金がつくというのは、それはそれでもちろんありがたいことだけど、たとえお金がつかなくても、何らかの形で存続する可能性はあるんですよ。だからこれから1年間出て、その後も続くっていうのが一番いいかな。何らかの形で、形を変えて続ける。一番安定するのはどっか出版社が買い取ってくれることだけど、そうすると今度は内容が自由にできないようになる。

(浅見)
可能性としてPARASOPHIAではなく『パラ人』の方がZINEとは違う動き方をしていくということはありえますよね。
(吉岡)
ありえると思うよ、極端に言うと。PARASOPHIAはきっと成功すると思うけど、万一コケても『パラ人』は生き残る(笑)。それぐらいの気概でやった方がいい。

(浅見)
では最後に、『パラ人』における成功とは何ですか?
(吉岡)
究極的に目指すところは、長く残るということ。時代状況を超えて残る。何十年も先の人が見つけて読んでくれる。これが究極的な目標。もうちょっと短期的な目標としては、もちろんすぐに反応があるのも嬉しいです。文化の価値は数の問題じゃないということは座談会でも話題に出てきたけど、反応があるというのも単純な数の問題ではなくて、本気で反応してくれる人が少数いるということが重要だと思います。
(取材・撮影:2014年3月15日 PARASOPHIA事務局にて)

『パラ人』no. 001

発行日 2014年4月4日
パラ集長 吉岡洋
パラ人達 浅見旬、榎本悠人、上村優、倉部一星、古俣皓隆、清水明日香、角千波、髙橋奈々、根津歩、野海智子、橋本柚香、橋本よしの、蓮田真優美、真壁悠、元行まみ、山羊昇、安田七海、尹志慧、好光義也、渡邊拓也
デザイン 浅見旬
デザイン
アドバイス
村尾雄太
写真 柳瀬安里
発行 京都国際現代芸術祭組織委員会 ISSN 2188-5435

PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015

会期 2015年3月7日(土)–5月10日(日)
会場 京都市美術館、京都府京都文化博物館ほか府・市関連施設など
アーティスティック
ディレクター
河本信治(元・京都国立近代美術館学芸課長)
主催 京都国際現代芸術祭組織委員会、一般社団法人京都経済同友会、京都府、京都市
助成 一般財団法人ニッシャ印刷文化振興財団
協力 京都工芸繊維大学、京都嵯峨芸術大学、京都市立芸術大学、京都精華大学、
京都造形芸術大学、成安造形大学
後援 国際交流基金
認定 公益社団法人企業メセナ協議会
WEB
サイト
http://www.parasophia.jp/

パラ人達 PARAZINE Members
パラ人達  PARAZINE Members

PARASOPHIAに興味をもち、吉岡編集長が提案したフリーペーパーの制作をやってみたいと思ったメンバーの集まり。主に京都の学生や院生だが、中にはいつの間にかいろんな人が混ざり込んでいる。2013年7月より始動し、減ったり増えたりしながら、2014年3月現在、20名。

ホームページ(PARASOPHIA)
http://www.parasophia.jp/

ツイッター(PARASOPHIA)
https://twitter.com/parasophiaPR


PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015
『パラ人』インタビュー 吉岡洋

Category: Feature





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